2004 No.24
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深センの喜び

李 子

5月19日8時30分、深セン市南東路5045号の深セン証券取引所にて。

「長い間沈黙を続けてきたが、この日がついにやって来た」と深セン証券取引所のある係りはぶつぶつ独り言を言う。

長沙中聯重工科技発展株式有限公司(中聯重科と略)が2000年10月12日に深セン証券取引所に上場した日から、深セン証券取引所のGEM設立が認可された日まで、深センは1311日間沈黙を保ってきた。

GEMの設立に対し、深セン証券取引所の係りは表面上は平静さを装っているが、内心は喜びでいっぱい。「シャンパンも祝賀パーティーもないが、雰囲気には雲泥の差があり、会議が多くなったことが大きな特徴だ」とある係りは言う。あらゆる部門担当者は平均して会議が1日三つ以上もあるという。

2004年の夏の陽射しのもとの深センは、またも喜びをあらわにスタートを切ることになった。

金融センターの夢

5月18日は広東の人たちにめでない日と見なされている。なぜかというと、「518」という数字は広東語の「我要発(私は金持ちになる)」という発音に近いからである。市政府と金融界の人々にとって、この日は「歴史的な日」であり、それは同市の金融センターの地位が確立され、同市の発展が強大な原動力を持つに至ったことを意味している。

「これほど長い間待ちこがれてきて、やっと望ましい結果を目にすることができた」と深セン市科学技術局のある担当者は感慨深げに言う。   

2000年9月、深セン証券取引所は新株発行を停止し、二部市場「創業ボード」を企画、創設することになった。しかしその後、アメリカのナスダック市場や国内における変化によって、「創業ボード」の創設は棚上げされ、深センは見捨てられたという感じを味わい尽くした。新株発行停止後の3年間に、深センの経済と金融業は大きな衝撃を受けた。これについて、国信証券有限公司のあるレポートには詳しい説明がある。「統計データが明らかにしているように、新株発行停止後の20カ月に、深センの新株応募の凍結資金は一カ月当たり2800億元も流失し、それと関連のある会員機構の決済資金も1カ月当たり160億元近く流失した」。「また一方では、新株の引き受けと発行を便利にするため、一部の証券会社は中核部門を東部地域に移し、ひいては会社全体が上海に引っ越した。こうした状況を受けて、上海をベースとしようとする新しい証券会社が増えた。

深センの金融業の基盤が崩れる動きを見せた。資本市場の融資機能がなくなったら、中国のベンチャー・キャピタルシステムを真に形作られることは不可能となり、数多くの科学技術タイプの中小企業も資金不足の厳冬にさらされることになった。これも深センのいま一つの支柱産業であるハイテク産業にも間接的に打撃を与えた。人々は深センの将来に明るい展望がもてなくなった。

新株発行停止が深センの金融業と経済の発展に与えた衝撃は、全国の金融センターとなろうとする深センの夢の土台を揺り動かすことになった。深センが見捨てられたのではないかということが一時期話題となり、同市の将来の展望にも陰りが見えるようになった。

中国共産党第16期3中総で採択された「中国共産党中央委員会の社会主義市場経済体制整備のいくつかの問題に関する決定」は深センのGEM発行にとっては春風が吹いてきたようで、深センはまたにも希望がもてるようになった。

もちろん、深センは金融業の中核的地位を放棄することに甘んじることはなかった。金融業をもう一度振興するため、深センは金融業発展をサポートする「18カ条」およびその施行規則を打ち出した。李鴻忠深セン市長は、「市政府は金融業の発展をサポートするため、かつてない強力な措置を打ち出した。その目的は、深センが金融業の発展に最も適したところとなるようにすることである」と語った。

深センの金融業は前進の歩みを止めたことはない。2003年末には、金融機構の人民元と外貨の預金残高は7100億元に達し、年初より20%伸びて1180億元増となり、融資総額は5425億元に達し、年初より23%伸びて1005億元増となった。

