2004 No.19
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胡同の保護――困難きわまる“戦役”

魯皮皮

千年近くの歴史を有する北京。古都としての北京の風貌を見せるのが胡同(路地・横丁)だ。経済が急成長する今日、胡同の保護は経済発展が優先される中でどんな運命にさらされるのか。

北京市の南池子。秦元章さんはこの地で60年以上生活してきた。市が再開発を決めたため一時的に移転していたが、工事が始まって1年と20日後に再び、74歳の父親と一緒に南池子に戻った。秦さんは「以前は大勢の人が生活し、がたがただった住まいは広くて明るくなり、生活に必要な設備が整った四合院(庭を中心に4面に建物が並ぶ北京伝統の住宅)に生まれ変わった」と喜びを隠さない。各世帯の居住面積は従来の26.84平方メートルから平均69平方メートルまで広がり、厨房やトイレも設置されている。雨風をついて修理をしたり、家から離れた公衆トイレに行ったりする必要はもうなくなった。

南池子再開発プロジェクトについて、建設部都市建設司の李東序・司長は「再開発を巡っては専門家の間でも見解の相違はあったが、歴史的な文化や古跡を保護するためには積極的に模索することが必要だと考えていた。今後の古都の保護作業を円滑に進めるために今、このプロジェクトに関して専門家に真しに意見総括してもらっているところだ」話している。

新たな構想

南池子は故宮のすぐ東側に位置し、古都の風貌を残す庭園式の住宅が並ぶ小さな胡同。史書によると、明代(1368〜1664年)以降に故宮の一角を形成するようになった。この一角は数多くの古代建築物と同様、時代を経ても修理されることはなく、多くの人が居住し、生活施設も古くなり、建物も損壊がひどくて住民は様々な不便を強いられてきた。

経済発展に伴い、また2008年のオリンピックを控え、市政府は都市建設のテンポを加速させているところだ。保護と発展、この調和をいかに図るか。千年の歴史を持つ古都は今こうした難題を抱えている。

「保護事業では一貫して段階的に行うことを、優先的に考慮してきた」。南池子がある東城区の王健清副区長は「我々の目的は住民の生活と居住水準を高めることだが、この両面のバランスをいかに図るかは非常に複雑な問題だ」と指摘する。

文化財保護区に指定された区域にある老朽家屋を改造するプロジェクトの第1弾として北京市政府が作成した南池子再開発計画は、専門家が3度にわたり検討すると共に、最終的に確定した「完全な保護、合理的は併存、適度な更新、文化財の維持、環境の整備、機能の調整、公共施設の改善、交通の円滑化」の原則を厳格に順守することを前提に、2001年末に約2年間の予定で実施された。プロジェクトは既に完成し、開始前の申し合わせで、住民は引っ越した場所にそのまま住んでもよく、また住宅の価格はやや高くなるがここに戻った住民もいる。

完成後の南池子について専門家の評価は高い。中国科学院と中国工程院の会員である呉良緕≠ヘ「建築の風格や工芸、材料や色彩など様々な面で歴史的伝統が非常に生かされており、故宮の建築群とマッチしている」と強調。中国都市企画設計研究院の鄒徳慈顧問は「全体的な構造、胡同のキメ細かさ、文物、価値ある庭園が最大限残されている。この“手術”によって北京の古都としての“容貌”は変わり、そして維持された」と称賛する。

劉敬民副市長は「老朽家屋の改造は2003年に新たな進展を遂げ、改造と都市の発展と歴史文化都市との関係についても徐々に明確な道筋が見え始めてきた。最初のプロジェクトである南池子の再開発では、都市建設と古都の保護、改造と古都の保護に関して『保存・更新・維持』という新たな考え方を打ち出すことができた」と強調する。

