2006 No.40
(0925 -1001)
 

アドレス 
中国北京市
百万荘大街24号
北京週報日本語部
電 話 
(8610) 68326018 
(8610) 68886238

>> 重要文章

安倍晋三氏は小泉氏の後継者か

馮昭奎

安倍晋三官房長官は9月20日の自民党総裁選で勝利し、小泉純一郎氏に次いで第21代総裁となり、26日に召集された臨時国会で次期首相に指名された。

中日関係が国交回復以来最悪の状態にあることから、安倍氏が首相就任後に小泉氏の外交政策をどれだけ受け継ぎ、またどれだけ変更し、その外交上のミスをどれだけ修正できるかに関心が集まっている。

小泉氏「勅命」の後継者として、安倍氏がその「新保守主義」をある程度継承するのは間違いないが、その「変人」ぶりは真似しにくいだろう。日本国内でも、外交面で小泉氏に比べより柔軟性があり、米国との関係を引き続き強化するだけでなく、アジア諸国との関係発展をも放棄しない理性的な政治家に期待が寄せられている。

安倍氏の一貫した態度と総裁選中の発言から見れば、中韓などとの関係に影響する重要問題では、「変人」の小泉氏とは違って比較的柔軟な政策、よりバランスのある政策を講じるのではないかと予想される。また、「国家利益」を擁護する面では小泉氏に比べより強硬となり、より戦略を重視するだろう。例えば、靖国参拝問題では、安倍氏は少なくとも、自らが道理に合わないとする争点となる問題については一時的に回避する必要があると理解し、強気でがむしゃらな小泉氏に比べより柔軟になるだろう。

安倍氏はマニフェスト(選挙公約)で「中韓などの隣国との協力」を呼びかけ、「開放されたアジア」を提唱し、中韓両国との関係修復に期待を示した上で、隣国との関係改善には、「互いに努力しなければならない」とか「日本側の門戸は彼らに開かれている」と述べてきた。この言葉は中国と韓国側にボールを蹴り入れたものであり、中日関係が悪化した責任は日本側になく、中国は主体的に「日本側の門戸」に入らなければならないと言っているようなものだ。だが事実は、ここ数年の間に中日関係が不正常な状態に陥った責任は日本側にあることを物語っていることから、日本が主体的に「中国側の門戸」に入るべきではないか。靖国神社問題を適切に処理することを前提に、安倍氏が示す中国とトップ会談を行いたいとの願望について言えば、「中国側の門戸は安倍氏に開かれている」のだ。中日の政治的関係をほぐせるかどうか、日本と隣国との関係に新たな転機が訪れるかどうか、小泉首相が日本の周辺外交に残した負の遺産を取り除けるかどうかは、まさに安倍氏の次の行動にかかっている。

指摘しなければならないのは、戦略家として、特に国の指導者として、狭隘なナショナリズム的な思想や情緒が外交に与える影響を排除するために気を配る必要があるということだ。とりわけ日本の侵略と植民地統治を受けた東北アジア地域では、狭隘なナショナリズムは地域の安定を脅かす極めて大きな潜在的要因となる可能性がある。安倍氏が狭隘なナショナリズム的な立場に固執すれば、中国と韓国との関係を改善したいとする主張と矛盾することになるのは確かだ。

安倍氏は日本の外交政策は多少変更すべきだとして、「しっかりした見解のある外交」と「強大な日本、信頼するに値する日本」といった旗を掲げ、日米同盟を強化し、「戦略的」なアジア外交を構築すると主張している。

小泉内閣は、米軍駐留に対する国民の不満をかわし、「対米一辺倒」路線の推進に対する反発を和らげるため、「親米疎中」の外交政策を講じ、対中関係で適度な緊張状態を維持することで国民をだまし、絶えず中国の圧力を感じさせてきた。安倍内閣が古い手法を再演しないよう望むのはそのためだ。

日本では、小泉―安倍の「対米一辺倒」路線と、民主党の小沢一郎代表が提起した「日米中の等距離外交」の主張との対立がますます激しさを増している。安倍氏が小泉氏と異なるのは、新たに代表に選出された小沢氏の下に結集して再起を図る民主党、政権奪取に手ぐすねを引く新しい民主党と対決しなければならないことであり、そうしたことから、自由奔放で我が道を行く小泉氏のようになる可能性は少ないだろう。

憲法改正問題では、安倍氏は長期にわたって憲法第9条(戦争放棄)を「独立国家としての必要条件に欠ける」と考え、「専守防衛」や「交戦権を持たない」「集団自衛権を行使しない」などに不満を抱いており、「戦争放棄」に関する条項は日本が「正常化」する過程で取り除かなければならない「障害物」だとして、「新憲法」制定の意志を固めた。自民党総裁選では、「21世紀にふさわしい憲法を制定する」との旗を掲げ、現行憲法の新たな解釈を主張して、憲法改正を積極的に推進するとともに、今後5年をめどに新憲法制定を目指すとの考えを表明した。

