2006 No.43
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最新の恐竜化石から推測

8月26日、新疆ウイグル自治区と寧夏回族自治区での恐竜の化石発掘でいずれも重要な発見があった。中国科学院古脊椎動物・古人類研究所の科学者は、新疆のチャンジ回族自治州奇台県にある溝から、体長35メートルの竜脚類草食性恐竜の化石を発見し、マメンチサウルスであることを確認した。名実ともにアジア最大の恐竜だ。同日の午後5時30分、考古学者は1年ほど前に寧夏の霊武自治州で発掘された化石はディプロドクスであることが判明したと発表した。アジアでは初めての発見だ。

霊武ディプロドクスの化石

霊武自治州は区都・銀川市から約50キロ。ここでは8月26日までに恐竜の化石が8体発見されている。1億6000万年前の大型竜脚類恐竜の化石が見つかった大陸部では数少ない場所の一つ。化石が集中し、面積が広く、また周辺環境も破壊されておらず、保存状態もほぼ良いことから考古学的価値は高い。

ディプロドクスは竜脚類のなかでも超大型恐竜の一種。史上最長の陸生動物の一つで、首の長さはおよそ7.8メートル、尾は13.5メートル、体長は27メートル。今から約5億年前のジュラ紀中後期から白亜紀にかけて生息し、1000キロ範囲でエサを探し回るほど活動能力旺盛な動物だった。これまでは主に南半球のタンザニアやアルゼンチン、また北米で数体見つかっているが、アジアで発見されたことはない。

霊武ディプロドクス化石の形態的特徴から、この恐竜は南半球で発見された一部の恐竜と血縁関係にあることが分かった。

歯の根部を見ると、上下の歯がほぼ同じ大きさの棒状歯に属するとみられ、22本がU字型に順序よく並んでいた。これは下部にある歯茎の保存状態が良かったためと考えられる。歯茎のない恐竜の歯の化石は一般に乱れており、これほど整然としていない。棒状歯を持つディプロドクスの化石が中国で出土したのは、約100年におよぶ化石発掘史上で初めてのことだ。

霊武の化石には、背骨が非常に高いという大きな特徴がある。背中の中央部に高くそびえる扇状の突起物を持つ独特の体形をしており、これまでに発見されたすべての同類の化石に比べると、背中がかなり突き出ている。これはディプロドクスの体形の機能的特性と、当時の自然環境の研究にとって重要な手がかりとなるものだ。

発見場所の堆積岩の構造から見ると、恐竜は死後、面積の広大な淡水湖へと流され、長い年月の間に次第に湖底に沈積して化石となったと推測される。化石は今日でも平坦な層に分布し、ほとんど折り重なっていることがない状況から、この地域が、恐竜が化石化した後も大きな地殻変動の影響を受けていないことが分かる。1億年前のこの地域の自然、地理状況の研究にとって非常に重要な意義がある。

霊武化石の研究は竜脚類恐竜の形態学や分類学、系統的進化にとっても重要な意義ある。これを基にすれば、中生代の地理や、世界の古代動物の地理的区域・系統の形成を理解するための重要な情報が提供できるだろう。

専門家は、霊武ディプロドクスが生息していた時期はジュラ紀末期ではないかと推測している。この時期はまさに竜脚類の恐竜が地球を支配していた「最盛期」に当たり、かつて地球上に存在していた最も巨大な生物として、種の多様性であれ、知力や体形であれ、同時期に生息していたその他の生物をはるかに凌駕していた。また、当時の世界の気候は非常に温暖だったが、中国北部は温暖でしかも湿潤で、竜脚類のディプロドクスの生長には非常に適した気候条件であり、そうしたことから、霊武でディプロドクスの化石が発見されたのは説明がつく、と言ってもいいだろう。

