2004 No.25
(0614 -0618)

アドレス 
中国北京市
百万荘大街24号
北京週報日本語部
電 話 
(8610) 68326018 
(8610) 68886238

>> 社会

 

法治の政府を樹立

--国務院は約10年間にわたる絶え間ない努力を経ることによって、法治の政府樹立の目標を基本的に実現することを提出した

凡仁

今年4月、国家工商総局商標局のかなりの地位にある人が行政案件に応訴するため出廷した。この案件は中国では「政府機関の高官が始めて出廷して応訴することになった行政案件」と見なされ、マスメディアの注目を集めた。その後、国家工商総局側はインタービューに応じた際、今後、国家工商総局を被告とするすべての行政案件はそれぞれの関連ある高官が出廷して応訴することになると語った。

以前中国では、裁判所が審理する行政案件は行政機関のトップか高官が出廷して応訴する前例は非常に稀れであったが、被告側の行政機関は自分たちのスタッフと弁護士各1名に委託して訴訟代理人として応訴するのが普通のやり方であった。そのため、「この意味から言えば、行政長官が自ら出廷して応訴することは、政府の行政法治意識が向上するようになっていたことを示すものである。行政長官が自ら出廷して応訴することは、被告者としての行政機関が司法権力が行政権力に対する監督と制約を尊重していることを示している。(『工人日報』の社説による)。

司法機関に対する行政部門の姿勢の転換は、中国の行政権力部門が法的施政の面で実践段階に入ったことを示している。国務院は今年開催された第1回全体会議で科学的かつ民主的な政策決定の実行、法による施政の堅持、行政監督の強化という三つの基本的準則が確立された。この三つの基本的準則の核心は行政権力を規範化し、最終的に法治の政府の樹立を目指すものである。

中国政府のこの執政理念はだんだんと確固とした行動に転化しつつある。そのうち、最も注目しなければならないのは、昨年SARSと戦っていた重要な時期に、国務院は法律手段の採用を高く重視し、まず「伝染病防治法」を改めて公布し、続いて「突発公共衛生事件応急条例」を速やかに制定した。これに対し、「SARS戦役とのたたかいの勝利は、かなりの度合いにおいて中国政府の法的施政の勝利を示すものである」という社説を掲載したマスメディアもある。

4月20日、中国政府は法的施政をさらに推し進め、国営通信社の新華社は全文発表の権限を受けて国務院が打ち出した「法的施政の全面的実施についての綱要」(以下「綱要」と略)を公布した。「綱要」は今後一時期、中国が法的施政の全面的実施を手配するとともに全面的に法的施政を推し進め、約10年間にわたる努力を経ることによって、法治政府づくりという目標をまっとうすることを打ち出している。

それは法治の政府の樹立が中国で夢から現実へと変わり、宣言から行動へと転換し、政府に対して提出する要求が政府の自覚にもとづく自己制約へと転換することを示している」と国家行政学院法学部の応松年教授は語っている。

法治の政府樹立の切迫性

1999年、中国は「法によって国を治め、社会主義法治国家を築き上げる」という戦略的政策決定を初めて打ち出し、憲法の改正を通じて「法治国家を築き上げること」を中国の根本的大法に組み入れた。

1999年11月、国務院は「全面的な法的施政に関する決定」を公布し、各クラス政府と部門の法的施政に明確な要求を提出し、重点を手配した。それにもかかわらず、中国でいつ法治の政府が築き上げられるのか、どのような形態の法治の政府が築き上げられるかについては、学者の言説と紙面の上で表現にとどまっているが、法的施政の傾向、青写真を正しく認識せず、はっきり把握していない政府部門と上級国家公務員が少くない。そのため、ある度合において中国の法的施政のプロセスと効果に影響を及ぼしている。

4月20日に公布した「綱要」によると、社会主義市場経済体制の完備、社会主義政治文明の整備、法によって国を治める要求と比べて法的施政はまだかなりの隔たりがあり、主に行政管理体制が社会主義市場経済発展の要求に適応していないため、法的施政が数多くの体制的障害に直面していること、行政政策決定プロセスとメカニズムがそれほど完備していないこと、法律があってもそれに依拠せず、法律執行が厳しくなく、法に違反しても追究しないというようなことがしばしば発生し、大衆からの苦情が非常に強いこと、行政行為への監督制約メカニズムが完全なものではなく、一部の違法或いは不当な行政行為を適時に、効果的に制止、是正しないことなどが現れている。

現在、中国は全面的にいくらかゆとりのある社会を築き上げる新しい時期に入り、人民が主人公となって政治に参与する権利を保障し、政府の執政能力を高め、政府が諸項目の職責の履行を確保することは、政府が自らを築き上げるための要求でもあれば、人民の期待するところでもある。これは政府の厳しい法的施政により高い要求を提出するものである。

