2007 No.01
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日本での中国文化フェスティバル

心の架け橋を築き、友好の頁を書き記す

日本での中国文化フェスティバルを取材

張小蘭

2006年11月17日、1カ月にわたる中国文化フェスティバルが東京で開幕した。大勢の日本の人々は直接または間接的にこのイベントに参加することで、中国文化への理解を深め、中日両国の文化的に深い関係を一段と肌で感じ、両国民の情感的なつながりと相互信頼を強めた。記者は中国記者団に随行し開幕からの数日間、フェスティバルを取材。この期間、熱気に溢れ、精彩に富んだ文化交流の場面を自ら目で確認した。

開幕式――初冬の寒気に一筋の暖流

中国の文化部と駐日大使館が共催し、外交部と国家ラジオ・映画・テレビ総局が後援する中国文化フェスティバルは11月17日、東京で開幕。盛大で熱気に包まれた開幕式に全出席者が感動した。中国文化部の孫家正部長は「初冬の寒気の中に一筋の暖流」という言葉で開幕式の感想を語った。

開幕式には温家宝総理と安倍晋三首相から祝電が寄せられ、中国大使館の王毅大使と外務省広報文化交流部の山本忠通部長がそれぞれの祝電を読み上げた。開幕式はサントリーホールで行われた。中国側から孫家正部長や孟暁駟副部長、王毅大使、日本側から安倍首相や衆参両院議長、高円宮妃久子殿下、中曽根康弘氏ら首相経験者4人のほか、著名人が出席し、式後に音楽会を鑑賞。今回のように多くの日本の要人が開幕式に出席したことを、日本の観客は非常に喜び、熱烈な拍手が起きるなかに中日友好の盛り上がりを肌で感じた。

開幕式の後、コンサートが開かれた。中国国家交響楽団は著名な若手指揮者、李心草氏のタクトを振って「日本随想曲」など日本人に馴染みの深い音楽を披露、大きな反響を呼んだ。芸術家たちによる優美な歌声と楽曲は、中日友好という素晴らしいメロディーを奏で、人々の心の奥底にある千年にわたる文化の融合で生まれたある種の情感のもつ力を呼び起こした。

公演終了後、日本オーケストラ連盟の岡山尚幹常務理事は記者に「演奏は非常に素晴らしく、私を興奮させた。コンサートの曲目には創造性があり、中日文化の数多くの要素が加味され、開幕式にとてもふさわしい演奏で、日本の観客も非常に喜んだ。日本の交響楽団も中国の作品を随所に取り入れて演奏するなど、創造性を打ち出すことを試みていた」と語った。

李心草氏も公演後、インタビューに応じた。欧米のメディアに「小沢征爾氏の青年時代のようだ」とか「西洋の楽曲を指揮する際にも東洋人が西洋音楽を指揮する、といった違和感は全くない」と評価されている李心草氏はこれまで日本で何度も指揮している。「日本には世界一素晴らしい観客がいる。大都市に行っても、田舎に行っても、観客の拍手には常に感動して涙が出るほどだ。日本に演奏に来るたびに多くのことを学んでいる。日本人は何をやるにしても真面目で、芸術、芸術家を非常に尊重し、シンフォニーの普及事業では非常に大きな成果を上げており、我々は参考にすべきだろう」。そのうえで李心草氏は「中華民族は音楽の感受性では世界的に最も良い方だろう。例えば、朗朗氏や傅聡氏など、世界トップクラスのソリストがいる。しかし、シンフォニーのレベルを総体的に高めるには、確かに日本人に学ぶのもいいだろうし、ひたすら子供の演奏レベルを高めるだけではなく、子供の鑑賞能力を高めることから始めてもいいだろう」と提言。

当日の晩、中国文化フェスティバルの日本側歓迎委員会は文化部と中国大使館と共同で盛大なレセプションを開催。孫家正文化部長や王毅大使、伊吹文明文部科学相、浅野勝人外務副大臣らが顔をそろえた。盛装で出席した日本の友人たちは口々に開幕式の成功を祝い、あちこちで感動的な場面が見られた。

