留学生の帰国・起業を奨励
李 南
1978年の改革開放以来、昨年までの25年間に留学生の数は70万人を超破、世界100数カ国・地域と、総数、規模、範囲ともに史上最高を記録した。その一方で、帰国者も増え続けており、今年3月時点で累計17万2800人に達し、2003年は前年より12.3%増の2万人を超え、1978年以来最多となった。今後も、帰国、帰国者の起業ラッシュが予想される。
留学生帰国者政策の弾力化
海外に留学したハイレベルな人材を呼び寄せようと、政府は就業条件や賃金体系、科学研究経費のほか、住宅購入、社会保険、休暇、家族の就業、子女の入学などの面で以前にはない優遇政策を講じている。国家人事部は、帰国者は国外での長期滞在資格あるいは永住居留権(グリーンカード)を留保することができるほか、就業条件に合致した者が一定の期間就業して、長期あるいは永住居留権を放棄すれば、事業体の法定代表人に就任できると規定している。
多くの省・自治区・直轄市も一連の優遇政策・措置を打ち出し、留学の帰国者の起業や国に貢献できる社会、仕事の環境整備に努めてきた。統計によると、2003年末現在、帰国者向けの起業団地は全国で110カ所を数え、進出企業は6000余社、帰国者は1万5000人に達し、技術・工業・貿易関連の総売上高は327億元にのぼる。北京中関村ハイテク団地だけでも企業は1785社、帰国者約5000人に達した。この十年来、国家人事部だけでも、約4000人の帰国者の科学研究プロジェクト、延べ約千人にのぼる短期帰国起業研修に1億元以上の資金を拠出してきた。留学帰国者ワークステーションも、一部の省・直轄市や大都市に20数カ所設置されている。
国家人事部の宋徳福部長は「ここ数年、海外から帰国する留学生の数は年平均13%以上のスピードで増えている。国はハイレベルの人材の帰国を促すため環境を整備すると同時に、国内での起業分野を開拓し、共同研究や委託研究、企業創設、仲介サービスの提供、学術講演、学術交流、コンサルティング、現地視察などさまざまな方法を講じることで、年間万人の人材の帰国、起業を奨励していく」と話している。
留学帰国の黄金時代
1950年代、有名な中国人科学者の華羅庚氏やケ稼先氏など多くの留学生が祖国に帰国した。1955年には、やはり著名な科学者である銭学森氏も5年にわたるさまざまな障害を乗り越え、20年に及ぶ滞米生活に別れを告げて祖国に戻った。これらの国を愛する先輩たちが後継者の模範となった。
30歳迎えたばかりの科学者・ケ中翰氏は米シリコンバレーから1999年に帰国、情報産業部と共同で中星マイクロエレクトロニクス会社を創設した。ケ氏は帰国から創業までの4年間について、「当時、私がシリコンバレーに設立した会社の経営は非常に順調だったが、中国は建国以来かつてない最盛期にあり、起業に最適の時期だと考えた。いろいろ模索してきたが、国内の環境が良かったため、どんな困難も乗り切ることができた。私の選択は間違いなかったと確信している」と感慨深げに話してくれた。
日本のドクターコースで学んでいる谷光さんは1996年、国内の招請で現地視察のため帰国したが、祖国の発展の速さに驚かされ、帰国を決めた。
帰国後、谷光さんは蘇州ハイテク団地外国企業外商投資サービスセンターの主任に招聘された。4年間に谷さんが担当し導入したプロジェクトは百件を超え、1千万ドル以上のプロジェクトだけでも投資総額は5億ドル超。蘇州ハイテク団地の“セールスマン”である谷光さんは「団地を舞台とすれば、私たちは演技者であり、外国企業審判だ。ここ数年、世界の有名な企業が相次いで進出してきたが、微力ながら国と社会の発展に貢献できるのは喜びであり、達成感や充実感も味わえた。この仕事を選んだことは後悔していない」と単刀直入だ。
その時代その時代の留学帰国者は、中国の進歩と発展に重要な役割を果たしてきた。現在、中国科学院アカデミー会員の81%、中国工学院アカデミー会員の54%も留学帰国者が占める。近年、有人宇宙飛行や高温超伝導体、人間遺伝子配列など重大な科学研究プロジェクトやハイテク分野でも留学帰国者は不滅の成果を上げている。
やはり帰国起業者であるUTスターコム(中国)総裁の呉鷹氏はこう語っている。「あなたたちは早く帰国したら得をしている、と言う人がいるが、私は彼らにこう言いました。中国は目覚しいスピードでテークオフしているのだから、いま帰国しなければ、十年後にはもっと後悔するだろうと」
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