2004年には全市で2万世帯が転居して25万平方メートルの再開発工事が始まる予定。うち故宮の範囲内と歴史文化保護区が重なる地区でのプロジェクトについては、市政府は保護規定条項に基づき、保護区の保護・改築政策を考慮しながら保護区モデルに照らして実施すること決定。これは改造に当たっては「古いものを壊して新しいものを建設する」方式を採用しないことを意味している。三眼井や前門、大柵欄、白塔寺、煙袋斜街、玉河の6カ所が試験プロジェクトに指定されている。

胡同の保護は焦眉の急

「胡同」という言葉が最も早く出現したのは、1267年の元代。北京に建都した時の蒙古語の「忽洞」がその由来だ。当初は両側が高く、中間が低い狭く長い地形を意味していた。明代に路地や横丁の代名詞となって既に、700年余りの歴史を持つ。元(1206〜1368年)や明(1368〜1644年)、清(1616〜1912年)の3代王朝が都を置いた期間に、北京は徐々に大小様々な胡同によって皇室や貴族の邸宅と庶民が暮らす四合院とに分割されていった。胡同はまるで血管のように市内の各所に分布している。胡同は悠久の歴史の産物であり、北京の豊かな歴史を反映したものだ。

数百年にわたり風雨にさらされてきた胡同は、古くから北京に住む人々の生活の歴史を象徴するものであり、北京文化の縮図の1つでもある。胡同は中心部でかなりの面積を占めており、市街地の3分の1の人口がその周辺で生活し、古くからの生活スタイルがそのまま残されている。

住民によると、有名な胡同は306を数えるが、無名な胡同は数え切れないほどだ。1980年現在、通りや横丁(広義の胡同)は6000本以上を数え、胡同と直接呼ばれているものも1300本を超す。大小様々な胡同をつなげれば、万里の長城になるとも言われるほどに多い。

だが都市建設の急速な発展に伴い、胡同も急激な変化にさらされるようになってきた。その姿は変わり、消え去った胡同もある。2003年版『北京年鑑』によると、2002年に新規掲載された地名は66、うち胡同の名称を持つのは63に過ぎない。多くの耳慣れた胡同は今や人々の記憶に残る名称でしかない。このままいけば2、30年後に胡同の名称は無くなる可能性もあり、専門家や民間人は胡同と四合院の保護を訴え続けている。

旧市街に現存する建物の多くは2000年初めに改築工事が行われたが、人口増と資金不足、ガスや暖房など関連公共設備の整備の遅滞など、四合院の住民の大半は生活に不便さを感じていた。だが今、伝統のある胡同、四合院の保護と、社会・経済の急速な発展と市民の居住条件の改善の間で新たな矛盾が顕在化している。

こうした問題をいかに早急に解決するかが、北京市政府が直面する現実的な問題だ。市政府ではたとえ回り道をしても、古都としての風貌を保護するのが重要だとする意識が高まっている。

北京市は昨年末から都市建設の新たな政策を実施し始め、古都の保護を立法化する計画だ。今年2月、『北京の歴史文化古都保護条例(草案)』を政府のWEBサイトで公開し、市民に意見を求めた。この『草案』は、旧市街地の保護計画範囲内で再開発や建設、改築を行う場合は、保護計画で保護が確定された碁盤式の胡同の構造を破壊してはならないと規定。主要な道路を計画・建設する場合には、歴史文化保護区を避け、文化財や保護建築物を移転させてはならないとしている。いかなる事業体や個人であれ、旧市街地に建物を建設する場合は保護計画で規定された高さを超えてはならないとも規定されている。

北京市建設委員会によると、市政府は古都全体の保護と歴史文化保護区、保護文化財、この3つの観点から保護体系を策定した。指定された40カ所の歴史文化保護区の面積は、旧市街地全体の42%にのぼり、保護区に確定されたことで旧市街地の多くが保護されることになる。老朽家屋改造プロジェクトの審査・認可でも、旧市街地が盛り込まれている。

