2007 No.04
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愛蔵する司馬遼太郎氏の手紙

于強

最近、書店をぶらぶらしていて、新書の書架に日本の文学界の泰斗・司馬遼太郎氏の作品『劉邦と項羽』の中国語版が陳列されているのが目に止まり、ふと、わが家に愛蔵している氏直筆の手紙を思い起こした。

80年代、安徽省馬鞍山市の外事弁公室主任を務めていたころ、馬鞍山紡績工場の建設現場から三国東呉左大司馬、右軍師である朱然の墓が発見された。出土した木履や木刺(最古の名刺)、漆盒(漆の箱)などは日本の文化とその源で深い関係があり、メディアが報道すると、日中国交回復に尽力した一人、岡崎嘉平太氏から馬鞍山市長宛てに、出土品を日本で展示したい旨の手紙が寄せられた。後にその一部が展示されて日本で大きな反響を呼び、多くの文化人が馬鞍山市に視察に訪れた。司馬氏と交流のあった上海の何人かの友人から、「わたしが司馬氏に手紙を書いて視察を要請してみてはどう。氏が日本に戻った後に一文を記してくれれば、朱然墓への影響はより大きくなる」と提案された。わたしは彼ら専門家の意見を受け入れて、司馬氏に手紙を出し、観光と視察を依頼した。

思いがけず、じきに司馬氏が東大阪から出された手紙が届いた。手紙は「司馬」の2文字が印刷された原稿用紙2枚に書かれていた。「李白墓と朱然墓には是非行って見たいと考えていますし、この願いは非常に強いものがあります。とくに木履や漆盒については、このように日本の文化的特徴を備えたものが朱然の墓から出土したことに、驚きを禁じえないと言うべきでしょう。ここから呉の文化と日本との源での関係の非常に深いことが見て取れます」

さらに意外だったのは、87年にわたしが日本で出版し、日本の戦争孤児を題材とした長編小説『風媒花』(夏文宝氏・伊藤桂一訳、東京光人社)について朝日新聞、毎日新聞などのメディアが報道し、それを知った司馬氏が本書を購入して読まれていたことだった。氏は手紙のなかで「于強先生の作品『風媒花』を拝読し、行政の専門家でありながら詩人としての素質も兼ね備えておられ、きっと中国の優れた伝統を持たれた方だと、敬服いたしました」と書かれていた。

そして最後に「馬鞍山市は魅力のある街でありますが、遺憾ながら、行くことはかないません。せねばならぬことが非常に多く、日程を組むのは大変に難しいのです。しかし、わたしの心は麗しい中国と多くの中国の方々に向いています。ここに感謝の意を表すとともに、私の返事とさせていただきます」とあった。

この日本の文豪を馬鞍山市に招請することはできなかったものの、氏の返事からその謙虚さと親しみやすさ、中国への憧れと中国文化への思いが感じられた。また、『風媒花』を読まれたことは、わたしにとって大きな励ましとなった。

司馬遼太郎氏は日本ではだれもが知る泰斗であり、どの書店やブックスタンドでも氏の著作は売られている。亡くなって十数年になるが、日本で行われる好きな作家人気では最近も1位に選ばれ、すでに8回もトップの座を占めた。

わたしも司馬氏を慕っており、愛蔵する氏の手紙は大変意義のあるものである。

※筆者紹介

中国作家協会会員。著書に『風媒花』や『翰墨情縁』(日本語版『李海天の書法』)、『異国未了情』(中国と日本で出版)、06年の新作『櫻花』(上海出版社)