2007 No.05
(0122 -0128)
 

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>> 中日交流

今だに消え去らないあの感動

一昨年、私は中日両国間で20数年も、毎年二国間で持ち回りで開催されている両国の経済状況についてのハイレベル会議の裏方の一人として、お手伝いのため日本の滋賀県を訪問した。びわ湖のほとりのホテルの窓から見おろすびわ湖の景観、びわ湖のほとりにある老舗でご馳走になったおいしいアユ料理、この日本最大の淡水湖の形成の歴史を紹介する博物館の見学…、いずれも感動的体験の続きであった。

私は一ジャーナリストとして、数十年間、中日両国のさまざまな出来事の現場に立ち会う機会に恵まれ、中国のトップの何回かの日本訪問、日本国天皇、皇后両陛下の訪中、日本の歴代首相の訪中には、現役として取材した体験もあり、いろいろ感動的な場面に立ちあってきた。現役を退いてからも、もと同僚たちに言われているように、「退いても休まず」というライフスタイルで、中日間の交流やジャーナリズムの第一線の一角で、すばらしい役柄を振り当ててもらって、第二の人生を存分に楽しんでいる。

その中で、今になっても、心の中に残っているのは、一昨年の滋賀県訪問の際、国際会議のスケジュールをとどこおりなくこなしたあと、名古屋空港経由で帰国する途中、彦根城を見学することになった。そこでわれわれ一行を迎えてくれたのは、市役所の関連セクションのお手伝いをしているというボランティアの中年の女性であった。われわれが観光バスから降りると、旗を手にして笑顔でわれわれを迎えてくれ、「中国のみなさんに会えて本当にうれしい。私の夫は中国の浙江省寧波市に日本企業の社員の一人として長期出張しており、私も何回か寧波市に行って暮らしたことがあるのですよ。中国の方々にはたいへん親切にしてもらいました。みんな大いに感銘して、彦根でも『寧波の会』をつくっており、中国の方々ともいろいろな形で交流をつづけています」と言って、大サービスでいろいろ観光名所を案内してくれた。ここは幕末のあの有名な井伊直弼の故郷でもあり、その生家である屋敷も近くからながめることができ、それと関連のある話も詳しくしてくれた。

ここまでのことなら、外国から来た観光客と観光ガイドさんという構図かもしれないが、しかし、この時期は国際問題を専門とする一部の評論家たちが、日中関係は歴史上最低点にあるとか、日本の若者の中で中国は嫌い、というもののパーセンテージが大幅に増大したとかいう論調がマスコミの紙面に現われ、いわゆる世論調査などのデータが発表されたりしていた。そして、日本社会は右傾化している、とかいう分析も時々、目にすることになった。

では、この彦根での一シーンは一体どう説明すればよいのか。前記の評論家たちの「レベルの高い」分析とはかなり違っているような気がした。国民と国民、一般の人たちの友情と、評論を書きつづけることを業としている高名の先生方との視角はずい分違ったものだなあ、というのが私の実感であった。ここで、もう一度、民と民のおつきあいとはどういうものか、考え直してみる必要があるのではないだろうか。世論調査、評論家の分析と一般の国民の間の素朴な友情のこの違いをどうみたらよいのか。こういうすばらしい友人をつくってくれた中国の寧波市の関係者に感謝したい気持ちでいっぱいである。日常のごく普通の触れ合いの中で、彦根に中国に親近感を抱く友人をつくり出した労をねぎらいたい。おそらく、寧波市の人たちは、あえて親近感をもってくれる人たちを「つくり出す」ために努力したのではなく、人間と人間の触れ合いの中でたまたま、こういう友情がはぐくまれたと見た方がよいのかもしれない。

マスコミの世界で、日本といろいろつながりのある職場で数十年働いてきた私は、両国関係が「最低点」と言われている時でも、全然悲観したことはない。ラッキーなことは、私は何人かの日本人と一緒に何十年も仕事をしてきた。その人たちの何人かは、北京の一角にある、中国の建設事業のために一生を献げた人たちが永眠している墓地に埋葬されている。こうした人生体験のおかげで私には私なりの日本人観がある。日本人のなかにも尊敬に値するすばらしい人たちがたくさんいる。彦根での短いひとときは、この信念をさらに固めてくれることになった。両国関係は、曇りのち晴れの感あり、という人もいるが、私は北東アジアという広い世界を視野にとらえるならば、一時期の両国関係のブレにそれほど深刻になる必要はない、と考えている。中国がどんどん発展しさえすれば、いやがらせにひとしい雑音も変形していくか、だんだんと消え去っていくだろう。大国としての器、あるいはイメージを構築することに成功しさえすれば、さらなるイメージアップも可能となり、友人も増えていくのである。(林国本) 

「北京週報日本語版」2007年1月30日