2004 No.23
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永遠の国際的主題

――半世紀前に提起された平和共存五原則は大きく変化した今日の世界にまだ適用するだろうか。

中国人民外交学会研究部副主任 潘 韜

 

平和共存五原則は中国の外交思想の核心的内容である。半世紀以来、中国政府の指導者は国際舞台で、平和共存五原則についてたびたび言及し、この原則は国際社会で耳慣れた言葉となっている。

きたる6月から、中国政府は平和共存五原則提起50周年を記念して一連の盛大な活動を繰り広げることにしている。その記念活動の一つとして、中国人民外交学会は6月13日に平和共存五基本原則国際シンポジウムを開催し、国内外の政府要員、有名な学者を招いて、この五原則の歴史的、現実的意義について討論することにしている。

1953年12月、周恩来総理がチベット問題に関する交渉に参加したインド政府代表団と会見したさい、国家関係を処理する五原則をはじめてうち出し、その後中印両国が調印した「中華人民共和国・インド共和国の、チベット地方とインドの通商・交通に関する協定」にこの原則が正式に書き込まれた。のちに、中国はこの五原則を「主権と領土保全の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存」という完全な形の表現に改めた。この五原則のなかで、主権と領土保全の相互尊重は必須の条件、基礎で、核心的部分をなし、相互不可侵、相互内政不干渉は五原則を貫徹する保証で、平等互恵は共存を実現するための条件で、平和共存は出発点と必然的な結果である。中国が最初に平和共存五原則ををうち出したのは、主に中国の社会制度と異なる隣国との関係を処理するためであったが、その後、さらに中国とすべての国との友好協力関係を発展させる準則となった。

平和共存五原則の提起は中国の外交政策の成熟を示している。それは平和共存五原則を踏まえてうち立てられた国家関係だけが最も信頼でき、最も生命力があり、国際情勢の安定と健全な発展を最も促進することができるからである。半世紀以来、平和共存五原則は中国の対外関係の発展を指導する基本的準則となり、中国の外交実践を成功裏に導き、中国の国際的威信を高めただけでなく、同時に国際社会とりわけ広範な発展途上国から広く肯定され、多くの国際文書、決議に取り入れられ、現代の国際関係を導く基本的準則となり、世界の平和と発展に大きな貢献をしている。

平和共存五原則はなおも強い生命力をもっている。まず、この原則は「国連憲章」の精神を具現しており、各国の正常な関係を発展させ、紛争を解決する基本的準則となっている。「国連憲章」の精神の本質は第二条に示されている三基本原則、すなわち@主権の平等A国際紛争の平和的解決と武力の相互不使用B国の内政不干渉、である。これらの原則は国際社会が普遍的に認めている国際関係の準則である。五原則と「国連憲章」の精神と国際法の準則は完全に一致しており、今日の国際関係を導くより的確、より完全な準則体系である。歴史が示しているように、これらの原則を遵守すれば、異なる社会制度、異なるイデオロギー、異なる発展レベルの国が友好協力し、ともに発展することができ、これらの原則に背けば、対立し、さらには衝突、戦争が発生することになる。

次に、平和共存五原則は強権政治と覇権主義に反対する発展途上国の有力な武器である。平和共存五原則は発展途上国が最も早く提起し、実践し、歴史の試練に耐え、国際社会から普遍的に肯定されている。50余年後の今日でも広範な発展途上国はこの五原則を理論武器として覇権主義、強権政治に反対し、主権の平等、領土の保全を守っている。

第三、平和共存五原則は中国の歴史の長い対外関係の伝統からうまれたもので、中国の平和擁護の外交思想を具現しており、われわれが国際新秩序を提唱する基礎である。数千年前、中華民族は「兼愛」、「非攻」の外交思想をうち出した。五原則はまさに中国の伝統的文化のなかの「和して同ぜず」、「和を貴しと為す」という偉大な精神の継承であり、理論的総括である。覇権主義がなお存在する今日において、中国がこの五原則を堅持していることは中国が平和を熱愛していることを示しており、平等互恵の文明大国という形象は、政治的影響力を発揮し、中国の世界における地位と呼びかけの力を高めるのに有利である。同時に、平和共存五原則は現代の国際関係における民主主義の精神と世界各国の根本的利益に合致している。冷戦後、中国はロシア、フランスとの二国間声明のなかで平和共存五原則を強調したが、このことは五原則が外交実践において広く運用され、肯定され、国際新秩序をうち立てるための中国の理論的基礎であることを物語っている。

