2004 No.08
(0216 -0220)

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人本位を重んじる新指導者

                  李 子

昨年3月に発足した新政府はこの1年、民衆の中に深く入って、その生産、生活に関心を寄せ、人を最も大切にすることを出発点として執政に努めてきた。

さる2月1日、養鶏場にいた陳連富さんと妻の王冬雲さんはマスクをつけた。湖北省武穴市石仏寺鎮で鳥インフルエンザの感染状況を視察していた温家宝総理が自分の家に来ることを知ったからだった。1月20日、陳さん夫婦が経営している養鶏場の鶏が数日のうちに100羽余り死に、死因は鳥インフルエンザによるものだと確認された。

午前11時、温総理一行が養鶏場に視察にきた。温総理は陳夫婦がマスクをしているのを見て、「マスクをはずせばいいですよ。わたしは怖くないから」と言って、陳夫婦と握手した。

陳さんは躊躇し、マスクを取ろうとしない。温総理からまたも「はずしても構わない。わたしはなんともないから」と言われ、陳さん夫婦もそうするしかなかった。

「春節おめでとう」と温総理は言いながら、陳夫婦にそばに坐るよう勧めた。「鶏の被害は?」「補償金は受け取った?」「暮らし向きはどう?」 陳さんはこれに一つ一つ答え、「春節前に買った魚、野菜も食べ切れないで、まだ置いてあります」と言った。

温総理は陳夫婦の健康に関心を寄せるとともに、「鳥インフルエンザは恐れなくてもいい。予防もできるし、治すこともできるんだから」言い、今後の養鶏にふれて、「経験を総括し、教訓を汲み、予防に力を入れるべきで、政府はそのための資金を貸し、技術部門も援助することにしている」と陳さんを励ました。

そのあと、死んだ鶏を埋めた場所に案内された温総理は、どれほど深く埋めてあるのかと尋ねたりし、その地の政府の幹部に向かって消毒と再建をしっかりやるようにと指示した。陳さんの妻・王冬雲さんは顔にたえず笑みをたたえる温総理に親しさを覚え、別れるさい、一緒に記念写真をお願いしたいんですがと言うと、温総理はこころよく「いいですよ」と言って、陳夫婦とカメラに収まった。

鳥インフルエンザがいくつかの地方に発生すると、温総理は報告を聞くだけでなく、じかに感染区に出かけ、庶民の家庭を訪れ、視察した。

「各級の幹部はつねに民衆のことを心に留めておかなければならない。民衆の声に耳を傾けず、その困難を解決しないなら、どうして民衆から信頼されるだろうか」と温総理は言う。エジプトを公式訪問し、カイロにいた温総理は国内の鳥インフルエンザの感染が気にかかって仕方がなかった。「中央指導部は非常に重視しており、一連の対策を講じている。われわれはこの問題を解決できると確信している。予防にあらゆる手を尽くし、人に感染しないようにしなければならない」、「つねに人の生命と健康を第一に置くべきだ」と温総理はとくに強調した。

新しい世代の指導者は昨年3月に就任して以来、「政権党と政府は権限を民のために用い、心を民と結びつけ、益を民のためにはかることを堅持しなければならない」、「民衆の利益にかかわることは小さな事柄ではない」とくりかえし強調してきた。

民衆と親しくなるというその行動は「人を最も大切にする」という執政理念を具現しており、このような理念が各級政府の共通認識となりつつある。「民衆と親しくなる」ことは「人民とともに呼吸し、運命を共にし、心と心を結びつける」ことの具現にほかならない。こうした感情をもってこそ、民衆を理解し、、思いやり、援助するすることができ、民衆のために心から尽くすことができるのである。

民衆の困難に関心を寄せる──これが多くの人にとっての新政府に対する深い印象である。

胡錦濤総書記、10回地方訪問

胡錦濤総書記は昨年3月国家主席に就任して以来、訪問、視察などで10回も北京を離れた。うち3回は新型肺炎が猛威を振るった広東、四川、天津であった。361潜水艦の事故のときは、大連に出かけて犠牲になった将兵の遺族を見舞い、有人宇宙船「神舟5号」の打ち上げの前日は、楊利偉宇宙飛行士と会った。あとの5回は内蒙古自治区、江西省、湖南省、山東省、河南省で、いずれも中西部の貧困地区である。

胡総書記が最初の訪問先として選んだのは北京の西南270キロのところにある西柏坡(河北省)であった。1949年中国共産党が政権を奪取する直前、ここに党の本部を置いていた。

胡総書記はこの西柏坡で、新しい中央政府の「民と親しくなる」路線と人びとから言われている活動方針を明確にした。

原籍安徽省積渓県の胡氏は1941年江蘇省泰州市に生まれ、ここで小学、中学、高校を出て、北京の精華大学水利学部を卒業後、中国西部の甘粛省に赴き、基層の仕事からはじめ、ここで14年過ごした。1985年から、前後して中国共産党貴州省委員会書記、中国共産党チベット自治区委員会書記を8年間つとめた。

この未発達な省と自治区の困難に満ちた条件下と高原で酸素の少ない環境のなかで、多くの辺鄙な地方を訪れ、各民族の大衆と幅広く接触し、調査・研究をすすめた。長期にわたる辺境地区での鍛練とのちの中央高層部での指導の経験を積んで、中国の国情をより深く、より全面的に理解し、経済発展を速め、改革・開放を深めていく自信をつけた。

