2004 No.25
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新たな段階を迎えた中日韓の
経済協力と東アジアの経済協力

中国・国務院発展研究センター副局長   張雲方

中日韓3カ国首脳は2003年10日、インドネシアのバリ島で、新しい世紀において三国の協力をさらに促進、強化するための共同宣言--『平和と繁栄の戦略パートナーシップに向けて』を発展し、北東アジア経済協力の基本的枠組を構築することになった。これと時を同じくして、アセアン(ASEAN)も歴史的意義をもつ『バリ島宣言』を発表し、メンバー国10カ国が2020年末までにアセアン経済共同体の設立を達成することで合意した。これらの動きは、中日韓の経済協力--すなわち中日韓自由貿易区(FTA)と東アジア経済共同体(ECEA)の構築が、また重要な一歩を前へと踏み出し、発展の新たな段階を迎えたことを示すものである。

一、中日韓の経済協力と東アジアの経済協力は21世紀における世界の歴史発展の自然であり、東アジア経済の発展と協力の自然である。

20世紀末葉に、ソ連が解体し冷戦が終結したのち、経済のグローバル化の潮流が世界全体を席巻し、平和と発展が時代の主旋律となり、それと同時に、経済のブロック化も目覚しい勢いで発展を遂げ、グローバリゼーションとブロック化は当面、世界経済の発展を突き動かす、滔々と流れる激流となっている。

北アメリカでは、アメリカをはじめとして1994年にカナダ、メキシコが加盟する自由貿易区は(NAFTA、1992年に調印)が形成された。そしてこの自由貿易区は今や南アメリカへと拡張されつつある。2001年の第3回米州首脳会合の際に、34カ国が2005年末までに、アメリカを含めた米州自由貿易区(ETAA)発足をめざすタイムテーブルを正式に始動させた。

ヨーロッパではEEC(欧州経済共同体)を基礎として、1993年にEU(欧州連合)が正式に形成され、2002年には単一通貨ユーロの使用が実現し、EUも拡張を続けており、東欧もEUの活動に積極的に参加するようになっている。

統計データによると、現在、世界においてさまざまな自由貿易実体がすでに200を上回り、70%の貿易がブロック内の貿易としてすすめられている。

NAFTA、EUの活力に富むブロック内の経済協力に比べると、アジアは非常に立ち遅れているように見え、この地域の経済が非常に活力に富んでおり、世界の成長の極といっても好いにもかかわらず、依然としてバラバラでまとまりのない経済体のままの状態にある。NAFTA、EUの発展の現状にアジアは触発されている。近年、アセアン、中日韓と東アジア地域経済協力の構想が水面に上浮し、望ましい方向へと進展している。

二、中日韓及び東アジアにおける経済協力の歴史的意義と現状

世界的な地域経済協力の前途は、地域内の経済発展に対するその寄与にあり、又、それは市場経済のプロセスの中の必要かつ有益な段階であるということにある。地域経済協力は、域内の経済構造のより一層合理的なフェーズへのグレードアップと産業競争力の向上を促すことができるばかりか、域内各国の関係の協調をさらに前進させ、相互理解と相互信頼をさらに深め、域内の政治、社会の相対的安定をもたらすことも役立つ。中日韓及び東アジアにおける経済協力の意義は正にここにあるわけである。

1、中日韓および東アジアにおける経済協力はこの地域の経済発展の現段階における共同の要請である

第二次世界大戦終結後の半世紀余において、東アジア経済には目を見張るべき変化が起こった。とりわけ、中日韓三国の経済の発展は、戦後の世界の歴史における奇跡を作り出した。20世紀60年代、70年代における日本経済の奇跡、80年代における韓国の漢江奇跡と改革、開放政策実施以来の中国経済のテークオフはいずれも目を見晴らせるものがあった。前世紀後半以来の半世紀における東アジア経済の発展のパターンは、正にいま亡き日本の大来佐武郎が言われたように、雁行モデルとも言えるものであった。日本経済という先頭をゆく雁の引率の元に、韓国、シンガポール香港および台湾といった国および地域の経済が前後してテークオフし、後のものが前のものを追う経済発展のチェーンのようなものが形成された。だが、前世紀90年代に、アメリカではIT革命と経済発展の強い勢いが現れ、さらには日本のバブル経済の破滅があり、とりわけ1997年のアジア金融危機の勃発によって、それまでの東アジア経済のチェーンは大きな衝撃にさらされ、挑戦を受けることになり、経済のグローバル化とブロック化の急速な発展にともなって、中日韓とアジア経済は構造的な調整に直面することになった。こうした苦難を経ることによって、各国はだんだんと地域経済協力の必要性を認識するようになった。なかんずく、中日韓三国の経済は粗放的な、低い次元での垂直分業という経済関係から、より一層幅広い、高い次元での水平分業と相互補完の経済関係へと発展すべきではないかということが認識されるようになった。これは中日韓と東アジアにおける経済協力がさらに高い次元へとグレードアップし、持続的な発展をめざすための歴史の要請であった。

