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2004 No.34
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特集・チベット自治区の宗教

神秘的な高原、悠久の歴史、豊かな文化、濃厚な宗教的雰囲気、質朴で善良な住民……。チベット自治区はその独特の魅力で人びとの目を引きつけて止まない。

20年ほど前に始まった改革開放によって中国全土に重大な変化が生じたが、現在、チベットはどんな姿をしているのか。住民はどんな暮らしをしているのか。近代化によりチベット族の宗教信仰や文化、伝統は変わったのか。

しばらく前、記者はチベット自治区と甘粛省の甘南チベット族自治州、青海省の海北チベット族自治州などを3週間ほど取材で訪れた。今後、各地での見聞録をシリーズでお伝えしていく。今回はチベットの宗教状況について。

宗教的な雰囲気が随所に

封靖

この高原にいて強く肌に感じたのは、宗教的な雰囲気、香りだった。五色の「経幡」(ジンファン・旗)が風にひるがえり、白色の石を積み上げた大小様々な「瑪尼堆」(マニトゥイ)が静かに道路わきに横たわっていた。寺院や廟では線香の煙が絶えることなく、鮮やかな民族衣装に身を包んだ信徒たちが、「転経筒」(ジュアンジントン・教典を記した回転する筒)を手にしながら歩いていく。これがチベットの最も日常的な光景だ。

チベットの人口は現在、270万人。92%以上がチベット族で、大多数がチベット仏教であるラマ教を信奉している。寺院や廟、宗教活動の場所は1700カ所を超え、僧侶や尼僧は約4万6000人。その他のところと同様、宗教の自由は法律で保護されている。

中央政府が宗教・文化遺産を保護し、信徒に環境の良い宗教活動の場所を提供するため、80年代から拠出してきた修築・新築費用は5億元以上にのぼる。

寺院・廟――スー油の灯は途絶えることがない

「ほんとに上手に語ってくれています、語りがほんとに上手」。大昭寺でラマ僧のガイドが同寺とラマ教の歴史、故事について観光客に説明していた時だった、傍にいたチベット族の中年女性が小声でしみじみと語った。彼女は今回、夫と一緒にラサ郊外から参拝に来たが、年に少なくとも2回は訪れているという。こうした故事や仏教の道理を以前聞いたことがあるか、と尋ねると、ほとんど聞いていると答えた。「幼いころからお年寄りが話すのを聞いたり、ラマ層から聞いたり、何回も聞いてきました。聞くのは好きです」

ラマ教を信仰するチベット族にとって、寺院や廟は神聖な場所。各地にある寺院や廟には毎日、多くの人が参拝に訪れているが、有名な大昭寺やシガツェの什倫寺などでは、信徒の参拝が後を絶たない。什倫寺のラマ層は「この数年、参拝者の数が急増しています。生活が以前に比べ良くなって、交通手段も改善されて、遠隔地の人にとっては参拝が一層便利になった」と話していた。数多くある有名な寺院や廟は観光客から参観料を取っており、料金も異なる。だが、信徒は全自治区すべての寺院と廟を無料で参拝できる。

信徒たちは参拝に訪れると、仏像に拝して神のご加護を願う。仏像の前にある灯にスー油を注ぐ。遠方から来た信徒の多くは固体のスー油を購入し、それぞれの仏像の前に来ると、灯の皿にスー油を置く。近隣からの信徒は家からスー油を入れた瓶を携え、それぞれの皿に油を注いでいく。また香を焚くための木の枝、「隅桑」(オウサン)を香炉に差し入れる。大半の信徒は必ず寄付をする。どの仏像の前にも、額面は異なるが数多くのお札が積まれている。ラマ僧は「信徒の心が誠実であれば、寄付の多寡は重要ではありません。少々の寄付をしたいけれど、手元に大きなお札しかない場合には、寄付を管理するラマ僧がお釣りを渡すことにしています。信徒たちは皆、自然なことだと思っている」と話していた。

寺院や廟の外では、信徒たちがジュアンジントンを手で回し、経文を唱えながら時計の針の方向に歩いていた。ジュアンジンと呼ばれるものだ。寺院や廟の境内や外では頭を地につけて拝礼する信徒の姿もあった。これもラマ教独特の敬虔な拝礼だ。経文を唱え、手をクロスにし、頭を高く掲げながら更に前へ、胸を前へと押し出すと両手を胸から更に突き出して、手のひらを下に地面と平行に伸ばしながら、そして膝から地面に着いて身をかがめ始めて、全身をかがめると、頭を地面に軽く叩きつける。再び立ち上がって、この動作を何度も何度も繰り返していく。各地からラサに通ずる大小様々な道筋で、こうした光景を常に目にした。信徒たちは家を出ると、3歩足を運ぶたびに、頭を地面に叩く。この様に、信徒たちは自らの力に気を配りながら、仏のいる門に通ずる道を目指して突き進んでいく。目的地に到達するまでには、数十日かかるのが普通だ。

チベット歴の6月4日は、ラマ教にとって重要な祭日。釈迦牟尼が成仏して初めて教典を説いた日とされる。この日、人びとは寺院や廟に詣でるのが習慣で、ことにラサ市にある大昭寺前の広場は多くの人でごった返す。寺前に置かれた2つの香炉には煙がたなびき、年老いた人も、若い人も、信徒たちは次々とオウサンをつぎ足していく。頭を地に叩く信徒や僧侶もそうだ。多くの人がジュアンジントンを回していた、時計の針の方向へと。経文はまるで大昭寺を取り囲むように巡りめぐっていく。

