2006 No.38
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モンゴル高原における戦略

――日蒙関係は東アジア地域の戦略的構造にある程度、影響を与えるだろう。

張利軍
(中国国際問題研究所研究員)

モンゴルで今年8月に二つの大きな出来事が起き、世界の注目を集めた。上旬に小泉純一郎首相がモンゴルを訪問。モンゴル政府は首都ウランバートルのスフバートル広場で盛大な歓迎式典を催した。モンゴル関係の専門家によれば、モンゴル政府が国内最大の広場で歓迎式典を挙行したのはこれが初めてという。

11日から24日には、モンゴルと米国を主体とした合同軍事演習「カーン・クエスト(王の遠征)2006」がウランバートル郊外で行われ、バングラデシュとインド、タイ、トンガ、フィジーも合わせ約千人の兵士が参加した。

戦略的位置の重要性

このところ、日本とモンゴル両国の関係は急速に深まっており、ハイレベルの相互訪問も頻繁だ。特に日本の政界には新たなモンゴル訪問の高まりが見える。小泉首相は8月10日から2日間、モンゴルを訪問。本来はカザフスタンとウズベキスタンも訪問する予定だったが、突然計画を変更し、モンゴルだけの訪問を決定した。二カ国はその後に改めて訪問している。モンゴルを高度に重視する日本政府の姿勢を示すためであるのは明らかだ。金田外務副大臣も7月初めに訪問している。

日本がこれほどモンゴルを重視する底には、深い戦略的考えがある。モンゴルはアジアの腹部、中国とロシアの間に位置し、中央アジアと東北アジアを結ぶ通路にあたり、その戦略的位置は極めて重要だ。日本は東アジアの片隅にあり、アジアでその影響を拡大し、原料の供給地と商品の販売市場を拡大するために一貫して模索してきたのは、南にも進出できる基地、北にも拡張できる拠点であり、モンゴルはまさに最適の選択となる。1920年代、日本の大軍閥の田中義一はその悪名高い「田中上奏文」で、「世界を征服しようと欲せば、まず中国を征服せねばならない。中国を征服しようと欲せば、まず満州国と蒙古を征服せねばならない」と強調した。この論調は日本が蒙古の戦略的位置をかなり重視していたことを如実に示すものだ。現在、日本は東アジアで置かれた地位に強い不満を抱いており、加えて中日関係が冷え切っていることから、アジア大陸でその影響を拡大するのは難しい。このため、日本は南北に進出、つまりモンゴルと東南アジア諸国連合(ASEAN)との関係を発展させることで、戦略的影響を拡大せざるを得ない。モンゴルにこれほどまでに力を入れているその深層的な意味は、言うまでもないだろう。日本は一貫してモンゴルを米国が主導する東北アジア安全保障体制に引き込もうとしてきた。モンゴルが日米同盟に加わるようなことがあれば、中ロに対する脅威となる可能性もある。

モンゴルの豊富な鉱物資源もまた、日本にとっては垂涎の的だ。

日本の大規模援助

旧ソ連の解体後、ロシアの北東アジア地域での影響は著しく弱まっていく。モンゴルから軍隊を撤退させ、それに伴い大規模援助も打ち切ったことで、モンゴルは深刻な経済的窮地に追い込まれた。そして日本は即時、大規模援助計画を実施。そこには権力の空白を埋めるとともに、モンゴルを中央アジアやロシア極東進出への足がかりにする意図があった。

90年代に関係が正常化して以降、日本とモンゴルの関係は急速に発展し、「全面的なパートナーシップ」を確立。日本は政治面では民主化を支持するとともに、経済面でも援助を行っている。91年から15年連続して最大の支援国であり、2002年からは文化交流を中心にした「草の根計画」を実施。若者たちの間に親日的な感情を育もうと、国立大学に蒙日文化センターを開設し、無料で日本映画を放映したり、日本語教室を開いたりもしている。

日本政府は2003年から教育関連援助の中軸を都市部から地方、とくに貧困地区へと移した。身障者の経済支援や、学校へのパソコンやカラーテレビの寄贈、農村部への発電機や変圧器の提供、また水道管の交換や汚水浄化装置の設置など、援助の範囲はかなり幅広い。

日本の援助で経済交流が広がり、モンゴル人の多くがその恩恵を受けられるようになったことで、対日好感度も高まった。在モンゴル日本大使館が実施した世論調査によると、「日本に親しみを感じる」と答えた人は7割を超えた。

「第3の隣国」戦略

冷戦後、モンゴルは国家の安全を考慮して、外交戦略を大幅に調整し、「実務的かつ柔軟な」外交政策に転じた。「大国バランス外交」というもので、ロシアと中国、この隣接する2大国との関係をバランスよく発展させながら、日米を主体とした「第3の隣国」との関係を積極的に発展させることで、第3の隣国(「」付きの単語が2度目に出てきた時は、「」を付ける必要はありません。)を通じて国家の安全を保障すると同時に、経済復興のための資金と技術を確保することに期待を寄せている。モンゴルが外国からの融資と援助を受け入れるようになったのは、90年以降。日本が支援国会議を開催するようになって、モンゴルは主にこの場を通じて資金を調達できるようになった。同会議はこれまでに10回開催されており、融資・援助額は数十億ドルに達した。なかでも日本は最大の援助国として、総額の半分以上を占める。

03年3月、モンゴルの首相は訪日した際、小泉首相と06年を「モンゴル年」にすることで合意。また、05年に日本が安保理常任理事国入りを目指した際には、当時のバガバンディ大統領が東アジア各国で唯一支持する姿勢を表明している。国内に目を向けると、今年初めに重大な政変が起きた。80年近くわたる執政の経験をもつ人民革命党が「内閣政変」を起こし、民主連合との連立政権に終止符が打たれ、単独政権が誕生。首相の座には新リーダーのエンフボルド氏が就任。3月26日、エンフボルド氏は首相として初めて日本を訪問、小泉首相と会談した。

ブッシュ米大統領の破格の待遇での歓迎、米国など複数国による領土内での合同軍事演習の実施、新首相の日本訪問など、人民革命党政府が一連の重大な外交政策を通じて極力、米日関係の重視を両国に示そうとしている姿が見て取れる。新政府も既定の外交戦略を実施し、その方針を変えることはないだろう。

日蒙関係を総じて見れば、双方が互いに必要としていることから、関係は今後もさらに深まり、大きな発展を遂げるだろう。こうした関係が東北アジアないし東アジア地域全体の戦略的構造にある程度、影響を与えるのは必至だ。