2004 No.15
(0405 -0409)

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「新思考」をめぐる争い

「新思考」をめぐる論戦は戦略利益と民族感情の争いであり、国際関係が完全に利益によって決定されるのは絶対に不可能である。これははっきりしている。

周新華

『人民日報』評論員の馬立誠氏が2年前に『戦略と管理』に発表した日本旅行記は、対日関係についての全人民討論を引き起こした。この討論は、中国の対外関係の中で、対日関係のようにこれほど複雑な歴史と現実の要素がからみ、これほど強い民族情緒を引き起こし、これによってこれほど広く深い関心を集めている問題がないことを示している。中国の政策決定者たちは、対日関係を確立、調整するにあたって、民衆の感情を考慮せざるを得ない。

馬立誠氏はその旅行記の中で、中国は「戦勝国と大国」の気概がなければならず、「日本に対しては苛酷すぎる必要がない」と書き、中国の社会で日ましに蔓延している「狭隘な民主主義情緒」を批判している。氏はその論理性があまり強くない旅行記の中で非常に感性的に対日関係新思考という学術用語を使っている。このやり方は中国人民大学国際関係学院教授時殷弘氏の共鳴と支持を得ている。2003年4月、時殷弘氏は『戦争と管理』に「中日の接近と外交革命」と題する文章を発表し、馬立誠氏の提出した問題を理論的に説き明かしている。「中日関係が悪化しつつある」という憂慮から、時殷弘氏は、両国民衆の相互憎悪情緒がどれだけ高くても、「中国のやれることは、まず自らの関係ある戦略と態勢を最適化させ、それによって中国自身にとって至極重要な利益のために中日関係の大幅改善を促進することである」と指摘している。「中日間の安全面の二つの難題をできるだけ避けるか緩和し」、「中日接近」をはかる「迂回戦略」のため、氏は歴史問題を棚上げにする、日本の対中投資を拡大する、日本の「軍事大国化」問題に対し公に憂慮を表明しない、東アジアにおける中日両国の政治・経済協力を強化する、日本が国連安保理常任理事国になるのを支持するなどの主張を打ち出すとともに、この種の政策調整を「代価の高くない『外交革命』」と称している。

中国社会科学院日本問題研究所の馮昭奎氏は2003年第4、5、6号の『戦略と管理』に「対日関係の新思考を論ず」、「対日関係の新思考を再び論ず」、「対日関係の新思考を三たび論ず」をつづけざまに発表し、対日関係に新思考が必要かどうかに対し肯定的な回答をした。氏は中日経済協力は両国の国家利益が集まる主なところであると指摘した。馮氏が論争に加わったことは、新思考陣営を強固にし、また「新思考」の論戦をいちだんとエスカレートさせた。

「対日新思考」はそれぞれ中日両国メディアの権威筋から「2003年の中日関係十大ニュース」の一つに選ばれた。「新思考」が両国の学術界、世論界で巻き起こした波瀾はまだまだ引き下がっていない。おおまかな統計によると、2003年に、ネットの強い感情的色彩をもつ即興論評はさておき、国内の各種出版物に正式に発表された論争の文章が数百編にのぼり、これらの論文をまとめて中日両国で出版された書籍は少なくとも5種類ある。「新思考」は中国の外交界と国際関係学界の流行語となっているようである。

論争する各側は、中日関係の発展がはばまれている原因が歴史問題にあることに対しては、いずれも異議がなく、食い違いは次のところにある。「新思考論」は陳謝問題がすでに解決したので、歴史問題は棚上げにすべきであり、中日関係の障害は、中国が日本に対し「苛酷」すぎることにあると考えているが、相手側は、日本は政府と民間をとわず、過去の戦争の犯罪行為を率直に徹底的に承認したことがなく、また誠意をもって、なんら保留することなく中国人民に陳謝、悔悟したことがなく、被害者への賠償はなおさら話にならない、したがって責任が日本側にあるのはなんら疑いのないことだと考えている。