1946年に日本の憲法が公布されてすでに60年が過ぎ、国際情勢も日本の情勢も大きく変化しており、憲法改正にはそれなりに客観的な理由はあるものの、そう簡単に改憲イコール軍国主義にすることはできない。しかし、日本の右翼が、国民が改憲を期待する理にかなった要求を利用して、平和憲法の核心となる第9条を改ざんし、日本を終戦以来の平和発展路線から乖離させることで、海外でより強大な軍事的な役を演じようとする意図に対しては、国際社会は警戒心を高めないわけにはいかない。まさに自民党の山崎拓前副総裁が懸念するように、戦後生まれの安倍氏は「一世代前の政治家には及ばず、戦争の恐ろしさと平和の真の意味を深く理解することはできず、『力学』を強調し、強硬な姿勢を主張しているため、対話や外交で問題を解決しようとする道から逸脱しやすく、防衛をより重視し外交を第2に置こうとしている」のであり、さらに「安倍君の歴史観や戦争観は恐らく日本を戦前の軍事大国路線に引き戻すことになるだろう。小泉純一郎君が在位した5年間、防衛費は増えることがなかったが、安倍君の代には全方位的な軍備拡張が展開されることになると考える」と語っている。

靖国神社参拝問題では、安倍氏は一貫して小泉氏の参拝を支持してきており、本人も今年4月には「ひそかに」で参拝した。首相になっても参拝するかどうかについては、今でも「あいまいな戦術」を取っている。だが、首相になれば、このまま濁し続けるわけにはいかない。たとえ一歩譲っていわゆる「非公式な参拝」を行おうと、あるいは「ひそかな参拝」を行おうと、非現実的である。毎日メディアが首相の活動を追跡報道するからだ。

靖国参拝がすでに中日関係で最大の政治的障害になっていることから、参拝問題に対する安倍氏の姿勢が、中韓との関係改善に誠意があるかどうかを示す試金石となる。小泉氏が任期中に参拝を頑なまでに押し通したことで、日本と中韓との関係は盟主である米国が望む限度をはるかに超えるほどまでに損なわれてしまった。それに加え、1986年に一般公開された靖国神社「遊就館」の展示の趣旨はまさに、東京極東国際軍事裁判の審判を否定することにあり、こうした反ファシズム的な戦争史観に対する挑戦に関しては、米国の世論ないし議会でも日本の首相に参拝放棄を強く呼びかける声が起きている。これも親米政治家が靖国問題を処理するに当たって重視せざるを得ない要素だ。

朝鮮問題では、安倍氏は、日本はより強硬な姿勢を取るとの立場を表明しており、いかなる妥協もあり得ないだろう。安倍氏はかつて、「攻撃が間近であると示す証拠があれば、日本は朝鮮のミサイル施設に対して『先制攻撃』を行うべきだ」と語っている。この発言は今年7月5日に朝鮮が再び弾道ミサイルを発射した直後のことで、この時ちょうど小泉首相は外遊中だったため、安倍氏は十分に「派手に立ち回る」機会を得ることができた。ナショナリズムという言葉の下での「激しければそれだけ正しくなる」との公式を利用することで、国連安保理の制裁決議案の全力を挙げての推進と日本政府独自の対朝鮮制裁の実施という「小泉式」の強硬な外交活劇を一手に演出し、自らの政治的声望をさらに高めることができた。しかしその後、日本では、朝鮮問題に対して「過剰反応」であり、逆に「事を成功させる力はないが、ぶち壊す力は十分ある」とされ、かえって当該地域の安定にマイナスとなる、と認識する有識者が増えてきた。

安倍氏は「美しい国」という言葉をよく好んで口にする。今年7月に新著「美しい国へ」を出版し、9月には「美しい国、日本。」と題する政権構想を発表した。これは日本人に自らの国をより愛してほしいと期待する苦心のほどを映している。だが、日本の軍国主義者があの不義なる戦争を発動したからこそ、戦後の日本人が「愛国主義」という言葉を忌み嫌うようになったことを忘れてはならない。国民の国を愛する熱い気持ちを真に呼び起こそうと思うならば、平和で発展した日本を愛するように日本人を導いていく必要がある。平和で発展した道を歩み続けてこそ、日本の国家利益に合致し、日本を国民が心から愛するに値する国に発展させることができるのは、火を見るよりも明らかな事実なのである。