2、中日韓と東アジアにおける経済協力はこの地域の平和と安定が必要とするところであり、国家間の隔たりをなくし、相互信頼をさらに深め、友好関係を打ち固めるうえで必要とするものである。

冷戦終結後、平和と発展は世界の主流となった。しかしながら、東アジアでは冷戦の構造が依然と存在し、世界で二つしかない、民族の統一をまだ実現していない国がいずれもこの地域に集中しているのである。しかも、国家の統一以外に、過去から積み残された問題も少なくなく、境界線の確定、領土をめぐる紛争など潜在的な問題も存在している。中日韓と東アジアにおける経済協力は、経済面の往来と切実な利益を通じて、各国に相互間の依存関係を身を持って知るようにさせ、それによって相互信頼を深め、友好を促進し、国家間の友好和睦を実現することができるのである。こうした経済協力によって政治の対話を引き出し、相互関係を改善するやり方は、実践によって地域の安定と発展のためのベストな方途、最善の方法であることが裏付けられている。

20世紀80年代末に提起された北東アジアにおける図門江経済開発は、まさしくこうした地域安定を元とする理念である。キム・デジュン氏(金大中)の「太陽政策(包容)」も、このような戦略的考慮に基づくものである。2002年11月に、中国とアセアンの間で調印された『非伝統的な安全分野に関する共同宣言』、『南中国海行動宣言』、ならびに2003年に中国と東南アジア諸国の間で調印された相互不可侵条約などは、いずれも地域経済協力の産物といえる。

わたしは、中日韓と東アジアにおける経済協力がもしもスムーズに進むならば、この地域の政治、社会のかつてない安定をもたらし、平和と繁栄の好き世が現れることは疑いない、と思うのである。

ヨーロッパが経済協力の道を歩むようになったこととアジアのことは比べることはできない。それまでの歴史において、ドイツとフランスの間には色々な恨み辛みが積み重なっていたため、20世紀50年代にヨーロッパ連合のようなものを作ることが提起された際、それはアラビアンメントのようなお伽話か、狂気じみた話と観られていた。しかしながら、ドゴール将軍などの根気のある努力のもとで、ヨーロッパ連合(EU)は20世紀末にとうとう姿を現し、しかも、人々にとってとても信じがたい単一通貨--ユーロまでできた。EUはアジアにとっては手本であり、ヨーロッパ諸国の間の過去の歴史問題に比べて、東アジアには経済協力に影響を及ぼす難問があるというのか。もしも中日韓と東アジアにおける経済協力体制が真に日の目を見るようになるならば、私は朝鮮半島と台湾海峡の問題が平穏に解決されると見ている。

3、中日韓と東アジアにおける経済協力はこの地域のすぐれた文化を振興し、発揚させるうえで必要とされることであり、人類の文明をより豊かにするために必要とされるものである。

