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2004 No.34
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英語が流暢なラマ僧ガイド・ニマツレンさん

封靖

ラサにある大昭寺で修行に励むニマツレンさんは、英語のできるラマ僧として内外の観光客の間で知られたる人物だ。流暢な英語で語る大昭寺の歴史や仏教の道理の説明に、称賛と不思議さを感じる外国人観光客から決まって、「どうして、そんなに英語がうまいのですか? なぜ英語を学んだのですか?」と尋ねられる。

「観光客に接するのに必要だからです」、とニマツレンさん。チベットが対外開放されたのは1980年代初め。その後、大昭寺を訪れる観光客が増え続けるに伴い、管理事務もより煩雑となり、彼も他のラマ僧と共に信徒や観光客を接待するようになった。海外からの観光客により満足してもらおうと、大昭寺は1986年、彼を1年間の英語研修班に参加させた。研修を終えて寺に戻っても、彼は英語の勉強を続けた。同寺の接待弁公室で英語ができるのは現在、彼を含めて5人。

ニマツレンさんが出家してから既に20年の歳月がたつ。

彼はリンゾウ県の農村の出身。17歳で小学校を卒業した1984年、他郷の商売人の車に便乗してラサの大昭寺を参拝した。ラマ僧が語る仏教の講釈に感銘、この時に、寺に入ってラマ僧になることを決意する。そして掃除に水打ち、教典の学習、読経と、彼にとって新たな生活が始まった。道徳的に高尚で、学問に造詣の深い高僧になること、それが少年だった当時の彼の理想だ。

ニマツレンさんは3人兄弟の長男。男の子が何人かいる家庭では、父母の大半がそのうちの1人をラマ僧にしたいと希望するのが、チベット族の伝統な考え方だ。両親は彼の決心に非常に満足した。

1989年から90年まで、北京にあるチベット語系の高級仏学院に学んだ。「私の一生で最も大切な、初めての学習体験でした」。更に「素晴らしい教師がいて、それに静かな環境の下で毎日、学び、読経し、座禅をして、1年間の研修で仏学理論を深く理解することができました」。彼は短大卒業証明書を手にすると、再び大昭寺に戻って修行を続けた。

ニマツレンさんは現在、大昭寺管理委員会副主任、同寺対外接待弁公室主任のほか、中華全国青年連合会委員、チベット自治区人民代表大会代表、中国仏教協会チベット分会常務理事、チベット自治区青年連合会副主席、中国民族撮影協会会員、ラサ市人民代表大会常務委員会委員、ラサ市仏教協会副会長兼秘書長などを務めている。

大昭寺はチベットに幾つかある最も重要な寺院の1つ。ラサを訪れる信徒や観光客のほとんどが必ずここを参拝するため、接待の仕事は次第に煩雑になってきた。ニマツレンさんが対応するツアーは1日平均、6から7団体。この仕事があるからこそ、彼は学習と修行に一層励むようになった。「観光客が尋ねる問題に対していつも、これは知りません、それも分かりません、と答えることはできません」。彼の部屋にはチベットの歴史や民族、典故関係の書籍が山ほど積まれている。

写真撮影もニマツレンさんの趣味の1つだ。きっかけは10年前。大昭寺の全面修復工事始まった時に、所蔵文化財などの撮影に参加。彼が撮った大昭寺の姿、大衆が参拝する光景、宗教儀式を撮った写真はプロカメラマンからの評価も高い。

大昭寺のラマ僧の平均月収は500元余り。生活は非常に清貧だ。だが、観光客は精彩のあるガイドをするとチップをくれる。「それは寺の修繕費に充てます。そうすることで、功を上げ、徳を立てることができるのですから」。収入が少ないなりに、支出も少ない、とニマツレンさん。毎月の食費として50元が収入から差し引かれる。昼はご飯かマントウ、野菜炒め、夕飯は麺類。食費以外にお金を使うことはない。袈裟は約100元(1元13円)もするが、数年でそう簡単に破れるものでもない。「時たま本屋で、好きな貴重な本を眺める以外、お金が足りないと感じたことはないですね」と、彼は笑った。

本代不足を補填してくれるのが、コンピュータだ。1998年に、友人がコンピュータをプレゼントしてくれたことで、彼は新天地を開くことができた。「仏教は、ラマ教を問わず、僕たちのルーツです。いろいろな知識が得られて、修行に非常に役立ちます」

彼の1日は、朝6時の起床から始まる。洗顔し、宿舎の掃除をしてから30分間自習。その後、弁公室の3人の僧と一緒に拝観料の徴収やガイドの仕事を務めると、夜7時から8時まで全てのラマ僧と一緒に1時間の修行に励む。それから宿舎で勉学にいそしむ。就寝は12時。寝る前に頭を十数回床に着け、神を敬い、祈祷しながら自らの1日を省みる、これが彼の日課だ。

昼間これほど急がしいのに、修行に影響はないかと尋ねると、ニマツレンさんはこう言った。「2つの面から見る必要があります。1つは、畢竟、仏教の経典は繁多なもので、読み漁り、研究して悟るには多くの時間が必要なのは確かです。でも、別の面から考えると、堅固な意志と決心があれば、マイナスな環境を克服してむしろ、修行でより大きな進歩を遂げさせてくれるのです」

更にニマツレンさんは「今の世界は開放された世界で、完全に静謐な寺院生活を維持するのは、少なくとも大昭寺のような有名な寺院では無理です。でも、開放によってより多くの人にチベットを理解させ、ラマ教を理解してもらうことは、ラマ教を含むチベットの伝統文化や生態環境を保護し、仏法を世間に広める上でプラスになるのです」と強調。

彼のこの言葉はガイドとしての説明と同様、生気に溢れ、情熱が吹きこぼれんばかりだった。多くの人が「まるでこの生活を厭わないようだ、俗にいう一般的な人にはなりたくないのでは?」と尋ねる。20年前に僧になる道を選んだのは、間違いではなかったとずっと考えている、とニマツレンさん。更に続けて、「僧になるのは、現実の生活に自信を失ったからだと、一部の人は誤解しているようですが、実際には仏教は、現世を否定しているわけではありません。私たちの現世での生活は未来に向けた種子であって、種子を捨て去れば、どこから収穫が得られるでしょうか。自らが毎日しなければならない事をしっかりと行う、それが修行なのです」と語った。そして「先輩である高僧のように、仏教の修行で極めて大きな成果は上げられないかも知れませんが、私のこの仕事には非常に大きな意義があります。より多くの人にチベットを理解してもらう、仏法を理解してもらう、これが人類への貢献であり、自己を成就させる道でもあるのです」