安倍内閣の外交の骨組みが一応確立
安倍外交は前任者の強硬さ、主動性と突破をむねとするタカ派の手法を継続し、同時に柔軟性をも持って、実務に励むという個人的特色およびおどしたりなためたりする二つのやり方を弄する手法も具現しつづけた。
周永生(外交学院国際関係研究所教授)
2006年9月26日を起点に、安倍内閣はすでに4カ月を乗り越えた。この期間における日本政府の鳴り物入りの外交活動と政策を公けにすることを通じて、安倍内閣の外交の枠組みはすでに一応確立されたと見て取ることができる。
「自己主張型の外交」
安倍内閣の外交政策に対する調整はまず外交理念の面から着手され、それからは政府内部の運営構造とメカニズムの改革を組み合わせ、これによって理念の調整に適応していくことになった。
安倍氏は首相に就任した後すぐ、「自己主張型の外交」(Proactive
Diplomacy)という新しい外交の理念を打ち出した。安倍氏は、朝鮮は2006年7月初めにミサイルの発射実験を行った後、日本の主導のもとで国連安保理で朝鮮に対する制裁決議案を提出し、決議は最終的に一致を見て受け入れられ、このことは、「わが国の外交は新しい思考の自己主張型外交へ転換する時代がすでに訪れたことを物語っている」と見ている。安倍氏がこの自己主張型の外交戦略を打ち出したことは、日本が政治大国化へと向かい、世界における発言のウエートを増そうとし、ひいては世界のリーダーとしての地位をねらっていることと一脈相通じるものがある。日本がみずからの経済大国としての国力と日増しに強化される政治的影響力を踏まえて、すでに第二次世界大戦以後に長期にわたって形成された世界における政治地位に腰を低くして甘んじようとはせず、世界に日本の声と主張を発信しようとしていることを示すものである。
首相の集権を強化する国内政策と組み合わせて、安倍氏はあらためて外交と安全保障における首相官邸の政策決定力を再編、強化した。そのために専門機関を設置し、国家安全保障委員会の設置を検討している。2007年1月15日には、「国家安全問題官邸機能強化会議」第4回会議が開催された。まだ意見の一致には至らなかったとはいえ、首相、内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣と財務大臣は国家安全委員会の正式のメンバーとなり、主に中長期の外交と安全保障戦略を検討することになっている。こうした首相を核心とし、小さな範囲で外交と安保戦略の骨組みを確定することは、必ずや外交と安全面における首相の権限と影響力を極めて大きく強化することになろう。他方においては、実際において外務省などの内閣の官僚機構と実務官僚の外交政策の決定に対する影響力を弱め、重複する政府機構によってもたらされた低効率性の克服に役立ち、更に危機管理にとって有利な簡素で集権的な体制を確立することにも役立つであろう。
2つの基軸
――日米という基軸。日米安保同盟と対米外交は日本の対外関係の中で数十年にわたって長期的に堅持してきた何よりもの重点であり、安倍内閣も例外ではない。安倍氏は「世界とアジアのための日米同盟」という戦略目標を明確にし、国際問題において、アメリカとの緊密な協力関係を引き続き保っている。2006年11月18日、安倍首相とブッシュ大統領は会談を行い、安倍氏は「普遍的価値」に基づく日米同盟をいっそう強化する方針を強調した。この面で、安倍内閣は継承を主とし、小泉氏およびそれ以前の内閣と比べてあまりそれほどの新味はない。
――「価値外交」と地政学的政治という新基軸。2006年11月30日、日本の麻生外相は日本国際問題研究所で『自由と繁栄の弧を創くる』と題する外交戦略についてスピーチを行い、「価値外交」と『自由と繁栄の弧』という新しい概念を打ち出すとともに、それを日本外交の「新基軸」と称するほどの戦略的次元に上昇させた。これは価値観と地政学的政治を結び付けた戦略であり、しかもこの地政学的政治戦略の中で、明らかにロシア、朝鮮、中国、中東地域のいくつかの国々をこのアーチ形の地帯の対立面として見なしている。そして、民主、自由などの価値観をこれらの国々へ広げる意図がひそかに含まれている。安倍内閣はその実、これらの抽象的な政治的スローガンとイデオロギーの闘いを利用して、いま1つの側面から日本の政治大国化を目指す過程のために下地を固め、これによって支持と「常任理事国入り」のための票を勝ち取る手段としているのである。