中日韓と東アジア各国は同じく東洋文化圏にあり、各国の文化にそれぞれ違いはあるといっても、しかしながら、基本的に同じ理念をもつものであり、それは中庸と云われる「和を貴しとなす」という思想、すなわち協調のフィロソフィーにほかならない。そのコア(核心)をなすものが強調しているのは、理解、礼儀を厚くして譲り合う、人を助ける、人と溶け合う、といったもので、追い求めているのは「理」であり、強きを以て弱を侮る行為を敲くものである。これは西側諸国の武力を以て天下の勝敗を決し、強いか弱いかをもって英雄を論じる価値論とは、はっきりと異なるものである。2000年以上も昔の春秋戦国の時代に、孔子は治世の為の四つの哲学を唱えている。孔子は、武力をもって世を治めることはもっとも取るべきでなく、人をもって世を治めることは偏りすぎる嫌いがあり、法をもって世を治めることはあまりにも堅苦しく、最も理想的なのは徳をもって世を治め、人々に政治を感じさせない政治をもってし、人々は日出づる時に仕事を始め、日没する時に休み、腹を敲して攘を撃つ、という考え方をもっていた。孔子の唱えたこのような相い敬うこと賓のごとく、相い親しむこと己れのごとき、人々が自らを律する世界は、東アジア諸国の価値観のなかでも認められている。私は、徳をもって治めることは、人類社会の至上の境地であり、人類社会の発展の最高の段階である、と見ている。もちろん、法治、つまり法をもって治めることは武治と人治(武をもって治めることと人によって治めること)よりは、歴史の中での一大進歩であるが、しかし、それは結局のところ最もすばらしいものではない。市場経済がなぜ人類社会の発展における窮極の形態ではないのかということの道理もそこにあるといえよう。

中日韓と東アジアにおける経済協力は、東洋文化のすぐれた部分を最大限に守りぬき、発揚することに役立ち、その結果、それが西側の文化に飲み込まれてしまわないですむようになるのである。なぜそういうかというと、戦後において西側の文化が、良いも悪いもひっくるめて東洋文化を侵食し、とりわけIT革命の発生によって、西側諸国は東洋文化を核とする日本の奇跡、韓国の奇跡を否定しはじめ、東洋文化は捨て去られる瀬戸際に追い詰められることになった。地域経済協力の良いところはそれが異なった、すぐれた文化を吸収すると同時に、ニセモノを捨て去り、本物を残してそれぞれの地域の文化の粋を保存し、それを発揮させることにある。自民族の文化を持たない、自らの地域の文化をもたない民族と地域は、その民族と地域の滅亡に等しいのである。私は、20世紀70年代末に、今は亡き大平正芳日本国元首相が提起した環太平洋協力構想という考え方の深層に含まれる意味は正にこのことにある、と思うのである。

4、中日韓及び東アジアにおける経済協力の現状

A,アセアン(ASEAN)10+3協力の現状

前世紀90年代の初めに(1992年)、東南アジアの国々はアセアン経済体(CAFTA)の構想を打ち出した。1997年のアジア金融危機以後、CAFTAの構想はより一層認知されることになり、統合への足取りは加速された。1997年の年次大会において初めてアセアン10カ国と中日韓3カ国が一堂に会して話し合う局面が現れることになり、アセアン10+3の会合の幕が切って落された。これは東アジアにおける経済協力が新たな歴史的段階に入ったことを示すものである。1999年のアセアン10+3の会議に際して、非公式首脳会合は「東アジア・ビジョン・グループ」を発足させることを決定し、『東アジア協力共同声明』が採択された。この会議の期間にキム・デジュン大統領の提案で、中日韓三国首脳会合の朝食会が行われることになった。2000年には、「チェンマイ・イニシアチブ」が採択され、通貨スワップが実現した。

2003年10月に、アセアン10+3会議において、メルクマールとしての意義のある「バリ島会合U」が調印され、2020年までにアセアン自由貿易区を創設して、ゼロ関税を実現することをはっきりと打ち出した。

中国は従来よりアセアンの地域経済協力に参加し、1999?2000年に、中国とアセアン諸国の間で相前後して二国間関係についての枠組文書に調印した。2002年11月に、中国とアセアンとは「包括的な経済協力枠組協定」に調印し、10年以内に中国とアセアンの自由貿易区を作ることを決定した。自由貿易区の実施は二つのステップに分けてすすめられることになり、まず最初にアセアンの在来の6カ国が2010年にゼロ関税を実現し、その後にその他の4カ国との間でのゼロ関税の実現を促し、いち早く調印し、いち早く実施し、いち早く成果をあげるという積極的な原則(アーリーハーベスト)に則って、農産物は2004年から関税の引下に着手して、自由化することになった。事実上、2003年10月以後、タイの果物はすでにゼロ関税の前提のもとで中国市場に入ってきている。2002年には中国はさらに1950年以来のカンボジアの中国からの約10億ドルの借款の返済要求を放棄することを明らかにするとともに、カンボジアが早期にアセアン統合の足取りについていけるようにするため、カンボジアに無償資金供与および無利子借款としてそれぞれ人民幣5000万元を提供することにした。

