2006 No.41
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当今の人から見た毛沢東

毛沢東はいまなお大きな影響力をもち、時がたっても薄れず、どの世代になっても中国人は毛沢東の存在を無視することはないだろう。

唐元

毎年9月9日、10月1日、12月26日になると、多くの中国人はおのずと毛沢東を思い起こす。

1976年9月9日、毛沢東は逝去した。1949年10月1日、毛沢東は天安門で、全世界に向かって中華人民共和国の成立を厳かに宣言した。12月26日は毛沢東の誕生日である。

NBA(全米バスケットボールリーグ)で活躍している中国出身の2メートル20センチ以上もある「背高のっぽ」の姚明選手は、「自分が最も敬服している人物は毛沢東である」と言う。彼が生まれたときは毛沢東が逝去して4年と4日が経っていた。

「毛沢東は一時代その名をとどろかせ、中国人民に自信と誇りをもたらした」と38歳のある学校の体育の教師于海さんは語る。つい最近、古い雑誌を整理したとき、彼は毛沢東の肖像画のある表紙を指しながら、3歳の娘に「だれ?」とたずねてみたところ、「毛主席」という答えが返ってきた。これには彼も驚いた。というのも娘がまだ余りにも小さいので毛沢東について話したことがなかったからだ。

「私の友人の子供たちは人民元の紙幣を知ってはいても、そこに載っている人物形象が毛沢東であることは知りません。しかし私たちの世代は父の世代と同じように、おのずから毛沢東に尊敬の念を抱いています」と于海さんは熱っぽく語る。

「毛主席は私たちから離れたことがありません」と言うのは北京の有名な蚤の市で露店を出している52歳の馬玉林さん。彼のところで最も多く並べているのはさまざまな毛沢東の書物で、各地から多くの人が買い求めにくる。彼は家にワンセットの『毛沢東選集』の各版を珍蔵しており、「これを家の宝として伝えていきます」と言う。

馬玉林さんの店の常連である大学の教師陳方さん(1953年生)は、「文化大革命」(1966−1976)が始まった翌年、当時の大多数の青年と同じように、毛沢東の呼びかけに応じ、貧しい農村に行き、のちに都市に戻ったが、毛主席が青年を苦しい環境と大きな波のなかで鍛えるという考えは決して間違っていないと信じている。農村で、『毛主席語録』以外の本はほとんど読んだことがない彼は、「私は『毛主席語録』を読んで成長し、毛沢東思想は私にとっては精神的糧(かて)であり、私は物質的にはまだ裕福ではありませんが、数十年来、多くの困難に遭っても、気持ちは活力に満ちていました。毛沢東思想がいつも私を励ましてくれたからです」と語る。

今年、彼はかつて生活したその農村を訪ねてみたが、驚いたことに、その村に農民がつくった毛沢東記念室があった。

毛沢東は農村に生まれ、その著作「湖南省農民運動の視察報告」は有名で、土地を農民に分け与えることを主張し、「農村で都市を包囲する」という戦略をとって、ついに政権を奪取した。毛沢東はすべての中国人の生活をよくしようと奮闘したのである。

陳方さんは当時自分が住んだ農家の家主の息子の葉大米さんを北京に何日間か呼んだ。24歳のこの農民ははじめて天安門広場の毛沢東記念堂を見学した。「毛主席がいなかったら、わしらの今日はないと私の親はよく口にしていました。毛主席が貧しい人びとを搾取階級の枷から救ってくれたのです」とこの若者は言う。

「毛沢東は、農民は革命の力であるとみており、しかも大衆が立ち上がって官僚主義に反対するよう呼びかけました。これは民衆の民主的意識を呼び起こす毛沢東の方法です」と40歳の音楽家、劇作家張広天さんは語る。80年代、上海の大学にいたころ、西側の民主主義にあこがれていたが、のちに毛沢東を真剣に研究し、自分の考えが変わり、毛沢東を前衛的な現代共産主義者とみるようになった。「私は毛沢東のいう“造反には道理がある”は人民が解放を求めるのは道理があるという意味のことであると理解しています」と張さんは言う。

『毛沢東選集』を愛読している有名な企業家任正非さんは、企業の発展をはかるには“造反”の精神がなければならないとしている。1992年、彼の企業グループは交換機と設備を自主的に研究・開発した。当時は外国の多国籍企業が中国の国内市場を支配していたので、任正非さんは毛沢東の「農村で都市を包囲する」という戦略を運用して市場を攻略したのである。また彼は企業内部で民主的会議を開き、「批判と自己批判」の展開を奨励した。これは毛沢東のやり方と同じである。

目下、飲料市場で大きなシェアを占めている「娃哈哈」グループの創設者宗慶后さんは「農村から都市を包囲する」戦略のもう一人の実践者である。90年代末、「非常コカコーラ」という飲料水を開発し、コカコーラ市場の一角を占め、企業内では毛主席から学んで、強権指導制をとった。

コンピューター関連で有名な企業「聯想」の創設者柳伝志さんは毛沢東的風格を持つことでよく知られ、「聯想には商業的秘密があるが、毛沢東思想をよく理解している人から言うと、これは”秘密“ではない」と語る。

