2004 No.47
(1115 -1121)

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海峡両岸関係協会、
92年の香港会談について語る 

陳水扁氏はこのほど、「92年の香港会談を基礎とし、両岸(中国大陸部と台湾)の対話を再開したい」と再び公言した。海峡両岸関係協会の関係責任者は11月14日、いわゆる「92年香港会談の基礎」の問題について談話を発表した。同責任者の発言の骨子は次のとおり。

「92年の香港会談」とは、海峡両岸関係協会と台湾の海峡交流基金会が1992年10月末に香港で行った両岸の第2回実務協議を指す。この協議の重点の1つは、両岸の実務レベルの協議において「一つの中国」の原則・態度の堅持をいかに説明するかだった。「一つの中国」の原則の堅持は、祖国大陸の一貫した立場だ。両岸が協議で解決する問題は、中国内部の問題であるため、協議は必ず「一つの中国」を原則として行わなければならない。台湾海峡両岸では当時、政治面に重大な意見の相違が存在していたが、双方はいずれも「一つの中国」の原則を堅持した。台湾当局の「国家統一綱領」は、「大陸と台湾はいずれも中国の領土であり、国家統一の促進は中国人の共同の責任である」と明確に宣言している。台湾の国家統一委員会は1992年8月1日、海峡交流基金会と海峡両岸関係協会による協議と協定締結に際しての「一つの中国」の意味について結論を出し、この中で「海峡両岸はいずれも一つの中国の原則を堅持する。しかし(『一つの中国』について)双方が与える意義はある程度異なる」、「台湾は中国の一部分だが、大陸もまた中国の一部分」であると明示している。海峡両岸のいずれもが「一つの中国」の原則を堅持することは、双方が「92年の香港会談」を含む協議を展開するための共通の基礎を形づくる。

海峡両岸関係協会は1992年の香港会談で、「協議では『一つの中国』の原則を堅持しなければならず、事務的な協議では『一つの中国』の原則を堅持するという基本的態度を表明しさえすれば、『一つの中国』の政治的意味合いに言及しないことができ、(『一つの中国』の原則・態度の堅持を)説明する形式は十分に協議できる」という提案を行い、さらに書面による五つの説明を提案した。海峡交流基金会は合計八つの説明を提案した。このうち8番目の説明は「海峡両岸が共同で国家統一を模索する過程において、双方はいずれも『一つの中国』の原則を堅持するが、『一つの中国』の含む意味に対する認識は異なるところがある」というものだった。海峡交流基金会はこれと同時に、「各自が口頭で立場を表明する」ことを提案した。海峡交流基金会は11月3日、プレスリリースを発表するとともに、海峡両岸関係協会に書簡を送付し、「一つの中国」の原則について「説明する必要がある」とした上で、「われわれは、『国家統一綱領』と、国家統一委員会が今年8月1日に決議した『一つの中国』の含む意味に基づいて説明する」と表明した。海峡両岸関係協会は11月16日、海峡交流基金会に書簡を送付し、「海峡両岸はいずれも『一つの中国』の原則を堅持し、国家統一の模索に努力する。しかし、海峡両岸の実務レベル問題に関する協議では、『一つの中国』の政治的意味には触れない」という同協会の口頭説明の要点を伝えた。これと同時に、双方が相互に受け入れる共通認識として、海峡交流基金会が香港会談で正式に提案した第8の説明を書簡に添えて送付した。海峡交流基金会は12月3日に返信し、これについて異議を表明しなかった。これがつまり、1992年の香港会談とその成果の経緯および実質的内容だ。「92年の香港会談」とその後の「汪辜会談」を含む一連の協議と対話の基礎は、海峡両岸がいずれも「一つの中国」の原則を堅持することを示した「92年の共通認識」だ。1992年の海峡両岸関係協会と海峡交流基金会による香港会談の歴史的な過程およびその成果の事実は実在するもので、回避やわい曲は許されない。

「92年の香港会談」の基礎とはつまり、双方がいずれも「一つの中国」の原則を堅持することであり、「92年の香港会談」における討論の重点の1つは、海峡両岸の実務レベル協議において「一つの中国」の原則を堅持する態度をいかに説明するかということだ。陳水扁氏がこの基礎と事実を明らかに認め、「一辺一国」という「台湾独立」の分裂の主張を捨てるならば、海峡両岸関係協会と海峡交流基金会は直ちに対話と協議を再開することができ、双方はいかなる問題についても話し合えるだろう。もし陳水扁氏が「92年の香港会談」の歴史的事実を顧みず、わい曲し、「一つの中国」の原則の承認を拒否し、「台湾独立」の分裂の立場をかたくなに堅持するならば、陳氏が両岸の対話と協議の再開への善意をまったく持たず、両岸の同胞と国際社会の期待に背いていることを証明するだけである。