恐竜の生きた時代は、大陸の移動と形成を理解できる重要な時代でもある。「プレートテクニクス」説によれば、今日の大陸はパンゲア大陸が三畳紀末期からジュラ紀初期に分離を始めたことで形成されたという。だが、大陸は一体どのように移動を始めて今日のような形になったかは、今もって完全には理解されていない問題だ。アジアが最も早くパンゲア大陸から分離し、その後にほかの大陸も次第に分離していったとの仮説がある。だが、霊武化石の発見でこの仮設が成り立たない可能性が出てきた。

数億年前、アジアはディプロドクスの化石が発見されたアフリカ、南アフリカ、北米と同じ大陸プレートに属していた可能性があり、時間の経過につれて、さまざまな原因から、幾つかの大陸がゆっくりと移動を始め、それに伴ってディプロドクスも異なる大陸プレートへと分散されていったのではないかとも推測される。

ディプロドクスの中国起源説、分散や移動の確定に関しては、今回発見された化石とその他の大陸で見つかった化石との血縁関係について比較するとともに、発見場所の地質時代など数多くの情報を深く分析して初めて明確となり、また「アジアが最も早く分離した」とする仮説に対してどの程度疑問を提起できるかも判明する。こうして初めて、今日の大陸の成因を突き止めることができるのではないか。

奇台県の化石

奇台県はジュンガル盆地の東端に位置し、区都・ウルムチから約370キロ。広大なゴビには赤褐色をしたジュラ紀の堆積岩の丘が連綿と続いている。ここはかつて恐竜の楽園だった。専門家の推測では、今から1億8000万年から7000万年前まで、この一帯は湿度が高く、森林が生い茂り、水草が豊かな湖で、恐竜の生息には非常に適していた。1920年代から現在までに、南部の約2平方キロの範囲内で恐竜の化石が数多く発見され、「世界第二」といわれる化石も出土した。測定で、少なくとも200体近くの化石が埋まっていることが確認されている。

今回は「アジア最大」の化石が出土したが、専門家を遺憾に思わせたのは、完全な頭骨が見つからなかったことだ。新疆ではかつてほぼ完全な形の頭骨が4個発掘されたことがあるが、いずれも肉食恐竜の化石で、竜脚類の草食恐竜のものは見つからなかった。草食恐竜の頭骨は比較的薄くてもろいため、完全な形で残ることはめったにないからだ。その他の原因としては(1)頭骨は首と分離した後に水に押し流されてしまった(2)首の曲がり具合から、頸椎骨に圧迫されてその下に埋まってしまった――の二つの可能性が考えられる。言い換えれば、完全な頭骨の化石発見の希望はまだあるということだ。

卵の化石は未発見

専門家は恐竜の化石が最も集中している奇台県で卵の発掘を試みたが、現在のところ新疆では未発見のままだ。

現在の孵化動物は自ら卵を産んで孵化するが、恐竜はそれと異なり、卵を産み落とすとその場から離れ、卵は自然環境の変化に依存して孵化する。専門家は卵の化石が発見できなかった原因について(1)卵はいずれも正常に孵化した(2)気候が孵化に適していなかったため、恐竜は群れを成して別の場所に移り卵を産んだ(3)恐竜の化石はジュラ紀のものだが、卵の化石はほぼ白亜紀に属しており、当時は地質の変化が激しかったため、卵の多くは孵化しないまま地層に埋まって化石となった――の3つの可能性を示している。

専門家の間には奇台の恐竜の絶滅をめぐっていろいろな推測がある。恐竜時代の末期には、恐竜の卵をエサにする小型哺乳動物が生息していた可能性があり、何の天敵もなく、繁殖して増え続けた結果、卵が食べ尽くされて恐竜は絶滅してしまった。また、世界のほかの恐竜と同じように、6500万年前に大きな流星が地球に落ちて大爆発を起こしたために絶滅してしまった。さらに、当時、地球の気温は大幅に下がり、大気中の酸素も減少したことから、冷血動物の恐竜は寒冷な気候に適応できずにすべて凍死した――。

研究者はたゆまぬ努力を積み重ね、これまで発見したすべての手がかりを分析・検討して、絶滅の原因を説明できる様々な理論的根拠を提起している。だが、真の原因についてはまだ百パーセント正確な答えは見出せていない。