2003年10月には、中国とアセアンの間で歴史的意義のある「東南アジア友好協力条約」に調印するとともに、「包括的な経済協力枠組協定」の補足取り決めと情報通信覚書を交換し、「平和と安定のための戦略的パートナーシップ」の共同声明を発表した。

中国は又、アセアン亜地域における経済協力に積極的に参加している。2002年には「中国がメコン川亜地域協力諸国に参加する報告」を発表した。中国とアセアンとの間ではすでに中国の雲南省、タイ北部、ベトナム中部、ミャンマー北部の間の幹線道路の建設、アセアン域内との通信ネットワークの整備、観光などのプロジェクトについて合意に達した。中国は10年間に10億ドルを投資して人材育成を含む11のプロジェクトの建設に参与することを決定している。中国はすでに雲南省からラオスを経由してバンコクに至る南北経済回廊、ミャンマー、タイ北部からライス、ベトナム中部を経由する東西経済回廊の建設に参与することを承諾し、国境外から電力を購入する覚え書きに調印し、南北経済回廊のラオス領内の道路建設の三分の一の費用を中国側が負担する意思を明らかにしている。中国は又、アセアンが考えている汎アジア鉄道の建設に参加したいとの意思を明らかにし、アセアンの人材資源開発をサポートするため、中国・アセアン基金に対して500万ドルの追加増資を行うことを明らかにした。

日本とアセアンとの地域協力も早い足取りで追い付いてきている。2002年に小泉首相がフィリピンの大統領と会談した際、アセアン諸国と「ともに歩み、ともに進むコミュニティ」という戦略的な姿勢を明らかにした。2003年12月、日本は東京でアセアン特別首脳会議を開催し、この会議には、次の二つの成果があった。一、地域経済協力を促すための「東京宣言」と「アセアン・日本行動計画」を発表したこと。二、日本が東南アジア友好協力条約に加入することを明らかにするとともに、3年間にアセアンに30億ドルの援助を提供することを約束した(これはメコン川流域経済の開発と人的資源の開発に用いられることになっている)。

日本はシンガポールのみと自由貿易の二国間協定を結んでおり、韓国、マレーシア、フィリピンとは目下交渉が進められている。2004年2月16日、日本はバンコクでタイとの間で新たなラウンドの自由貿易交渉(昨年から正式の交渉に入った)を始めたが、農産物の自由化などが原因で、交渉は妥結に至らなかった。3月19日、1年4カ月の努力を経て、日本とメキシコは原則的に自由貿易の二国間の合意に達した。

韓国はアセアン地域経済協力について、一貫して積極的な姿勢を示し、それを促し、協調をはかる中堅的役割を果たし、関連諸国の間で好評を博している。

B、中日韓自由貿易区(FTA)の進展状況

中日韓自由貿易区の構想は、韓国のキム・デジュン大統領がもっとも早く提出したものである。2000年のアセアン10+3の会議の期間に、中日韓三国首脳は朝食会を行い、中日韓三国の自由貿易区の問題に対して、朱鎔基総理は三国が協力して、フィージビリティー・スタディーを行なってはという提案をし、中日韓自由貿易区の創設ということはこれをもって実質的な段階に入った。