高いトーンの外交活動
中韓との関係を強化すること。安倍氏は、日本が中韓両国とすでに経済をはじめとする密接な関係を確立し、両国との信頼関係を強化することはアジア地域と国際社会にとって非常に重要であると考え、未来においては中韓両国と率直な対話を行うことに努めることにしている。安倍氏は首相に就任してまもなく、積極的に中国と韓国を訪問することについて両国と意見を交換した。首相就任後の13日目の9月8日から、中国と韓国訪問の旅に出た。安倍氏は政権引継ぎというこの好機を捉え、中韓両国の寛容と協力のもとで、突破的な関係の改善を実現した。しかし、もし安倍内閣が歴史問題を正しく処理することができず、冷戦的思考と、敗北か勝利かのいずれかであるという現実主義の政治的ゲームの思考を捨て去らないならば、日中、日韓関係の改善の中で新しい波乱が非常に現れやすいということも必ず認識しなければならない。
日本とヨーロッパ、日本とアジア太平洋地域の民主的な諸国との関係を強化すること。日本のヨーロッパとの関係は従来から日本の外交の中で比較的弱い一環であった。2007年1月、安倍首相はイギリス、ドイツ、フランス、ベルギーなどのEUの4カ国とNATOなどを次々と訪問し、続いてまたフィリピンを訪問し、東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議と東アジア諸国首脳会議に出席し、「ユーラシア大陸の弧」を実行に移す地政学的外交の戦略的思想を一応具体化した。安倍氏はヨーロッパ4カ国の首脳と会見した際、ほとんどすべての場で煩をいとわず価値観の共通性を強調した。このような外交は、ヨーロッパ諸国にとってかなり効き目のあるものである。いくつかのヨーロッパの国も価値観の問題を比較的に重視し、彼らの共感を引き起こしやすいからである。安倍内閣はアジア、太平洋地域の民主的な国々との協力をとりわけ強調している。さらにASEAN諸国との協力を強化し、アジアと世界における民主的な国と自由社会の拡大を促進し、積極的にオーストラリア、インドなどの民主的な国との首脳レベルの戦略的対話を展開している。また、イラク出兵を肯定し、そしてイラクの復興、アフガニスタンの復興を援助する政策を引き続き堅持している。
朝鮮制裁問題に対する根回しを強化し、中国の軍事力増大に対する抑止と阻止を強化すること。朝鮮が長期にわたってアメリカなどの西側諸国と対抗する政策を実行しているため、国際社会における境遇はかなり孤立したものとなり、特に朝鮮が2006年7月5日にミサイルの発射実験を行い、10月9日にまた地下核実験を行った後ではそうである。日本は朝鮮が世界じゅうの一大反対をかえりみない行為を利用してみずからの道義的イメージを確立しようとし、積極的に外交活動を行い、必死になって朝鮮に対する制裁の根回しをした。客観的に言って、日本は朝鮮に打撃を与え、孤立させるこの好機を利用して、確かにみずからのために一定の名声を勝ち取った。そして、朝鮮は拉致の問題でずっと日本にとことん追及されて、至る所に受身となっている。2006年11月18日に開催されたAPECサミット会合の席上で、安倍氏がプーチン氏と会見した際、ずっと朝鮮とかなり良い関係を保っているロシア大統領プーチン氏までも安倍氏の要求の求めによって、拉致は理解できない野蛮な行為であり、ロシアは引き続き協力するつもりであると表明した。同時に、安倍内閣は中国の軍事面が不透明で、軍事費の増加が速過ぎるなどの世論を大いに作り出し、宣伝している。安倍氏のヨーロッパ訪問の重要な議題の1つはヨーロッパの中国に対する武器売却禁止の解除に反対するものであった。これを見てもわかるように、日本は中国に対し根強い不信頼を抱えている。日本が先に打ち出した日中両国の「戦略互恵」関係を確立することについて、まだ近隣の中国にメリットをもたらそうとする行動はなく、日本は中国の軍事力の発展を封じ込めることを重要な戦略的目標の1つとして全力を尽くしてそれを貫こうとしている。