2003年の年初、零下35度の厳寒を冒して、内蒙古自治区に赴き、農牧民と経済的に困難な職員を訪ねたさい、「人民大衆の利益を第一に置かなければならない」と強調し、連年自然災害の被害を受けた牧畜民ナムジラチレンさんを慰問したとき、「固い信念をもって、生産に励んでください。政府はできるだけの援助を与えますから。みんなで努力すれば、きっと生活はよくなるでしょう」と語った。

昨年12月初め、山東省の聊城、渮沢、河南省の商丘、開封で、農村、農家、農産物加工企業などを視察し、三農(農業、農村、農民)問題のいっそうの解決について調査・研究をおこなった。

どの家庭も団欒する春節の大晦日(今年は1月21日)、寒さの厳しい張家口を訪れ、農民や幹部、職員に会った。そして農家で、普通の農民と一緒にギョウザを包みながら、「農民のみなさんの困難を私たちは常に気にかけています」などと親しく話をした。この場面をテレビで見た人びとはきっと大きな感銘を受けたに違いない。

平民の総理・温家宝氏

貧しい農村や被災地で人びとが目にする温総理のスタイルはいつもジャケットに運動靴の姿であり、人びとから「平民の総理」といわれている。1942年9月天津で生まれ、1968年大学を卒業し、甘粛省に赴き、甘粛省地質局で15年勤め、地質技師、基層幹部として活躍した。

「自分は全国で1800余りの県に足跡を残し、中国で一番貧しい地方に行ったこともある」と言う温総理は中国の各地の発展がきわめて不均衡であることをよく知っている。温総理は言う。「中国の東部地区の大都市では、高層ビルが林立しているが、農村では、粗末な家に住み、まだ牛で農地を耕している農民もおり、中国には食の問題が解決されていない人が3000万人も残っている」。「われわれは生活に困っている人びとを決して忘れてはならない」。

1月20日から22日にかけて、河南省の新郷、鄭州の農村、工場、機関、電力、鉄道部門を訪れ、農民、労働者、警官、消防員と会い、新春の喜びの言葉をおくった。

旧暦の大晦日の朝、新郷県朗公廟鎮趙堤村を訪れた。「大晦日に総理がお出でになるとは夢のようです」と80歳の姫長瑞さんは温総理の手を握りながら感激した。温総理は村民たちに「春節用の品々はそろいましたか」「いま食糧の市場価格はいくらですか」「今年の食糧の作付面積はどのくらい?」などと尋ね、農地をよく管理し、食糧作物を多く植えるよう励ました。曲水村でも、村民たちと親しく話をし、1年の収入はどれぐらいか、病気の治療や子供の通学に困難はないかなどと聞き、村の幹部にこの地の農村の税収改革や協同医療の試行の状況などについて詳しく尋ねた。

温総理が出稼ぎの民工たちの労賃の未払い問題を解決した話はよく知られている。昨年10月24日、三峡ダムの建設で、25万人が移住することになっている重慶・万州を訪れ、移住民たちを見舞った。

竜泉村で大勢の村民に迎えられた温総理は笑顔で、村人たちに生産や生活の状況について半時間ほどあれこれ尋ね、このあたりの状況を大体つかんだ。そして「まだ何か困っていることがありますか。わたしたちにして欲しいことはないですか」と聞いた。すると、「総理、労賃未払いのことで、ちょっとお願いがあるのですが」と農婦の熊徳明さんが話し出した。「いま、農民の収入は主に出稼ぎに頼っています。この村の多くの男の人たちは雲陽県の町で土木工事にたずさわり、一年で五、六千元の収入になりますが、雇い主が労賃をなかなか払ってくれないので、困っています。うちの主人はまだ2000元あまり貰っていません……」

これを聞いていた温総理が眉をしかめ、厳しい顔つきになり、「このあと、県に行くことになっているので、県長に労賃の未払い分を必ず払うようにと話しておきます」と言うと、村人たちは大きな拍手をおくった。

温総理は県に着くと、すぐ県の責任者と会い、この事について問いただした。この責任者は「確かに、一部の建設現場の雇い主が労賃を渡そうとしません。すぐこの問題を解決し、村民の満足のいくようにします」と答えた。

その日の夜11時ごろ、熊徳明さんの夫は未払い分の2240元を手にした。

温総理は昨年新型肺炎がひどく流行ったとき、感染の危険の大きな病院や学校に出かけ、新疆に強い地震が発生すると、雪を冒して被災者を慰問し、淮河の水害のときは被災者たちと同じ釜のめしを食べ、エイズ・デーにはエイズ患者と握手し……。

新政府は民生を重視するだけでなく、民意を尊重し、民衆に責任を果たしている。

アナリストはこう指摘する。新しい政府が実施している平民政治は決して臨時的なものではなく、新しい世代の指導集団の強国戦略の核心である。近代化の途上で、中国は歴史上かつて上から下への洋務運動や君主改良、科学技術による救国を試み、また官僚資本主義をもやったが、いずれも広範な人民を排除したので失敗に終った。

当面、中国の改革は新しい転換期を迎えており、さまざまな既得利益集団が改革を深めるうえでの障害となっており、人民の支持に依拠してはじめて体制の弊害を取り除くことができるのである。

中国の指導者はこう考えている。良好な市場経済を生み出すには、大多数の人の利益とニーズから出発しなければならず、経済は人民が運営すべきで、政府に頼って経済を運営し、管理するのでは、経済効果を高めることが難しく、政府の大きなリスクをもたらすことになる。人民大衆は経済発展と経済管理の基本的主体、基本的原動力であるとみなすべきである。発展の根本的目的は人民のためであり、人民がよりいっそう自由で、幸せな生活がおくれるようにするためにほかならないのである。