保護かそれとも発展か

南池子の再開発は計画立案から完成まで大きな論議を呼んだ。これは実際、数十年続いてきた北京という古都をいかに保護するかの論議の延長上にあった。

南池子のほか、大柵欄や瑠璃厰の再開発計画も老朽家屋の改造と古都の保護との関係を円滑に処理し、「保存・更新・維持」を実現する上で参考となる。3件の政策制定に参与した建設委員会の専門家で、北京市古代建築研究所の王世仁・主席研究員は「歴史文化街の保護は、文化財の保護とは別の事だ。数年前、文化街の保護が停滞したのは、この2つの概念を混同したからだ」と指摘。

この考え方について、王研究員は「歴史街の保護については、保存するだけではだめで、発展させなければ実際に合致しない。古い家屋を残すだけではだめで、文化を保護し、保護と発展を視野に入れなければならない。文物は物を見ても人は見なくてもよく、古きを見ても今を見なくてもいい。だが歴史文化街は先ず、人が活動する環境、人が居住する環境であるため、それを維持する必要があり、住民を全て移転させる必要があるなら、街を博物館にすればいい。だが、北京の歴史文化街には多くの人が住んでいるため、両者を同一基準で量ってはだめだ。文物は物をもって本となし、歴史文化街は人をもって本としなければならない。歴史街の保護は単に古い建築物自身を指すのではなく、保護するのは古い文化なのだ。保護すると同時に中国の特色を持たせる必要があり、それには先ず、現有する文化街の性格、数量を明確にした上で、『保存・更新・持続』の方式を採用して、都市のキメ細かさ、歴史的遺物、歴史的情報を反映した建築物や胡同、建築様式を保護していくことが必要だ。既に完成した南池子もそうだが、再開発が始まった大柵欄や瑠璃厰もこうした考えに基づいて行われている」と説明する。

この間、中国科学院や中国工程院の数名の会員や専門家からは「仮に南池子のやり方を旧市街地全体で推し進めれば、真に古い市街地を取り壊し、古代を模倣した建物を新規に建設することになり、重大な結果を招く」との建議書が提出された。

作家の舒乙氏はある作品の中で「当今、1つの文明ある古都の風貌、特にその核心となる地域の保護については一般に、2つの異なるやり方と原則が存在する。1つは、外殻は動かさず、内部で現代化を実現するというものだ。いま1つは、古い建物を壊して新しい建物を造ることだ。南池子の再開発では従来、胡同や四合院は微調整に留め、1つひとつ個別に対処し、大鉈は振るわないはずだった。だが実際に施工が始まると、基本的には第2の原則に沿って走ることになった。つまり、かなりの面積で古い建物が壊されて新築された。このやり方は検討すべきだ。その弊害は古い胡同や四合院を過多に撤去することにある。このような旧市街地の再開発では確かに発展し、現代化されたものにはなるだろうが、都市としての歴史的持続性は失われてしまい、固有の歴史・文化的風貌を保持するにはマイナスである。後世に残されるのは21世紀初頭に徹底的に改造された新しい北京であり、建都850年の味わいのある古い北京ではない。北京の貴重さは“古さ”にあり、“新しさ”にあるのではない。北京の“古さ”は世界で独自のものであり、北京の“新しさ”はむしろ共通性に溢れている。北京は“古さ”の中に“新しさ”を求めるべきであり、これが“古い”北京を保護し活用する出発点だ」と指摘。

北京大学建築額研究センターの方?教授は「たとえ念入りに設計した改築でも、古代建築物本来の姿を変えてしまうことがある。胡同や四合院を保護しなければならない一方で、都市を建設し、住民の居住条件を改善しなければならないというのは、真に大きな矛盾だ。理論的に、胡同の保護に反対する人はいないだろうが、実際には非常に難しいことだ。一旦、古代建築物が破壊されてしまえば、我々は永遠にそれらを失うことになる』と警鐘を鳴らす。