三国の研究機構は三年来、きめ細かな、真剣な、科学的かつ客観的なつっこんだ研究を行ない、前後して中日韓の相互投資、中日韓自由貿易区のそれぞれの国のマクロ経済に対する影響、企業に対するアンケート調査と経済面での効果などについて、中身のあるレポートを提出した。企業に対するアンケート調査は、日本の78.7%、中国の85.3%、韓国の70.9%の企業が三国自由貿易区の創設に賛成していることが明らかになっている。三国研究機構の研究結果は、中日韓三国自由貿易区の設置は、三国経済構造の調整、産業配置の最適化、製品の総合的競争力の向上を積極的に推し進めるものであり、三者にとってともにメリットのある理想的な協力形態であることを物語っている。もちろん、短期的に見て、各国にとってのメリットは大小さまざまである。静態的に推算した理論的データでは、10年間において日本のGDPはそれによって0.1-0.5%押し上げられ、中国のそれは1.1-2.9%、韓国のそれは2.5-3.1%と見られている。しかしながら、実際の動態的効果は、静態的な理論的データよりはるかに大きい。又、他のレポートでは、中日韓の自由貿易区ができれば、中国、日本、韓国にとってのGDPの増加幅はそれぞれ2.9、0.48と3.5ポイントに達しうる、としている。

2003年10月、中日韓三国はアセアン10+3の会議の期間に、三国研究機構の「三国自由貿易按排の経済に及ぼす影響」という研究成果を踏まえ、全面的な話し合いを経て、「中日韓が三者協力を推し進めることについての共同宣言」を発表した。朱鎔基総理はその前に、中日韓三国がまず経済貿易、情報通信、環境保全、人材育成と文化教育などの五つの分野で自由貿易協定を締結する提案を行なった。中日韓三者の共同宣言は、三者間の協力にはすでに確固とした基礎があり、三者間の協力をさらに拡大し、深化させる三国の間のそれぞれ二国間関係の安定した発展をさらに促すうえでプラスとなるばかりか、東アジア全体の平和、安定と繁栄を実現するうえでもプラスとなる、ということを確認している。共同宣言は又、中日韓が三者委員会を発足させて、既存の三者間の協力について検討、企画、監督することを明らかにしている。それと同時に、三国の研究機構は、三国間のより一層緊密な経済パートナーシップを構築することを中心とする研究を繰り広げるとし、三国間の自由貿易区の早期実現に対する信念を表明した。

上述のアセアン10+3協力の状況と中日韓自由貿易区の進展状況は、東アジアにおける経済協力がすでにその進展をさらに加速するための全面的な話し合いの段階に入ったことを物語っている。

アセアンは5億3000万の人口を擁し、年間貿易総額は7000億ドル以上に達し、中日韓の人口は約15億に達し、三国間の貿易総額は約2500億ドルに達し、もし東アジアにおける経済協力が早期実現しうるならば、世界最大の潜在的市場に対する最もすばらしい開発となることは疑いない。

三、中日韓および東アジアにおける経済協力のモデルと問題点

1、中日韓および東アジアにおける経済協力のモデル

中日韓および東アジアにおける経済協力の原則とその性格はオープンで、透明的で、排他的ではなく、差別的なものではないことである。

中日韓および東アジアの経済協力のモデルをめぐって、当面、色々な論議があり、関連諸国も検討と話し合いに力を入れている。

A,組織面のモデル

当面、世界ですでに形が出来上がっている地域経済協力は、その組織面でのモデルは主に二種類のものがある。一、北米自由貿易区パターンのもの(NAFTA)、二、ヨーロッパ経済共同体パターンのもの(EU)。EUの組織モデルは、組織機構の権限が加盟諸国の主権をはるかに上回るものであり、家族の高度な統一というようなものであるが、主導権が一国に集中しているものではない。このようなモデルはEU経済体各国の政治的地位、経済のレベルが相対的に均一化しているという特徴を集中的に具現している。北米自由貿易区の組織モデルはEUとまったく異なっている。カナダ、メキシコの経済的地位、政治上の発言権がアメリカと比べて落差が非常に大きいため、アメリカの主導のもとでの経済連合体である。

ところが、中日韓とアセアン、東アジアの政治、経済を見るならば、ヨーロッパと同じようなところもあれば、北米と類似したところもある。中日韓およびアセアン、東アジアは同じ東洋文化圏にあるという角度から見れば、私はこの地域の経済協力の組織モデルは、EU型でもなく、又、北米型でもあるべきではなく、混合型のようなものであるべきで、権限の面で平等であり、それぞれが強みを発揮し、共同で決定を下し、統一的に実施に取り組み、主権を尊重し合うものであるべきだと考えている。このような組織モデルは各加盟国の積極性を存分に発揮させることができ、しかも強みのある国のリード役を否定することもなく、それぞれがその可能性を十分生かし、長所を伸ばし短所をカバーし、メリットをともに享受する効果を目にすることができる。