「おばさん、こんにちは!」。寺の前で写真を摂っていた時だ。十代の2人の男の子が丁寧な言葉で話しかけてきた。2人は兄弟で、両親と一緒に遠い牧畜地帯から大昭寺に参拝に来たという。ラサまで一路、頭を地に叩きながら要した時間は20日余り。2人とも好奇心が強く、元気が良く、礼儀をわきまえていた。「どこから来たの?」「北京はいいところ?」「飛行機って、何人乗れるの?」・・・・・・。デジタルカメラにも興味を示したようで、パネルに映った自分の顔を見ると、興奮しきりだった。すると、彼らは自慢の物を取り出して言った。「これって、チベットの刀だよ」。1人が「僕のお守りだ」と言うと、もう1人が首に掛けていたお守りを見せてくれた。取ろうとすると、彼は身をしりぞけた。「父さんが言っていた、女の人は触っては駄目って」。「ごめんなさい、知らなかったの」と言うと、なまりの強い言葉で、こう言った。「大丈夫だよ。父さんが言っていたよ、知らない、っていうのは、間違いじゃないって」

五色のジンファン――藍天の風にひるがえる

ラサから山南(シャンナン)まで車を走らせた。海抜5000メートルを超す行程で、およそ8時間かかった。加えて高山病。同行者のほとんどがやや気分を悪くしてしまった。それでも、眠りに就こうとした時に突然、眼前が明るくなった。五色のジンファンが前方の緩やかな山の斜面で風にひるがえっていた。あたかも式典に揺れる旗のように。五色のジンファンは、人跡の少ないこの地で、紺碧の空と真っ白な雲をバックに、まるで映画の特写でも見るように震撼させてくれた。

ジンファンの大半は大小様々な細長いシルクで作られている。色は青に白、紅、黄、緑色。布は一定の順序に沿って1本の縄の上に縫い付けられてから、山の斜面の高いところに吊り下げられる。経文や鳥獣の図案がぎっしり印刷されたジンファンもあり、チベット族にとっては幸福と幸運を希求する吉祥物だ。風がジンファンを1回揺るがせば1回、経文を唱えたことになり、神への敬虔と敬意を表すことができる、と彼らは信じている。

学者の考証によると、ジンファンには悠久の歴史がある。古代の「ベン」教の文化の産物とされ、後にラマ教がこの形式を踏襲すると共に、発展の過程でその他の民族の文化を吸収して今日の形式に融合、発展してきたといわれる。そしてチベットの地で、独特の文化的景観を呈するまでになった。

チベットに滞在している間、ジンファンは何度も目にした。高山や河・湖畔、寺院、家屋、テントの屋根の上、巨石、古樹など。霊気が漂うと思われるところにはいずれもジンファンがあった。

山南(シャンナン)地区白朗(バイラン)県の村から車を走らせると、家々の屋根の四隅にジンファンが飾られていたが、多くの家が国旗も一緒に掲げていた。夕日を受けて、ジンファンと五星紅旗は風にたなびき、静かな小村を元気づけているかのようだった。

マニトゥイ――静かに道路わきに横たわる

シャンナンの小高い丘にある雍布拉康(ヨンブラカン)は、チベットで最古の宮殿。紀元前2世紀に建立され、ダライラマ5世の時に寺院となった。宮殿に向かう山道を、10歳ぐらいの男の子が歩いていた。手にしたこぶし大の石を額にあてながら、口の中で何かをぶつぶつと言っている。しばらくすると、その石を路傍に横たわるマニトゥイに置いて、一緒にいた父親と先を急いでいった。

このような石の堆積は山道のあちこちに点在していた。ピラミッドの形をしたもの、円形になったものと、実に色々で、大きな石は部屋の半分もあり、小さなものは茶碗大にすぎない。

チベットでは都市部の郊外や農村部の田野、村の道端、山の至るところでこうした累々と積み重ねられた石の堆積が目に止まる。チベット族の人びとはこれをマニトゥイと呼ぶ。チベット族は長年にわたり、石を1つひとつ重ねてマニトゥイを作ってきたが、そこには彼らが内心から祈る気持ちが込められている。人びとは老若男女を問わず、歩いていようと、馬に乗っていようと、その場所から進む場合には時計の針の方向に沿って左側から体を回していく。中には何周も回る人もいる。誰もがこうして無病息災と長寿を祈っているのだ。

信仰――それぞれに事情は異なる 

乃東(ナイドン)県昌珠(チャンジュ)鎮に住むラジュ老人は、今年63歳。2階建てのチベット族伝統の家に暮らし、部屋は大小合わせて十数室あり、2階の1室を仏堂にして仏像を安置している。仏前にともされた灯は一年中尽きることはない。

ラジュ老人は当地でも裕福なほうだ。チベットでは、経済的に恵まれていれば、1部屋を仏堂にするのが一般的。その余裕がない家庭では、起居する部屋に仏像を安置している。敬虔な信徒はもちろんだが、とくに時間のある老人たちは毎日のように経文を唱え、仏像を拝んでいる。忙しさに追われる若い世代も、時間をつくっては仏を敬う。重要な祭日や、婚姻など大きな出来事がある時には、ラマ僧を呼んで念仏し、法事を行うのが通例だ。

チベット族の大半がラマ教を信仰しているが、そうでない人もいる。シガツェで出会ったビィンバドゥンジュさんも、その1人だ。彼は政府機関で仕事をしている。家族はいずれも敬虔なラマ教の信徒だが、彼自身は幼いころからずっと信じていないと言う。「これまで、信仰について父と言い争ったことが時たまありましたが、信仰を捨てるよう説得するつもりはありませんでした。悪いことではないからです。一方、父は以前には息子を説得しようとしていましたが、もうあきらめています。ただ、仏教によって人間になれるのだ、という道理をもって、息子に対して、人と社会のためになることをできるだけ多く行うよう求めている」と話していた。