開幕式当日の一連のイベントでは、日本の著名な文化人の参加が目に止まった。一般の人に混じって、和服を着た栗原小巻さんと中野良子さんらの姿があった。

日本の中国文化交流協会長で、著名な文学者の辻井橋氏は記者に「中国文化フェスティバルの熱気溢れる雰囲気に日中交流に従事する全ての人が大変喜んだ。日本人は中国の文化と芸術を非常に崇敬している。多年にわたって米国の文化が日本で急速に広まってきたことから、日本文化が中国に源を発することを知る若者は減る一方だった。この2、3年来、日中の経済面での往来、両国の経済交流を推進する必要性から、文化交流がますます必要となってきた。交流や学習を通じて日本文化の源が中国にあることに気づく日本の若者が増えており、中国文化への認知度は徐々に高まってきている。中国文化フェスティバルのようなイベントは、こうした認知度を更に高めるのに役立つだろう」と述べた。辻井氏によると、今年はちょうど中国文化交流協会創設50周年に当たる。同協会は会長と理事長のほか、文化芸術分野で活躍する47人の理事で構成。栗原小巻さんら9人は代表理事を務めている。先輩諸氏の精神を引き継ぎ、長年にわたり日中文化交流のため風雨をいとわず奔走してきた人たちだ。

中日文化交流分野では20年も奮闘してきた人がいる。劇団影法師の山崎靖明代表だ。氏は興味深い話をしてくれた。「中国文化フェスティバルが日本で大成功を収めたことで、10年も前の私の予言は証明された。21世紀は東洋のものだ、中国と日本のものだ、と私は言ったが、それが正しかったと誇りをもって言える。政治がどう変わろうと、中日間の文化交流は中断させてはならない。中日は手を携えて協力し、アジアの文化を世界に広げ、最も深みの持つ東洋の文化が世界に影響を与えるようにしなければならない」。山崎氏はこの20年来、中国芸術団を毎年5、6回招いて中国の芸術を日本に紹介してきた。また日本と中国で大型人形劇「三国志」を公演。日本だけでも鑑賞した中高生は150万人に上る。山崎氏は日中文化交流を一生の事業としてきた。幼い頃から中国文化に興味があったことから、日本の人々に中国文化を伝えることが最大の喜びの1つとなった。より多くの人々に公演を見てもらおうと、公演期間は普通、8カ月から1年に及ぶ。しかも政府の支援は一切受けない。苦労を重ね、それでも優れた業績を残しているのだ。

こうした中日文化交流に尽力してきた日本の友人たちは、中日友好が連綿と続いてきた中での1つの縮図に過ぎない。中国の「文化交流貢献賞」を与えられた創価学会会長だった池田大作氏ら多くの著名人を代表とする数多くの日本の友人、友好団体は絶えず日本の人々に中日友好の種を播きながら、中国文化の声を伝えてきた。

一連の公演――観客の心を深く打つ

開幕式が終わると、一連の多彩なイベントが順に幕を上げた。最も注目を集めたのは、11月18日午後に日本記者クラブで行われた孫家正部長の講演だった。

孫家正部長は「文化を通じて両国人民の心をつなげよう」をテーマに講演。奥深い内容を平明な表現で中日関係、とくに中日文化交流に対する認識と思考について簡潔に語った。講演会は王毅大使と日本の中国文化交流協会代表理事で、著名な女優の栗原小巻さんの挨拶で始まり、終了後には孫家正部長を囲みながら、講演内容について日本の参加者から熱い賛同の声が寄せられた。参加者には忘れがたい思い出となっただろう。王毅大使は「孫家正部長と世界各国の文化界の交流は深く、なかでも日本との交流が最も深い。中国文化の代弁者であるだけでなく、中国文化を積極的に伝えている人でもある」と述べ、孫部長のこの美しい願いが中日両国の友好協力関係を推進する具体的な行動に変わることに期待を示した。栗原小巻さんは「孫家正部長の講演会を通じて、より多くの日本人が日中文化交流の使命と意義を理解してくれればと願っている」と語った。