B,組合せの仕方

組合せの仕方から見れば、中日韓、アセアン、アセアンと中日韓の10+1と東アジアなど、その組合せの仕方には、いろいろなものがあってもよい。当面、各国が重点として検討しているのはさまざまな組合せの仕方が自国にどれだけの影響を及ぼすか、プラス、マイナスはということである

日本経済研究センターは6種類の組合せの仕方について検討を行なった。日本とシンガポール、日本とシンガポール、韓国、日本とシンガポール、メキシコ、日本とシンガポール、メキシコ、韓国、日本とシンガポール、韓国、アセアンと中国、ならびに中国、シンガポール、アセアンの組合せがそれである。その結果、日本、シンガポール、メキシコ、韓国という組合せの仕方が日本にとって最も有利で、GDPを0.18ポイント押し上げることができるが、しかし、中国のGDPは0.03ポイント低下することになる。日本、シンガポール、韓国、アセアン、中国といった組合せの仕方は日本と中国にとってプラスとなり、比較的に理想的な組合せである。日本国際フォーラム政策委員会の「東アジア経済共同体構想と日本の役割」という政策提言は、東アジア経済共同体の組合せは、なにはさておき日本、韓国、シンガポールが主導的役割を果たすべきであり、中国はWTOに適応する法律システム、経済システムを健全化させなければならないので、まだそれ相応の条件が整えていない、としている。そしてこの政策提言は、中国の沿海地域の経済特別区を経済区域としてまず東アジア経済共同体に参加させてもよく、又、独立した経済地域として、台湾と香港も東アジア経済共同体に参加すべきである、としている。

私は個人的には次のように考えている。東アジア経済共同体は中国を欠くべきではなく、中国は経済体のなかでの主導的地位を追い求めることはないが、しかしながら、区域内での相互補完、協調、協力とともにメリットを享受するメカニズムを追い求めることを放棄することはない、というのがそれである。

C,協力分野

協力分野のモデルから見るならば、情報産業、相互間の投資、環境保全、観光、教育などの分野で、まず、協力を行なう案や産業貿易、金融、亜地域、サービス業、通貨のバスケット方式の案など多々ある。私は個人的には、分野をめぐっての協力はまずやさしいものから着手し、そして難しいものへと進み、大局にかかわる、戦略的な重要分野に対して重点的なブレーク・スルーを目指すモデルの方が良い、と見ている。2003年1月に朱鎔基総理が提起した中日韓三国がまず経済貿易、情報通信、環境保全、人材育成及び文化教育の五つの面で自由化の協定を締結してはという案は、正にこうした理念をもととするものである。

2、中日韓及び東アジアにおける経済協力の問題点

中日韓及びアセアンと中日韓の10+1、ならびに東アジアの経済協力はすでに東アジア各国の政治日程に乗せられている。しかしながら、それがスムーズに伸展できるかどうかは、なお次のいくつかの主要な点がどう解決されるかを見なければならない。

A,だれがトップとなるかという問題

長年、中日韓と東アジア経済協力の進展が早くなかった重要な要素は、だれがトップとなるかの問題にあった。うわべから見ると、関連する国の条件が熟しておらず、積極的ではないように思われるが、実際は経済協力におけるイニシアチブの問題が絡んでいるのである。中国は早くも前世紀80年代にすでに世界において決してトップに立たないという考え方を提示した。この考え方は今日においても依然として変わっていない。前述のとおり、東アジアにおける経済協力の組織モデルはひとつの国がイニシアチブを独占すべきではないが、しかし、これはいくつかの代表的な国が連合してイニシアチブを握ることを排除するものではなく、又、強みのある国が積極的に先導的役割を発揮することを排除するものではない。日本はこの地域における唯一の先進国で、世界第二の経済大国であり、日本が先導的役割を発揮するのは当然のことである。それと同時に、韓国、シンガポールなどの新興工業国とアセアンが政治的集団、経済実体として、ともにイニシアチブを発揮するのも自然のことである。地域協力は大きな家庭のように、連帯し合い、仲良くし、平等で自由であってこそ初めてみんながより向上し、繁栄し、発達することができるのである。