中国のディズニーランドをつくろうと考えている盛大公司の陳天橋さんは「文化大革命」を体験していないが、「“新文化運動”を論じる」という文章を書き、毛沢東に習って内部で「整頓」を展開している。彼はマイクロソフト(中国)社を辞職した唐駿さんを自社に招聘したが、この二人はともに毛沢東の崇拝者である。

盛大公司に就職したばかりのある大学生は、「私は毛沢東を敬愛しています」と言う。

大学生のなかにも毛沢東を崇拝している人が少なくない。彼らの多くはマクドナルドやフライドチキンを食べて大きくなり、ビル・ゲイツや姚明にあこがれている。

中国社会科学院の研究員唐燦さんは、これらの若者はその父らが“心の中の偉大な指導者”を崇拝し、熱愛し、すべてをささげた“個人崇拝とはちがった愛し方をしていると指摘する。

多くの大学生は、毛沢東は若いころ中国の前途を憂いて発奮して志を立てたのだと見ている。毛沢東の反抗と不屈の精神は青年たちの共鳴を引きやすい。「毛沢東は気骨を有し、困難を恐れず、固い志をもっており、その精神をみたアメリカの記者エドガード・スノーは半世紀あまり前、陝西省北部で、中国の未来に関する結論を引き出したのである」と西安の大学生唐剛さんは言う。

毛沢東の個人的魅力も多くの大学生を引き付けている。「毛沢東の言葉は意味が深いが、非常に分かりやすく、例えば国家発展における基礎工業の地位について、身体にたとえ、農業はこぶしであり、こぶしに力が入るようにするにはしっかり座らなければならず、お尻は基礎工業であると比喩しています」と北京大学の学生韓恬さんは言う。

「愛国主義を強調することは毛沢東が中国革命を成功させた重要な原因であるが、ただ、晩年に中国文化のなかの家父長制と集権の影響を克服することができず、個人崇拝と集権の悪循環にはまってしまったのです」とある大学の学者は語る。

同じような考え方をする35歳の安徽省の農村の教師許多多さんは「神壇から下りた毛沢東」という本を最初に読んだとき、大変驚きました。それははじめて毛沢東を普通の人間としてとらえています。毛沢東はのちに個人崇拝によって神化されたのです。いままたもとに戻り、神壇から下りましたが、その偉大さは失われてはいません」と語る。

「現在、社会の分化が加速し、社会の富の配分が不公平であるという現象が日増しに顕著化してきており、とくに農業、農村、農民の問題が深刻で、幹部の腐敗がひどく、広範な民衆は普遍的に公平でないと感じ、そのため毛沢東と毛沢東時代を懐かしく思い、毛沢東を敬愛するという方法で現状を批判しているのです」と南京大学歴史学部の高華教授は指摘する。

毛沢東の一生と思想を研究して27年になる中国共産党中央文献研究室の研究員張素華さんはこう見ている。

毛沢東は歴史的人物としていまなお広く注目されており、毛沢東のすべては新鮮味を帯びている。その理由は4つある。一、毛沢東は特殊な地位にあるからだ。毛沢東は中国共産党の創始者の一人、新中国の主な締結者であり、憲法と党規約には、「毛沢東思想を堅持する」と明記されており、毛沢東のような歴史的地位の高い人物はおのずと人びとの注目を浴びるものである。二、非常に複雑な人物であるからだ。功績からみると毛沢東は歴史上大きな役割を果たしたが、また大きな誤りも犯した。このように二重の意味を持つ人物について評価するにはおのずといろいろな説が生まれるものである。三、毛沢東はかつて神化された人物であり、それを普通の人間に戻すには多くの努力をしなければならず、その過程で、多くの論議が生まれるのは無理のないことである。四、毛沢東は大なる知恵の持ち主で、またあの時代の縮図であり、その成功と誤りは参考にするだけの価値があり、その経験と教訓は今日の富である。

毛沢東の歴史的経験と教訓を総括するさい、とりわけその誤りについては、どの部分が制度によるものであり、どの部分が毛沢東の社会主義にたいする間違った理解によるものであり、どの部分が情勢に対する判断の誤りによるものであり、どの部分が彼個人の原因によるものであるか、これらをはっきり区別する必要がある。

高華教授はこう指摘する。

毛沢東は一世代また一世代と中国人の持続的な反省と思考を引き起こしていくだろう。毛沢東は歴史的現象であり、中国の移行期の産物(伝統的農業社会から現代的工業社会、情報社会、公民社会に移行し、伝統的帝国専制制度から現代的民主制度に移行)である。現在すでに21世紀に入っており、中国は新しい挑戦、多くの新しい問題に直面している。新しい情勢のもとでは、新しい思惟を必要とし、新しい問題を解決するにはまた新しい体制が必要であって、毛沢東のようにすべて体制の上に凌駕するスパー型指導者を必要とせず、中国にこのような指導者は二度と現れず、毛沢東に対する反省と思考が未来を導いていくであろう。