突破をはかる
「常任理事国入り」で突破をはかること。安保理の常任理事国になることはすでに日本外交の戦略的目標の中心となっている。冷戦終結以後、日本は大量の人力、物資と資金を投入し、安保理の常任理事国になることを目指して来た。安倍氏が首相に就任した後、引き続きこの戦略的目標の実現を目指している。安倍氏の外国訪問の中で、つねに安保理の改革問題に言及し、相手国の日本の「常任理事国入り」をめぐっての支持に感謝し、引き続き協力することを望むなどした。2007年1月9日のイギリス訪問の中で、安倍氏はブレア首相に安保理の改革については、主要な国の考えを考慮に入れ、弾力性に富む具体的な案を検討しなければならず、そしてイギリスと密接な協力を保つことを表明した。ブレア・イギリス首相は、日本の常任理事国入りを支持し、日本が入っていない安保理は今後長期にその信頼性を維持することは難しいと表明した。2007年1月10日のドイツ訪問の際、安倍氏はメルケル首相に、4国グループのこれまでの協力に感謝し、国連を21世紀に適応させるため安保理の改革は不可欠であり、この目標を実現するため、ドイツと共に協力し、具体的な新しい案を検討したいと語った。安倍内閣は2007年9月に終わる61期国連総会で日本を満足させる改革の進展を見ることができ、日本の「常任理事国入り」の願いを実現することを願っている。
海外軍事行動での突破をはかること。海外軍事行動の面で、安倍内閣は別に小泉内閣の時期に実現したイラクへの軍隊派遣に満足せず、より自由で、より大きな海外軍事活動の実現を目指さすことに努めている。2007年1月9日、日本の防衛庁は正式に防衛省に昇格した。日本の国家と軍事の運営はこれ以後防衛省という重要な機構をもつ時代に入った。この機構の変化には大きな背景とねらいがある。それは日本が世界の政治大国になろうとする努力のステップの1つであり、日本が軍事力を向上させ、海外軍事行動と対米支援行動を強化する前兆でもある。
東アジア地域の協力を主導する突破をはかること。東アジア地域協力の面で、日本の姿勢はかなり積極的で、これは高く評価するに値する。しかし同時に、われわれも、日本はずっと東アジア地域協力でのイニシアチブを手にすることをねらっていることにも気づいている。2007年1月に開催された第2回東アジアサミット会合で、安倍首相は各国が「16カ国自由貿易区」を検討、設立する提案を行った。安倍氏のこの16カ国自由貿易区の提案は、日本政府がすでに「経済パートナーシップ協定(EPA)」について何度も当該地区の諸国に対し探りを入れ、積極的な応えを得られなかった後に、この地域の16カ国の支持を勝ち取るために打ち出した新しい措置である。それは客観的には東アジアの経済協力のプロセスを促進することに有利であるとはいえ、それでこの地域の協力の主導的地位を占有する目的もはっきりしている。同時に、第10回「10+3」会議で、安倍氏は民主主義価値観の重要性をとりわけ強調し、ASEANの連合と安定のためには、民主主義などの普遍的共有価値観に基づく連合を推進することは不可欠なことである。これは、安倍内閣の価値観外交のその外交に占める重要な位置づけを明らかにするものである。
要するに、安倍内閣の外交は小泉内閣の外交とは明らかな継承性があり、つまり強硬さを堅持し、大国意識を強化し、能動的地位と主導権を争奪し、イデオロギーと対抗的色彩のタカ派の外交の特色を固執しているのである。同時に、安倍内閣そのものの特色もあり、つまり柔軟性、実務性、円滑性を持ち、日本の国益の長期的戦略目標のために、融通性をきかし、おどしたりなためたりする両面の手法を使うことに長じていることである。
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