B,産業空洞化の問題

中日韓、アセアンと中日韓10+1ならびに東アジアにおける経済協力の中で、経済の発達国々は、地域経済の発展、産業のシフトに伴って、自国経済に空洞化が現れるのではないのか、という懸念を抱いている。ところが、実際はどうかというと、中日韓および東アジアにおける経済協力では、経済の発達した国々と経済の立ち遅れた国々は、より多くの面において相互補完の関係、分業の関係にあり、産業構造の最適化の方が産業の競争より多いのである。中日韓三国について云えば、中国を「世界の製造工場」とみなすものがいるにもかかわらず、実情はどうかというと、中国はただ輸入した部品を組み立てているに過ぎず、これらの部品は通常は技術レベルの高い国、例えば日本、韓国、シンガポールで生産され、そしてこれらの国々は中国の相対的に低い人件費コストを利用して中国で組み立て作業を行い、最終的な完成品は、エンドユーザーのいる市場に出荷されるものである。中国は大きく見ても、製造のエンジンの役割を果たしているだけで、サプライチェーン全体を握る生産を受け持ってはいないのである。中日韓三国の経済形態から言うならば、基本的には相互補完の関係の一種であり、日本は技術集約型、資本集約型に属し、韓国はその中間の技術を保有しており、中国は労働集約型と初級的な技術集約型である。2002年の日本の製造業白書は、日本企業はもはや中国を単純に生産基地とはみなしてはおらず、それを生産基地でもあり、又、販売市場でもあるとみなしている、と述べている。

C、農産物問題

中日韓、アセアンと中日韓10+1ならびに東アジアにおける経済協力の中で、農産物の問題はかなりやっかいな問題となっている。日本は農産物の自給率が非常に低く、米だけが自給できていくらか余裕がある状態にある。農産物労働力コストが非常に高いのに、国内の政治的要因によって、農産物の自由化の問題で、日本はずっと開放を拒んできた。韓国の農業は日本とほぼ同じで、毎年30万トンの米が過剰となり、3-4万ヘクタールの水田がその他の作物を作付けせざるをえない窮地にあり、しかも一ヘクタールの耕地にその他のものを作付けするために、国は350万ウォンの補助金を給付しなければならなくなっている。中国の農業は労働生産性が非常に低く、コストも非常に高く、農業近代化の指数はわずか31%で、63%の人口が農村に住んでいる。農産物の問題の上で、中国もかつては自由化すれば巨大な衝突にさらされるのではないかと懸念したこともある。しかしながら、発展という角度と戦略的な角度考慮して、中国はアセアン諸国との間で決然として農産物自由化の取り決めを結んだのである。

D,政治体制と冷戦思考

中日韓、アセアンと中日韓の10+1ならびに東アジアにおける経済協力には、なお形こそ目に見えないが、人々の思考をがんじがらめにしているものが存在しており、それは政治体制と冷戦思考にほかならない。冷戦がすでに終結しているにもかかわらず、東アジアにはイデオロギーの異なる国が存在しているため、政治制度によって線引し、それらの国を脅威又潜在的脅威とみなす冷戦思考が依然として存在しており、それ故に、区域協力の進捗をゆゆしく妨げている。このような色眼鏡を取り外さないなら、真の区域経済協力の実現は非常に難しい。

E,政治決断の問題

中日韓三国の企業に対するアンケート調査から三国の企業は区域経済協力に大賛成であることがわかる。東アジア各国の全般的な動きから見ると、区域経済協力を最も積極的に唱道しているのは学者と研究者であり、その次は産業界、財界、ビジネス界で、最も保守的なものは政界と官僚である。かなりの場合、すばらしい学術上の論証があるにもかかわらず、遅々として最終的決断を行なおうとしないのである。中日韓、アセアンと中日韓の10+1ならびに東アジアにおける経済協力の進展ぶりから見ても、今や政治決断を行なうべきである。チャンスとタイミングはたちどころに消え去るものであり、それをもう一度手にすることはできない。チャンスを逸することは、発展の空間を失うことを意味し、失敗を意味するものである。中日韓および東アジアにおける経済協力は政治家たちが決然として政治的意思決定を行なうことを呼びかけているのである。