2004 No.44
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親孝行のために立法を行う必要はあるのか

親孝行とは、親を大事にすることである。親孝行は中華民族の伝統的文化の重要な構成部分である。はやくも2000年前の中国の古代において、親孝行は天下を治める次元まで引きあげられた。経済が急速に発展している今日において、親孝行を含めての中国人の伝統的モラル観は金と利益の衝撃にさらされている。このほど、四川省成都市の李宗発弁護士は同省の人民代表大会に「親孝行法」と呼ばれる「四川省の親子関係についての規定」をテーマとする提案を提出した。この提案は、「満60歳か、または病気にかかったり、身障者になったり、生活費の源がない親に対し、その子女は完全の扶養義務を負うべきであり、親に地元政府の規定した最低生活費または子女自身の生活費を下回ることのない生活費を与えなければならない」と主張している。また、親を罵ったり、親に寒い思い、ひもじい思いをさせたり、親を殴ったり、遺棄したりする公務員は生涯登用、昇進させてはならないと提案している。

李宗発氏によると、親孝行と関連のある中国の法律は「婚姻法」しかないことが調査で分かった。そのため、親孝行のために立法を行い、子女に親孝行の義務を尽くさせ、社会全体で年寄りを大事にし、年寄りを尊敬する伝統的美徳を発揚し、年寄りの権益を保護することが望まれるわけである。

この「親孝行法」が打ち出されると、反対の声が上がっている。親孝行のために立法を行う必要はないばかりでなく、マイナスの結果をもたらすことになると見るものもおれば、お年寄りの扶養のコストを社会に転嫁するのではないかと懸念するものまでもいる。もちろん、それは有益な試みであり、法律で伝統的モラルを守るやり方であるという賛成の声もある。

「有益な試み」

「燕趙都市報」の林平順さん 親の世話と親の扶養は、根本的から言って、完備した社会保障システムがなければならない。しかし、人口が多いが、社会保障システムがまだ完備していない中国にとって、親の世話は子女に頼るほかはない。親孝行という伝統的モラルは経済的利益の衝撃にさらされ、世論の力だけに頼っては守れなくなっている。社会の安定を保つため、法律で親孝行を保障しなければならない。

中国の現行の法律には、親不孝を制裁する条項があるが、それは悪質な犯罪行為を構成するものと見られ、しかも被害者によって提訴される案件でなければならないものばかりである。しかし、親不孝の子女が法律に制裁されることを目にしたい親はほとんどいないため、高齢者の合法的権益は現行の法律の保障を受けることは難しい。それゆえに、親孝行法の制定は必然となったわけである。公民の利益の代表としての公務員は、その言動は公衆に大きな影響を及ぼすものなので、親孝行を公務員登用、昇進の前提とすることは、非常に必要である。

それは、親不孝者の登用、昇進を避けるためだけであり、親孝行を公務員の登用と昇進の主要条件とするわけではなく、社会保障システムの構築と整備をやめることに等しいわけでもない。

要するに、親不孝行為は増えているが、社会保障制度がまだ完備しておらず、高齢者の合法的権益が効果的に保障されず、国にも親孝行を保障する法律がない中で、地方で立法を行い、公務員を重点対象として施行することが望まれているのである。それは必要であるばかりでなく、実行可能でもあり、有益な試みだろうと思う。

陸志堅さん 先般、成都市の李宗発弁護士が省人民代表大会に「親孝行法」を提出したのとほとんど同時に、南京市高齢者委員会の蔡主任も「刑法」の中に親不孝罪の条項を加えるよう提案した。

1人は四川省に、1人は南京にいるわけであるが、同じような提案を出したことは、法律の手段で伝統的美徳を保護し、親不孝者に法律の懲罰を受けさせることが目の前に迫っていることを物語っている。

「老人を尊び幼いものを慈しむ」は中華民族の伝統的モラルである。親孝行は人のモラル水準を評価する昔からの重要な基準である。中国の偉大な思想家の孔子は、「父母在すときは遠く遊ばず、遊ぶに必ず方あるべし」(父母が生きていられる間は、遠方に旅に出てはいけない。旅には必ずきまった連絡先がなければならない)――(論語・里仁篇)としている。孟子も「吾が老を老として、以て人の老に及ぼし、吾が幼を幼として、以て人の幼に及ぼさば、天下は掌に運らすべし (まず自分の父母を尊敬するのと同じ心で他人の父母も尊敬し、自分の子女を可愛がるのと同じ心で他人の子女も可愛がる。そうすれば広い天下も思うがままに治めていける)―― (孟子・梁恵王上)としている。これらの教えはいまも中華民族に守られているモラル準則である。

