2006 No.44
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農民から大物弁護士に

――20数年にわたって独学と努力を重ね、普通の農民から全国に名を馳せる大物弁護士となり、米国に法律事務所を開いた人物がいる。岳成法律事務所の岳成氏だ。どのようにして成功の道を歩んできたのか。このほど岳氏を取材した。

「刑法」が事業の起点

岳成氏は1948年11月8日、黒竜江省海倫県のごく普通の農家に生まれた。生活は貧しかったが、農民特有の純朴さと善良さが彼の性格に大きな影響を与え、楽しい少年時代を過ごした。

66年、18歳になった岳氏は同世代の人たちと同じように将来に大きな理想を抱いていた。だが、政治的原因から大学を受験できなくなり、学業を捨てて故郷で農業に従事するしかなかった。幸運にも、農民になって18日後に中学の教師に。その後、化学肥料工場で働いた後、海倫県民生局の職員となった。知識の欠落していた“動乱の時代”、岳氏は生活の苦労を味わった。

弁護士制度が復活したのは80年。翌年に県の法律相談課に移動。経験がなかったため、毎朝起きると必ず法律の条項を暗記するなど、格別の努力をせざるを得なかった。過去の「刑法」の各条項をすらすらと暗唱できるようになった光景を振り返るたびに、岳氏は「弁護士をやるようになったのは、この『刑法』が起点だった」ことに今でも誇りを感じると言う。

できるだけ早く法律の知識を熟知し、専業のレベルを高めたいと、83年に吉林大学法学部の通信教育班を受験。当時、35歳ですでに4人の子どもの父親。家族にとっては最も苦しい時代で、一家6人の生活は岳氏一人の収入が頼りだった。貧しさからくる苦しさ、やるせなさに直面せざるを得ず、バスに乗る少しのお金も惜しみ歩いて学校に通ったという。

法律関係の書籍を幅広く読もうと、平素から倹約に努めてまず「ポケット法律小辞典」を購入。同時に教師の講義を虚心に聞き入った。

5年間努力して、ついに吉林大学法学部本科の卒業証書を取得。この時、海倫県で弁護士になってすでに8年。学びながら、学んだ法律知識を生かして数々の案件を円滑に解決したことで、地元で名を知られるようになった。

93年に岳成法律事務所を開所。94年に「黒竜江省第1回十大優秀弁護士」に、95年には「全国第1回優秀弁護士」に選ばれた。

岳氏は「いかなる人であり、事業の成功は偶然なことではない。着実に骨身を惜しまず努力してこそ、それなりの報いが得られるのだと確信している」と話す。

北京、ニューヨークに進出

96年、業務面で局面を打開しようと、北京に進出し、より幅広い舞台で弁護士業務を展開することを果断に決断。同年12月30日、北京と地方の2カ所に法律事務所を開設した。

有名弁護士がひしめく首都・北京で新たに出直したが、業務の展開はそれほど容易ではなかった。だが、ある訴訟の依頼があり、岳氏は全知識を傾け、全能力を尽くした。

依頼主は、請負業者に雇われて仕事をした際に右手の2本の指を切断し、8級障害者に認定され、一部労働機能も失った農村の出稼ぎ労働者だ。業者は最初の治療費を負担しただけで、その後は責任を負わなくなったため、労働者は困り果てて相談に訪れた。岳氏は弁護士を派遣して支援し、無料で訴訟を起こすことを約束。法律事務所が介在したことで、労働者は最終的に医療費や障害補助金、賃金未払い金を含む補償を得ることができた。

岳氏が北京に参入して今年でちょうど10年になり、この間に事務所は大きく発展した。02年に北京市司法局から「弁護士刑事弁護活動優秀貢献賞」を授与され、03年には北京大学、清華大学法学院に招聘されて法律専攻修士生兼指導教官に。05年には「中国の誠意と信頼のある十大英才」に選ばれた。一人で開所した事務所は、今では百名の弁護士を擁する大所帯に、60平方メートルの賃貸事務所は所有権を持つ700平方メートルの近代的事務所に、年間数十万元だった収入は02年に一千万元を突破した。

突破口を開く意義を持つのが、今年1月にニューヨーク事務所を開設したことだ。岳氏の弁護士生活はすでに26年を迎える。

社会に貢献する

岳氏の願望は、弁護士業務を発展させるだけでなく、子どもに事業を継がせ、国内ひいては世界一の弁護士事務所にすることだ。

岳氏にとって、事業の成功は人生の成果の半分に過ぎず、もう半分は4人の子どもを育成することだった。現在、全員が弁護士になっている。

子どもに弁護士の道を歩ませたのはなぜか。岳氏はこう説明する。「弁護士になって20数年が過ぎ、中国の改革開放以降の民主法治のプロセスの証人になったことで、いかに良い弁護士になるべきかを理解することができた。弁護士はまだ不足しているが、法治プロセスは進展し続けており、弁護士の将来は非常に明るい」

だが岳氏は、成功したのは業務能力が優れていたからだけでなく、より重要なのは、庶民や社会に対して同情する気持ち、責任を担う気持ちだということを深く理解している。だからこそ、一貫して社会に報いることを自らの宿願にしているのだ。北京に来て以降、年間数件だった無料法律支援は今では50件余りに上る。03年には、120万元を拠出して北京大学、清華大学、中国人民大学、中国政法大学、吉林大学、黒竜江大学6校の法学院に教師と学生を対象にした奨学金制度を設立。04年からは、黒竜江省からの出稼ぎ労働者の権利擁護の活動を無償で行っている。