中国文化フェスティバルの一連の公演は日本でかなり注目され、チケット1枚でもなかなか入手できない状況だった。公演の成功は感動的な芸術媒体として、中日両国民の情感と心をつなげることができた。

11月19日、22日と23日、中日両国の芸術家は東京港区六本木の露天劇場と渋谷区の能楽堂で共同公演を行い、同じ舞台で京劇と昆劇と能、昆劇と和泉流狂言を演じだ。こうした新基軸を打ち出したコラボレーションに、観客は中日の伝統芸能にある同源性や、同源性にある異質性、異質性にある同源性の思いを深く感じさせられた。同時に、中国の伝統芸能が日本に伝わってからの変遷と創意の軌跡をたどることもできた。

和泉流宗家の宗家会理事長の和泉節子さんと、息子で著名な二十世宗家の和泉元弥さんは「狂言は人生を表現する一種のコメディー。和泉流派はすでに568年も伝えられてきており、世界無形遺産に登録された。その歴史はほぼ無形文化遺産である昆曲と同じように悠久だ。狂言は1988年から毎年、中国で公演しているが、昆曲と同じ舞台に立つのは今回が初めて。昆曲の形式で狂言の外題を演じるというのは、まさに日中の文化交流の深さを体現したものだ」と述べ、その言葉には強い自信があった。「小さい頃に中国は偉大な国だと知り、10歳の時、父に一番行きたい所はどこかと聞かれ、万里の長城だと答えた。大人になってからは毎年中国に行くようになり、自らこの偉大な国を感じ取ることができた」。

未来思考――目を若い世代に向けて

中国文化フェスティバルは、中日両国の有識者に文化交流に対する新たな思考を呼び覚ました。浅野勝人外務副大臣は記者のインタビューで、若い世代の参加をとくに強調し、「若者を日中の文化交流に参加させるようにすることが極めて重要だ」と述べた。また最近、日中間でアニメやテレビゲームなどの面での交流強化の試みが始まったことで、若者たちの参加への興味が高まり、青少年の交流が飛躍的に進んでいることを歓迎した。現在実施されている両国の高校生の相互訪問計画も着実に成果を上げている。浅野副大臣は「青少年は日中友好の将来を代表する人たちである。今後は、青少年の交流をもっと重視していかなければならない」と呼びかけた。

王毅大使は、フェスティバスの準備段階で、日本の一般市民に参加してもらうことに出来るだけ配慮したことを高く評価した。今回、街頭での大型公演が2回行われた。1つは都内の繁華街、いま1つは横浜で最も有名な中華街だ。太極拳愛好者の参加を要請したことで、フェスティバルは日本の一般市民とともに展開する文化交流イベントとなった。

「中日両国民の友好を発展させ、人と人の間に良好な関係を築き、両国民の理解を深める。素晴らしいと感じ、信頼を大切にし、容認する気持ちを持つことが、中日文化交流の1つの重要な使命だ」との考え方が人々の間で広まった。この面で、メディアの責任感と役割は不可欠であり、このことを更に意識してメディアの積極的な役割を強化していく必要がある。

辻井橋会長は「日本の一世代前の人と若い世代の中国文化に対する理解には本質的な違いがある。古い世代は中国の伝統文化をより多く理解しているが、若い世代は現代中国の経済発展をより強く感じ取っている。そのことから、中国の伝統文化の保護と現代文化の発展が何よりも重要であることが分かる」と指摘。1人の文学者として、辻井氏は中国経済が飛躍的に発展する時代に入ったのと同様、中国文化にも発展に向けた大きな空間がある、と考えているのだ。「私は中国の文化や芸術の発展に強い関心を寄せている。中国の美術や文学、音楽などの分野でのいささかの発展でも、多くの日本人に目を向けさせ、彼らの学ぶ興味と意欲を引き出させてくれるからだ」。