しかし、経済的利益の衝撃によって、伝統的モラルは忘れ去られ、踏みにじられるようになっており、親を遺棄したり、殴ったりするといったこともしばしば目にすることになり、親子関係、仲間関係、恋人関係にも札束の臭いがしているのであるから、いまの人間関係はまったく金銭関係だと嘆くものがいるのも当然である。これを見ても分かるように、親孝行のために立法を行うことは、社会のモラルを救う必要でもある。

中国は高齢者社会に入っており、高齢者問題は深刻な社会問題となっている。社会の保障メカニズムの不備と立ち遅れによって、今後のかなり長い期間に、高齢者の世話や介護は家庭しか頼ることができない。このため、親孝行についての働きかけを強化するほか、法律で親孝行を保障することも不可欠である。

また、親孝行さえもしない公務員は、どうして人民を愛する気持ちをもつことができよう。

親孝行のために法律を制定することは、社会全体のモラルレベルを高める面での新たな模索である。

「法律万能」という誤った見方

「北京青年報」の潘洪其さん 社会は今日まで発展するにいたって、人々の親孝行に対する認識はより客観的なものになり、それは歴史的にも現代にも存在する必要性があると見られている。親孝行意識の弱体化を懸念して、何とかしてそれを守ろうとする気持ちは理解できなくはない。しかし、とどのつまり、親孝行はモラルの範疇に属するものであり、それはイデオロギー、習慣、風俗、世論などの面から養成、提唱すべきものであり、法律で強制的に実施すべきではない。こういう個人的、具体的な感情とかかわりのあるものに対しては、はっきりした基準を作り出しかねるのである。例えば、母親は息子の親不孝にグチをこぼしているとしても、息子が母親を扶養しないとは限らず、息子がいつも家で彼女と一緒に暮らさなかったと言う可能性が高い。実は、母親の言うことはただ一種の感じであり、法律はそうした感じによって判決を下すわけにはいかないのである。

実際のところ、中国の法律には親孝行についての内容は少ないが、ないわけではない。「憲法」、「婚姻法」、「養子縁組法」、「相続法」、「刑法」などには、子女の扶養義務と親の権利にについての規定が盛り込まれている。社会の発展につれて、これらの規定は充実されるに違いない。親孝行意識の弱体化という危機はひょっとしたら存在するかもしれないが、これによって関連の法律が足りず、処罰の度合いが弱いからであるという根拠はない。親孝行のために立法を行うよう主張するものは、法律の役割を過大評価しているのであり、法律をモラル分野に導入しようとしているか、または少なくとも異なった法律の中にあちこちにちりばめられている親孝行についての条項をまとめて親孝行法を作ってもよいとし、これで親孝行の大切さを示そうとしているのであろう。

何か問題にぶつかると、まず法律の手段でそれを防ぐとか、処罰しようとするのは、典型的な法律万能主義である。法治は進歩的な制度ではあるが、それには限界もある。人の理性には限度があり、社会というものは複雑な生態系システムであり、法律、モラル、倫理、宗教および民俗などの力に頼って共同で維持し、その中のいかなる要素も欠くことができないが、それぞれのもの知れたものといえる。歴史と現実の経験が立証しているように、モラル分野の問題に対して、法律分野で解決策を求めようとするならば、意に反する結果になりがちである。 

理性的な法治は、すべき事もあればすべきでない事もあるというものである。親孝行のために軽率に立法を行うなら、法律万能主義の誤った考え方のワナにはまることになるのではないか。

広西大学文化・伝播学院の劉海明さん 親孝行のために立法を行うことは、その必要もなければ、実行不可能でもあると思う。親孝行を含む伝統的モラルは数千年にわたって社会の警察官の役割を演じ、無形の中で社会の安定を維持してきたのであり、人間の文明が存在するかぎり、社会公認のモラル観は引き続き役に立つものであり、親孝行のために立法を行う必要はあるのか。

また、親孝行はイデオロギーに属するものであり、世論の力によって形成された社会的行為の準則である。これらの準則は見えないが、つねに役に立っているのである。親不孝への世論による処罰は、複雑かつ長丁場の審理、審判よりはるかに効果がある。それであるのに、法律に負担をかける必要はどこにあるのか。

それから、親孝行のために法律を制定することは難しい。法廷で親孝行をしたかどうかの証拠を示すことも無理がある。モラル観に含まれている親孝行は数量化しえないものであるからである。

異なる時代、異なる国に異なる親孝行の基準があり、異なる人にも異なる親孝行のやり方がある。司法機関に千差万別の親孝行の基準を一つにしてもらうことは、あまりにも非現実的である。無理しても、自分の子女が自分によって法律の裁きを受けるのを目にしたいと考えている親はそれほどいないはずである。子女を訴えた親が法廷で供述を覆したり、または訴訟を撤回したりしたら、苦しい立場に置かれるのは法廷だけでなく、「親孝行法」もそうであろう。