2004 No.44
(1025 -1031)

アドレス 
中国北京市
百万荘大街24号
北京週報日本語部
電 話 
(8610) 68326018 
(8610) 68886238

>> 重要文章

 

青空を取り戻した太原

――山西省の省都太原市は数十年にわたり煙と埃に覆われてきたが、企業汚染対策が奏効し、市民はようやく青空を仰ぎ見ることができるようになった。

蘭辛珍

「太原に来るのは4年ぶりだが、こんなに青空になっているなんて想像しなかった」

10月8日に太原を訪れてから気づいたのは、曇天が少なくなったことだ。市内に住む友人は「今年になって、青空の日が多くなった」と話す。

太原は山西省の省都で、石炭の大産出地。4年前まで同市に8年余り住んだことがあるが、当時は汚染が深刻。市の西側、海抜1500メートルほどの山頂に立って眺めると、市街地の上空は黒々とした煙と埃に厚く覆われ、家屋は全く見えず、車は昼間でもライトをつけて走らなければならない状態だった。

太原市が国連環境保護計画(UNEP)から世界10大汚染都市のトップに指定されたのは、1998年。

同市の人民代表大会に提案され、また市民から寄せられる意見の中で最多だったのが、汚染問題だ。

汚染源の90%は中小企業。市内には石炭資源が豊富であるため、コークスや鉄鋼、セメント製造など、小規模な企業が周辺に点在している。市街地にもこうした小規模工場があり、多い時で1万社を超えた。大半が環境保全設備を設置しておらず、排気ガスや煙塵、粉塵の排出量は日間規定基準を突破。また熱供給企業も数多くあり、こうした企業は石炭を燃焼しているため、高く聳える煙突が至るところで林立していた。

太原市環境保護機関の統計によると、石炭の年間消費量は2149万5600トン、煙塵排出量は約10万トン、工業廃棄物量は6万3500トン。二酸化硫黄は19万8000トンで、世界保健機構(WHO)が規定する基準の10倍近く。有害物質の排出によりもたらされる1人平均負荷も国内平均の数倍に達していた、地質的に南を除く3面が山に囲まれているため、汚染物質が拡散しなかったからだ。

汚染が深刻化するにつれ、市民は家に閉じこもるようになった。迎澤公園はかつて市民憩いの場だったが、早朝や夕暮れ時に散歩する人はめっきり少なくなり、公園内はひっそり閑としてしまった。

深刻な汚染により、投資にも影響が出てきた。2001年に就任した中国共産党同市委員会の雲公民書記は、ある民間企業の経営者からこんな手紙を受け取った。「協力パートナーが契約を解消したいと言ってきた。我々の環境が余りにもひどいからだ……」

太原市は2002年から汚染防止の環境保全行動に乗り出し、専門チームを結成。同時に環境問題の専門家を招聘して論議し、地方として国内で初めてとなる「クリーン生産」に関する法規を制定した。

石炭燃焼による熱供給小企業の取り締まりに当たって市が重視したのは、政府系の企業だ。2002年、中国共産党山西省委員会の敷地内に聳え立っていた2本の煙突を撤去した後、全市をカバーする天然ガスによる熱供給工事に着手。2003年には熱供給面積600平方メートルの範囲内にある139基のボイラーを廃棄処分とし、それに合わせて166本の煙突を除去したことで、年間二酸化硫黄排出量は2万7700トン、粉塵は4万5000トン減少した。

排出基準オーバーのため防止対策を迫られながら、期限を過ぎて不合格となった汚染源の重大な企業に対して、太原市はあくまでも閉鎖や生産を停止させる方針だ。南部の清徐県は中小企業が集中する地区で、中小のコークス工場が79社あり、工場からは黒煙がもくもくと上がり、太原市の上空にまで飛来していた。これらの工場は2002年から03年までの1年間に全て撤去。だが、これによる清徐県の財政上の年間損失は、全収入の約30%に当たる3500万元余りに上る。1998年から現在までに、摘発された企業は9930社に達している。

太原市は汚染源の整備を進めると同時に、生態環境都市を目指した植樹緑化運動を展開。市政府庁舎の周辺約5000平方メートルにある建築物を全て撤去したほか、市庁舎の庭に市民の憩いの場となる公園を建設した。また市政府は環境保護の専門家を招聘して、市内を巡る長さ90キロ、幅30キロのぶグリーンベルトを設置しており、ここにも多くの市民が訪れている。専門家の試算によると、グリーンベルトが建設されたことで、植物の光合成により1日、120万立方メートルに及ぶ空気が清浄化されているという。

環境汚染対策の努力は報われつつある。2003年、太原市では大気中に含まれる吸入顆粒物や二酸化硫黄、二酸化窒素の濃度が2001年に比べそれぞれ14.08%、15.69%、15.912%ずつ減少、水質指標達成率も83.3%上昇した。大気の質は好転し続けており、2003年に2級以上の気候は153日と最高を観測し、「汚染第1の都市」の汚名を返上できるまでになった。

迎澤公園の管理者は「以前は汚染が深刻で、地上や木の葉が煤で覆われていたために公園は人影がまばらだった。今では灰や煙は飛散して、空気は透明で、毎朝2000人を超える市民が健康づくりのため訪れている」と話していた。

雲公民書記は「汚染を絶えず防止し、美しい環境を創造して、市民の生活の質的向上への要望に応えていかねばならない」と強調する。

コークス関連企業は環境を著しく汚染している。こうした汚染を食い止めると共に、閉鎖・生産停止に追い込まれえた企業による生産再開を防止するため、市の環境保護機関はこうした企業への検査回数を増やしている。また市政府は今年末までにコークス関連プロジェクトの50%を停止することを決定した。

市政府は更に市民に対し、2005年までに、汚染物質の総排出量を抑制すると共に、工業関連企業が環境保護指標を達成するとした目標を全面的に実現すると公約している。