2004 No.14
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ある北京庶民に見る住まいの変化

―――経済が発展するに伴いこの数年、住宅購入や内装工事など、居住環境を改善しようとする市民が増え続けている。

蘭辛珍

張林さんは間もなく新居に引っ越しする。彼はこの数日、転居した日に祝いに来てくれるよう親戚や友人への連絡に忙しい。結婚、子どもの誕生1カ月、新居への引っ越し、この日に親戚や友人を呼んで共に祝うのが中国人の伝統だ。

新居は北京の南部。2003年12月に完成した22階建ての高層アパートで、彼の住まいは16階。寝室とリビング、化粧室がそれぞれ2部屋ずつ。団地内の緑地面積は全体の40%を占め、有線テレビやブロードバンド、安全セキュリティーシステムも完備している。

「10年前にはこんな素晴らしい家に住めるとは思いもしなかった」と張さん。

張さんは今年38歳、北京市の園林労働者だ。結婚するまでずっと、屋根に瓦を敷いた平屋の家で過ごしてきた。両親のほかに姉が1人いた。広さは僅か14平方メートル。空間をうまく活用しようと、両親のベッドの上に木を組み立てて簡易ベッドを作り、その上で寝ていた。天井に近いので這うようにして上らなければならず、頭をぶつけることもあった。姉は台所に折りたたみ式ベッドを置いて夜を過ごした。

夏は暑さでやり切れない。瓦屋根なので、強い日差しに晒されて部屋の中は水分を奪われた蒸気に覆われ、横になるだけで大粒の汗が流れ、夜明けまで熱気は去らない。張さんは「ベッドに上がるとどんな情景か、想像できるでしょう。ベッドは熱く、枕も熱を帯びている。扇風機もクーラーもない。ベッドの上であっちを向いたりこっちを向いたりしながら、ひっきりなしに団扇をあおいでいましたよ」と振り返る。

暑さをしのぐため張さんの父親は毎日、日が落ちると、長いゴムホースを水道管の蛇口につけて水を屋根にまいたという。

耐え難いのは、夏の暑さだけではない。毎朝起きる“公衆トイレ争い”もそうだ。北京市の平屋が集中する地区では住居のほとんどにトイレはなく、公衆トイレで用を足さなければならない。しかもトイレの数は少なく、行く人は多い。遅く行けば順番待ちだ。急ぎの時は耐えられないことも。張さんが通っていた学校は家からかなりあるので、学校まで我慢することが多かった。

高校卒業後、張さんは園林労働者に。そして2年後に結婚。当時は住宅や医療、年金は職場が面倒をみていた。結婚後は住宅が必要になるが、職場が住宅を建設するスピードを見ると、労働者には永遠に回ってきそうにもない。住宅が出来たにしても、全員に充てられるわけではなく、勤続年数や年齢、学齢に照らして分配されるため、限られた住宅はどうしても彼より年配の労働者に回されることになる。

職場は事情を考慮して、別の労働者に8平方メートルの1部屋を明け渡してもらい、張さん夫婦に住まわせた。今では少なくなった長屋式の低層アパートだ。長い廊下の両側に1間の部屋が幾つも並び、洗面所とトイレは共同使用、食事の用意は廊下でしなければならず、話し声も筒抜け。

だが、こんな部屋でも、人の目を引く。引っ越した後、職場の多くの労働者が不満を露にした。

1987年、父親が職場から1LDKの部屋を分配されたので、張さん夫婦は実家に戻ることにした。長屋での生活はちょうど1年だった。

部屋の広さは僅か30平方メートル余り。姉は既に嫁いでいたので、両親は寝室に、張さんら2人はリビングを寝室代わりにした。「部屋は広くはないが、以前に比べればずっと良くなった。ようやく自分の洗面所が持てたからだ。職場から戻ると、気持ちよくシャワーを浴びたものです」

1年後、子どもが生まれた。子どもの成長に伴い、張さんは部屋の狭さをしみじみ感じるようになってきた。自分の勤続年数や学歴を考えれば、そろそろ本当に自分の家が持てる時が来るのではないかと期待を抱いた。

だが、この時、1988年末から政府は住宅制度の改革に乗り出し、住宅分配という福祉制度を廃止。住宅の直接支給から助成金給付による住宅購入制度に改めたのだ。

北京市は給付する助成金の基準について、建築面積1平方メートル当たり1265元(1元約13円)に定めた。張さんは勤続年数と学歴に基づき、8万元の助成金を受け取った。

2002年、張さんはローンを利用して住宅を購入することを決めた。手付金は12万元。そして2003年12月に住宅の鍵を手にした。この5年前まで、市民は住宅購入ローンそのものに抵抗を感じていたが、今ではかなりの普及率だ。

広い新居を前に張さんは「住宅の改革がなければ、新しい家に住みたいと思っても、いつまで待たなければならないか分からなかった。たとえ分配されたとしても、60平方メートルを超えることはなく、こんな広い部屋は手にできなかっただろう」と喜びを隠さない。

鍵を受け取った日、張さんは両親と妻と子どもと一緒に新居に喜び勇んで駆けつけた。高校1年の長男は今、自分の部屋の設計に余念がないという。ここにはコンピューター、あそこに本棚・・・・・・。

「子どもは私より幸せですよ。私のこの時代には寝ることにさえ苦労した。自分がデザインできるような広い部屋はなかった」と感慨深げだ。

家族と相談して、内装は専門の会社に委託することにしたそうだ。こざっぱりして明るく、モダンな部屋にするという。「引っ越したら祝いの酒に呼びますよ」、と張さんは約束してくれた。