「『無錫旅情』が20年間歌われ続けた――
中日経済貿易観光文化交流イベント」が
無錫で開幕
無錫市人民政府と中日友好協会による共催する「『無錫旅情』が20年間歌われ続けたーー中日経済貿易観光文化交流イベント」がこのほど江蘇省無錫で開かれた。同イベントは、無錫市および日本の各地で実施される。無錫での活動は主に「中日友好歌会(コンサート)」、「中国無錫―日本経済貿易観光文化成果展」、「中日技術革新及びサービスアウトソーシング合作会議」などが行われた。2007年1月15〜19日には東京、大阪、横浜、名古屋で一連の交流活動が行われる予定。
そのイベントの一環として、『「無錫旅情」20周年記念大会―中日友好歌会』も開かれた。1500人の聴衆を前に中日の歌手が日本尾形大作の最大のヒット曲、「無錫旅情」を熱唱した。
中国側から楊振亜元駐日大使、中日友好協会陳永昌副会長らが参加。日本側から作詞、作曲した故中山大三郎氏の夫人、三佐子さんや隈丸優次在上海日本総領事のほか、無錫市の友好都市である兵庫県明石市の北口寛人市長らも参加。
陳副会長は席上、「20年前に一曲の無錫旅情で無錫という名前は日本で知られており、その後、ずっと情熱を燃やしてきた。来年、中日国交正常化35周年にあたり、無錫旅情を歌い続けるのは非常に意義がある」と強調。
北口市長は、「友好都市として、今回、無錫に来る前に、大勢の市民と一緒に無錫旅情を歌っていた」と披露した。
20年前、中山大三郎氏、尾形大作氏が作った『無錫旅情』という歌は日本で流行した。多くの日本人の友人はこの歌で、無錫を理解し、感じて、さらに無錫が好きになり、無錫に投資した。
以上のことは、無錫と日本の良好な人脈と経済貿易、観光、文化などでの提携の基礎を表している。一曲の歌が奇跡を作り出したことは、無錫の誇りであり、無錫と日本の双方が共同で作った文化ブランドでもある。
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