人民日報ネットワーク局特約評論員の林治波氏は新思考に疑問をもっている。中国が日本に対し苛酷すぎているかどうかの問題について、氏は中国政府は中日友好に着眼して、日本の中国侵略戦争に対し賠償要求を放棄したが、日本側では歴史教科書を改ざんして、侵略の歴史を否定し、また「有事体制」を確立して、ひそかに台湾海峡問題にかかわり合う人がたえずいると指摘した。氏はまた、自分の観点に共鳴するため、新思考論者は「日本の右翼勢力が大きくない」と強調しているが、これはきわめて誤っており、今日の日本において、政府と大財団は基本的には右翼思想の影響下にあり、多くの政客は右翼言論で票を獲得しているが、これは日本の右翼勢力と右翼思潮の強大さをはっきりと誤りなく引証している。中国に狭隘な民族主義熱狂が存在しているかどうかの問題については、林治波氏は「われわれの民族精神は多すぎるのではなくて、少なすぎ、弱すぎる」と指摘した。南開大学国際関係学院院長の張睿壮氏は「中華民族は日本の戦争犯行を清算する面でやったこと、もっと的確に言えば、大したことをしていないことは、すべての中国人を恥しくさせる」と指摘した。中国の第二次世界大戦中の死傷者数は約3500万人で、ユダヤ人の被害者数約600万人の6倍であるのに、中国人が侵略者の暴行を暴露、告発する面でしたことはユダヤ人の百分の一にも及ばないのである。

日本問題専門家の金煕徳氏によれば、「対日新思考」は中国の対日政策が中国国民の感情から離れてはならないという重要な前提を完全に無視しており、「あたかも日本の国民感情は尊重すべきであって、中国の国民感情は政府によって強行に抑えることができるようである」。氏はさらに対日新思考の最大の欠陥は当面の日本の現実および中日関係の実際からかけ離れ、「日米同盟の強固さ、アメリカが日本を支配する能力と日本がアメリカに追随する意志、日本の中国を防備する心理、日本のタカ派勢力のエネルギー、歴史問題の複雑性をあまりにも過小評価していることであると指摘した。

在米中国学者の薛涌氏は「新思考」に対し、道徳と文化上の堕落、世界時局上の無知、国際政治上の投機と評価している。道徳と文化上の堕落というのはなぜか。氏は「彼らは人の尊厳と生命の価値で取引しようとしているからだ」と指摘する。世界時局上の無知というのはなぜか。氏は日本外交の国策はアメリカのいうことを聞くだけで、「日米関係の枠組みの外で中日関係を発展させようとするのはばかが夢の話をするのと同じだ」と指摘する。薛涌氏によれば、これらの親日論者が回避しようとする事実は、中国が現代化を実現させるには、最大限にアメリカと協力しなければならないということである。氏は、「当面最も大事なのは中米関係間の障害を掃き清めることである。中米関係の改善は対日外交における中国の戦略的地位を高め、アジアにおける中国の地位を強固にすることができる」と指摘した。

「新思考」は国内で批判、非難されると同時に、小泉首相が何回も靖国神社を参拝するとか釣魚島を守る中国人が釣魚島に上陸して日本側に扣留されるといった日本側の行動のもたらすひどい損傷をも受けている。「新思考」の提唱者も自己の立場のために弁護するのをやめたようである。2004年になってから、馮昭奎氏はつづけざまに日本を批判する文章を書いた。氏は「中日関係の発展は『相互促進の過程』である。中日関係に真に新しい局面を切り開くには、中国側の『対日新思考』だけによって推し進めることができず、日本側に『対中新思考』が現れるのも必要である」と指摘した。

しかし、「新思考」をめぐる争いはまだ終わってはいない。馮昭奎氏はまたも2004年第1号の『戦略と管理』に「対日新思考を四たび論ず」を発表して、またも氏の対日新思考を提唱し、それを推進し広めて、「対日新思考」で「対アジア新思考」を促進し、「対アジア新思考」で「対日新思考」を促進することを提唱している。

見たところ、関係ある討論は今後もかなり長い間続けられると思われる。