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2004 No.32
(0802 -0806)

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元中国駐日本大使、
ケ小平氏の2度の訪日を回顧 

報道によると、符浩元中国外交部副部長(元駐日本中国大使、89歳)はケ小平氏の訪日の全行程を収めたアルバムを収蔵している。符浩氏はこのほど記者の取材に応じ、これらの歴史的写真をもとに、ケ小平氏との貴重な思い出を語った。

当時国務院副総理だったケ小平氏は、1978年10月22日から29日までの間、「中日平和友好条約」締結文書交換式に参加するため訪日するとともに、日本に対し初の公式訪問を行った。

符氏は、ケ小平氏がホバークラフトと新幹線に乗った時の写真を指し、「この訪日では、政治的な活動のほか、最も多く訪問したのは、鋼鉄工場、自動車工場、電気器具工場など日本の大手企業だった。ケ小平氏はさまざまな新技術をすべて試そうと、ホバークラフトや新幹線に乗った。帰国後すぐに中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議が開催され、改革・開放となった」と語った。

ケ小平氏は京都に向かう新幹線ひかり81号に乗った時、記者に感想を尋ねられて、「『速い』の一言に尽きる。まるで誰かがわれわれを押しながら走っているようだ。われわれは今、走らなくてはならない」と意味深長に語った。

日産自動車を見学した後、ケ小平氏は「ここに来て現代化や近代化とは何であるかがわかった。工業先進国、特に日本産業界のわれわれに対する協力に感謝したい」と語った。

ケ小平氏はさらに、1979年1月に米国を訪問した後、わざわざ日本に立ち寄り、短期間滞在した。奈良を訪れた時、宿泊したホテルでちょうど結婚式があるのを知ったケ小平氏は、自ら結婚披露宴の会場に行き、新郎新婦に祝賀の言葉を贈った。

符氏は日本での記者会見で撮影した大型の写真を取り出し、ケ小平氏の知恵とユーモアにあふれた言葉が日本人に深い印象を残したことを話した。日本の記者が当時、釣魚島とその周辺の島々(日本名は尖閣諸島)の帰属問題に触れた時、ケ小平氏は条約の中にあるこの敏感な話題について、「この問題はわれわれと日本の間で論争があり、釣魚島を日本は『尖閣諸島』と呼び、名前からして異なる。この問題はしばらく置いてよいと思う。次の世代はわれわれより賢明で、実際的な解決法を見つけてくれるかもしれない」と述べた。

符大使はこのほか、こぼれ話も披露してくれた。ケ小平氏が初訪日で日本の国会議員と会見した時、「徐福東渡」(秦の始皇帝時代の人物、徐福が不老不死の薬を求めて中国から日本に渡った伝説)に借りて、「日本には不老不死の薬があると聞く。今回の訪問の目的は、第一は批准書の交換のため、第二は日本の旧友の努力に感謝を表明するため、第三は不老不死の薬を探すため」と語った。このユーモアあふれるコメントは、すぐに日本の各大手メディアに報道された。会見の翌日、和歌山県から一鉢の植物が届いた。聞いてみると、徐福は到着した和歌山県で不老不死の薬を見つけており、それは「マンネンタケ」という植物で、送られてきたのはそのマンネンタケだったという。符氏がすぐこれをケ小平氏に報告すると、ケ小平氏はほほ笑んでうなずきながら、「ならば大使館で取っておきなさい」と語ったという。