「深セン市は中国の中小企業が巡礼する聖地となる。中小企業は融資を得るために代価を払い、投資者は利潤を得るために最も身近な市場を訪れることになる。これは資源、とりわけ貨幣資源が深センに集中することを意味している。この点から見れば、3年間の沈黙は無駄ではなかった」とある業界のベテランはこう語る。

外部の質疑

金融センターとなる夢ついては、「事実上、深センの金融業は次の苦境を避けることができない。つまり、中央政府は上海を中国の金融センターに作り上げようとしていることである。なぜかというと、深セン市のすぐ隣に早くから国際金融センターである香港が存在しているからである。そのため、深セン市の金融業は中国の金融業のトップに立てないことが運命付けられている」と見る人もいる。

「深セン証券取引所の新株発行は上海証券取引所に大きな影響を及ぼすことはない」と業界の人々は見ている。新株発行が事実であっても、上海証券取引所と張り合うことは難しいかもしれない。深センの金融面の位置づけについて研究を続けている国信証券綜合研究所所長の何誠穎博士は、昨年、発行審査にパスした新株の中で、5000万株以下の中小企業株主の数がそれ以上をもつ大株主の数よりはるかに及ばなかった、と述べている。

現在、GEMの発行が認可されたことで、一部の人は深センが中国3番目の金融センターとなるのではないかと幻想を抱くようになった。実は深センにとって懸念はまだたくさんある。

「深セン証券取引所のメインボードはまもなく上海証券取引所に併合され、来年実施され始めることになる。深センにとって唯一の望みはGEMと将来の「創業ボード」をりっぱに育て上げることである。それができないなら、深セン証券取引所までも上海証券取引所に併合されてしまう可能性があり、大きく見積もっても上海証券取引所のブランチとなるだけのことである」と深セン大学金融研究センターの任国世教授は語った。

これに対し、マーケット・リーダーはそれぞれの言い分を主張している。上海証券取引所と深セン証券取引所は機能から取引ルールに至るまで基本的に同じで、メインボードの公司を全部上海証券取引所に併合することに合理性があると見ている人もいるが、2つの証券取引所は同時に設立された市場なので、資本市場である以上、その発展は競争の中で実現されるべきであり、現在は深セン証券取引所のメインボードの運命について議論するのは時期尚早であると見ている人もいる。

「GEMに集中されている企業は深センの優良企業であり、これらの企業は中国の未来を代表するものであり、メカニズムも申し分なく、成長の潜在力も大きく、企業の発展の方向を代表する生命力のあるものであり、現在の株式市場に活力を注ぎ込むものである」と深セン銀行業監督管理局の於学軍局長は強調している。現在、深センにとって何よりもまず解決しなければならないのは、いかに香港の金融業との分業を推し進めるかということである。

株式制度についての専門家の劉紀鵬氏は、「深センは中小資本市場体系の構築に目を向けるべきである。今後、上場廃止の譲渡代理システム、財産権取引センターで形成された全国の場外取引システムをもその中に組み入れれば、深セン証券取引所の今後の発展はアメリカのナスダックに似たパターンとなる」と見ている。

ところが、二部市場、三部市場、大量のベンチャーキャピタル、産業投資基金、科学技術担保システム、中小民営銀行、中国国際ハイテク成果取引会などからなる地域イノベーションシステムは深センが足場を固める根本であるという見方もある。この基礎があれば、大量の証券投資基金、個人投資公司はこのシステムを利用して、深センのために資本の創出と移動の場を作り出すことができるという。

深センはいったいどのような道を歩むのか、香港との協力は多くの専門家によって必然の選択と見なされているが、両地は法律システム、貨幣システムなどの面に違いが存在しているので、アライアンスはまだ方向の一つに過ぎない。劉紀鵬氏は、大陸部を背景とする深センは「己れを主とし」、着実に発展をはかり、現在香港証券取引所とアライアンスすれば、どちらを主とするか、いかに2つの創業ボードを繋ぎ合わせるか、それをいかに監督、管理するかなどアライアンスの過程でぶつかる諸問題は、深セン証券取引所を歩めば歩むほど道が狭くなるという境地に追い込むことになるのではないか、と見ている。