そのため、国務院法制弁公室の曹康泰主任はこう語っている。「新しい形勢の要求に適応するため、国務院が「綱要」を公布し、今後一時期に法的施政の手配を全面的に推進し、法的施政の中の問題を解決するのは非常に必要なことである」。

いかに法治の政府を築き上げるか

「綱要」は政府の転換と行政管理体制の改革、制度の整備、法律の実施、科学的かつ民主的な政策決定、政府の情報公開、紛争解決メカニズム、行政監督と公務員の施政意識と能力など7つの面で法的施政の具体的な目標を提出した。

行政政策決定の分野では、「綱要」は政策決定への追跡フィード・バックと責任追究制を確立し、より健全なものにすることを提出し、「政策を決定を行うものが責任を負う」という原則に基づいて、政策決定権と政策決定責任の統一を実現する。この制度は行政政策決定機関と政策決定要員が慎重に政策を決定することの監督に役立つ。

なが年来、民主と科学の政策決定メカニズムに欠けているため、かなり多くの行政政策決定は盲目的なものであった。政策決定に明確な情報フィード・バックと追跡制度が制定されていなかったため、政策決定が正確かどうか適切かどうかを判断することが難しかった。特に重要な政策決定は往々にして集団指導の結果であり、顕著な政策決定に誤りが発生すれば、責任を負う人がなく、国と社会に深刻な経済的損失をもたらすことになった。

そのため、「綱要」は大衆の参与、専門家によるフィージビリティースタディー、政府政策決定が結びついた行政政策決定メカニズムを構築し、より健全なものにすることを提出している。法に基づいて機密を守るべきもののほか、政策決定事項、その拠り所と結果は公開しなければならず、大衆はそれを検索・照合する権利がある。全国あるいは地域の経済社会発展の重要な政策決定事項および専業性がわりに強い政策決定の事項に対し、前もって専門家に必要性と実行可能性の論証を行わせるべきである。重要な行政政策決定は政策決定過程で合法的論証を行わなければならない。同時に、行政機関は機構と要員を確定し、定期的に政策決定の執行情況に対して追跡とフィード・バックを行い、適時に関連政策決定を調整し、充実させるべきである。

行政法律執行の分野で、最も注目すべきことは法律執行の責任制を実行していることである。一部の地方では、多くの公務員が権力の行使だけを重視し、引き受けた責任をないがしろにしているため権力の濫用、相手側の利益を損う違法行為が発生している。これに対し、「綱要」は公開、公平、公正の法律執行評価考課制度および法律執行のミスと誤審案件追究制の確立を提出しており、これは法律執行に存在する違法越権行為を防止することに役立つことになろう。

「綱要」は行政機関要員が法によって行政情況の考課制度を提出し、法律による考課制度を確立し、より充実させ、法的施政の情況を行政機関の関係要員を考課する際の重要な内容とする。同時に、行政機関の定期報告制度を確立する。地方各クラス人民政府は定期的にそのクラスの人民代表大会及びその常務委員会と上のクラスの人民政府に法的施政の情況を報告すべきである。

なが年来、不適切な「政治的業績観」と幹部考課方式が行政機関及び関係要員への正確な評価基準をねじ曲げ、地方保護主義が深刻化した。以前幹部の考課で強調された「政治的業績」は、ほとんどが経済的ノルマで評価していたため、多くの指導者が単に経済的利益を求め、資源や環境を犠牲にすることを代償として飛躍的な発展を求め、畸形的な競争と地方保護主義を生み出すことになっているのである。

そのため、「綱要」は正しい政治的業績観を樹立しなければならず、とくに法治の役割を強調しなければならない、としている。即ち、公務員とくに指導者の政治的業績を評価する場合、まず、憲法と法律を正しく執行し、厳格に法に基づいて施政しているかどうかを見ることである。法律違反、法治ぶちこわしの方式で地方の経済発展を目指す行為に対し、それを政治的業績と見なされないばかりか、地元の指導者の法律執行の責任を追究すべきである。

法治の政府を築き上げることは複雑なプロセス

中国人民大学行政管理研究所所長の毛寿竜博士によると、法治の政府を築き上げることは複雑なプロセスを経なければならず、このプロセスの中で、国務院が行政文書で法的施政を大いに推進し、法治の政府を築き上げることは非常に重要な取り組みである。国務院の努力に頼るだけでは足りず、法治の政府を築き上げることは、行政の仕事の推進を必要とし、最も重要なのは一人一人の努力に頼ることである、と見ている。

歴史的視点から見れば、法治の政府を築き上げる目標は、いっぺんで成功することは不可能である。何世代もの人々の努力を必要とするのである。