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2004 No.34
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>> 中国指導者の見解


中日関係に関するケ小平氏の語録

ケ小平氏は外交活動において、かつて日本を訪れたこともあり、頻繁な外交日程の中で最も多く会見したのは日本の賓客だった。ケ氏は中日関係について何度も談話を発表している。ここにその一部分を紹介する。

未来を見据えた友好協力

「中日友好の歴史は長い。われわれ両国の間には一時期、不幸な出来事があったが、しかし、中日両国の2000年余りにわたる友好的往来の歴史の長い流れの中においてはごく短い一瞬のことでしかない。」(1978年10月23日、福田赳夫首相主催の歓迎宴で)

「中日両国の経済分野における協力の余地は大きい。われわれは日本に学ぶところが多い。日本の科学技術と、さらには資金の助けを借りることもあり得る。」(1978年10月25日、日本記者クラブで行われた記者会見で)

「中日関係で述べなければならない話はたくさんある。しかし、ひと言でまとめて言えば、中日両国人民は世代を超えて友好を築いていくということだ。わが党の第12回代表大会がこの点を強調したことからもわかるように、これは中国の長期にわたる国策なのだ。」(1982年9月28日、鈴木善幸首相との会見で)

「中日関係を長期的視野から考慮し、発展させなければならない。第一歩は21世紀まで置き、さらに22世紀、23世紀へと永遠に友好を発展させなければならない。このことは中日両国間のあらゆる問題の重要性を上回るものだ。」「中日関係の発展では、われわれ双方はいずれも問題をより長期的に、より広く見なければならない。これはわれわれの間の関係発展に寄与する。こうした協力はどちらか一方に有利なのではなく、双方にとって、両国にとって、両国人民にとって有利なのだ。」(1984年3月25日、中曽根康弘首相との会見で)

「『中日両国人民は世代を超えて友好を築いていく』のスローガンは、われわれみんなの理想を代表している。このスローガンは30年以上も前に示されたもので、きょう示されたものではない。まただれか一人が示したものでもなく、中日両国が示したものだ。」(1987年5月3日、日中友好協会の宇都宮徳馬会長との会見で)

「毛沢東主席、周恩来総理は、世代を超えて日本との友好を築いていかなければならないと、われわれに何度も重ねて述べられた。中国の指導者が変わっても、この政策は変わるものではない。中日両国と両国人民が友好を築けない理由はない。」(1987年6月28日、第5回中日閣僚会議の日本側代表との会見で)

新しく古い紛糾を冷静に対処

「中日間にはいかなる問題もないわけではない。たとえば、釣魚島(日本名は尖閣諸島)問題、大陸棚の問題。しかし、このような問題は今、引っ張り出す必要はない。ちょっと横において、それから落ち着いて討論し、双方が受け入れられる方法をゆっくりと相談すればよい。われわれの世代で解決方法を探し出せなくても、次の世代、次の次の世代が解決方法を探し出せるだろう。」(1978年8月10日、園田直外相との会見で)

「最近、日本の閣僚による靖国神社公式参拝問題が起きた。ここ数年、われわれが日本に難題を突きつけたことはない。それなのに、日本の教科書問題、最近の靖国神社参拝問題、それに蒋介石遺徳顕彰会の問題と、われわれには大きな難題を突きつけてくる。」「中日友好関係の継続的発展を願う立場から、私は日本の政治家、日本政府の指導者、友人各位にこの問題に関心を抱いてほしいと言いたい。」「日本側にとって、こうしたことをしなくても、いかなる損害ももたらさない。こうしたことをしなくても、両国間の経済政治関係を平静に、安定して、持続的に発展させることができる。本当に理解しなければならないのは、ここだ。」(1985年10月11日、安倍晋太郎外相との会見で)

「日本の政界の一部の人が日本人の感情を非常に強調していることに、われわれは留意している。彼らには中国人民の感情を忘れないよう注意してほしい。最近、いくつか面倒なことがあった。たとえば靖国神社への参拝やその他のことだ。こうした問題はわれわれ両国の間の貿易不均衡などよりさらに本質的で、さらに実際的で、さらに重要だ。」(1986年8月5日、二階堂進自民党最高顧問との会見で)

「率直に言おう。日本は世界で中国に最も借りの多い国だ。」「戦後、一部の人は一貫して軍国主義復活の傾向を持っている。そんな人は少数だが、力は小さくない。彼らは終始、日本の戦後憲法を別の角度から解釈することを忘れず、中日間に隔たりを作り出そうとすることを忘れない。これは不幸なことだ。」(1987年6月4日、日本公明党代表団との会見で)

「多少不愉快なことは適切に処理しなければならない。これは両国と両国人民のいずれにも寄与する。中日関係史上の紛糾は、率直に言って中国側に責任がない。歴史を認識し、歴史を評価する際に、新しく前を見る姿勢を強調しなければならない。面倒を起こしてはいけない。必要のない新しいいざこざを起こさないことだ。今のこれらの紛糾の中で、中国が引き起こしたものは一つもない。これらの問題に対し中国は人民への説得を含めて最大の自制の姿勢をとっている」「われわれ双方が長期的な視野から問題を考慮し、長期にわたる問題を解決しなければならない。現在と将来に恐らく発生するだろう紛糾は、いずれも冷静かつ迅速な共同協力で、できるだけ早く解決し、われわれの長期にわたる関係発展に影響しないようにしたい。」(1987年6月28日、第5回中日閣僚級会議の日本側代表との会見で)

ケ小平氏は晩年、日本の賓客に「私はもう定年退職したが、中日両国関係の発展にはまだ関心を持っている。われわれ両国は隣国であり、私は中日友好にある種の特別な感情を持っている」と語った。偉人はすでに去ったが、声と姿はなお残っているようであり、精神は永久に存在する。中日関係には時に波風や雑音があるが、われわれは先人の「中日両国人民は世代を超えて友好を築いていく」とのメッセージと生前の願いを胸に刻みたい。「中日友好を望まない一部の人に対する唯一の方法は、友好を絶えず強め、協力を発展させることだ。それが彼らへの答えとなる」。