冷戦後の新たな国際情勢は平和共存五原則に対する挑戦である。まず、覇権主義、強権政治の新たな台頭である。例えば「人権は主権より高い」、「主権は有限である」、「主権は時代遅れ」などという「新干渉主義」の論調を鼓吹し、一方的に「国際上の人道主義関与」を強調し、平和共存五原則のなかの「主権と領土保全の相互尊重」と「相互内政不干渉」の2つの核心的原則を根本的に否定しようとしている。同時にグローバル化の急激な発展が多くの新しい世界的問題をもたらしている。例えば伝統的安全への脅威と非伝統的安全への脅威が混ざり合って、テロリズムの危害が増大し、南北の格差が拡大しているなどがそうである。これらは新たな情勢下での平和共存五原則の堅持と実践に出された新しい課題である。一方で、われわれは、西側のこれらの「理論」の五原則に対する重大な衝撃とその危害を冷静に見てとらなければならない。現歴史階段において、国家の主権はなおも世界政治の礎であり、主権のない民族はその基本的人権を保護することができないのである。グローバル化のチャンスと挑戦を前にして、最も大きな衝撃を受けている発展途上国はことのほか自国の主権を擁護し、実現する必要がある。一部の国は人権を主権の上に置いているが、それは自国の戦略的利益から出たものだ。しかし、われわれはまた、新たな情勢下で主権の概念も変化し、柔軟に多様な、かつ多段階の実現形式をとることができることをも見てとるべきである。グローバル化を背景として、人類が直面している新たな脅威は普遍的であり、国際社会は緊密に協力する必要があり、重大な人道主義的災難に対して関与すべきだと多くの国が主張している。だが、予防を主とすることを提唱すべきで、関与を過度に強調するのもよくはない。要するに時代は発展し、人の思想も発展しており、平和共存五原則も時代とともに前進すべきなのである。時代とともに進み、時代の歩調に合わせてこそ、平和共存五原則は旺盛な生命力をたもつことができるのである。

中国政府は時代とともに進む精神に基づいて、平和共存五原則に新たな時代の内容を加えている。

まず、平和共存五原則を強調することは文明の多様性の時代の流れに沿うものである。今日の世界において、各種の社会制度、各種の宗教、各種の文明、各種の発展レベルが共存しているのは客観的事実である。この多様性を尊重することは人類文明の発展の動力であり、時代の発展の潮流でもある。平和共存五原則はまさに文明の多様性に対する尊重を具現しており、異なる文明、異なるイデオロギー、異なる発展の道の相互尊重、相互交流、相互包容、相互参考に有利であり、鮮やかな開放的包容性をもっている。

次に、多国行動主義を強調するのは五原則の新たな情勢下の実践方式であり、その重点は国連の役割を擁護し、強化することである。当面の国際関係において、一行動主義と多国行動主義の争いが存在している。多国行動主義は五原則の新たな情勢下の実践方式であり、各地域と全地球への脅威と挑戦に対する有効な方法であり、その核心は国際関係の民主化であることをわれわれは強調すべきである。国連は世界で最も普遍性、代表性、権威性をそなえた国際組織である。世界各国は国際舞台における国連の権威と主導的地位を積極的に擁護すべきである。イラク問題が再び示しているように、高効率の、団結した強力な国連が存在してこそ、世界に希望が見出されるのである。

「新安全観」の強調は五原則の国際安全領域における重要な補充である。当面、領土の係争、民族の矛盾などの伝統的脅威がなおも存在し、テロリズム、環境汚染、経済危機など非伝統的安全への脅威が新たに増大している。われわれは、相互信頼、互恵、平等、協力を核心とした新安全観を五原則の重要な補充とし、長期に安定した、たしかに安全な世界の平和な環境をつくり出すべきである。この原則のもとでこそ、地域組織、非政府組織はより重要な役割を果たすことができるのである。

グローバル化の背景のもとで、「人を本(もと)となす」という科学的発展観を強調することは平等互恵の原則の重要な補充である。平等互恵の原則は国際経済関係を導く主な原則である。グローバル化の衝撃のもとで、貧富の差の拡大、発展の不均衡が当面の各種の脅威の主な根源となっている。持続可能な発展、各国の均衡のとれた発展、経済・社会の調和のとれた発展、人の全面的な発展などの科学的発展観を提唱することは平等互恵の原則の重要な補充となることができる。こうしてこそ、不公正、不合理な国際経済秩序を真に変え、経済グローバル化が「双方利益」「多方利益」の目標に達するようにすることができるのである。

 


背景資料

半世紀にわたる平和共存五原則 (周河城)

1949年の中華人民共和国成立の直前、毛沢東主席は、中国は平等、互恵および領土・主権の相互尊重を踏まえて、外国と話し合い、外交関係を樹立することを望んでいると表明した。

1949年9月29日の中国人民政治協商会議第一回会議で採択された「共同綱領」、および10月1日に毛沢東主席が建国式典で発表した「中華人民政府公告」のいずれにも平和共存の基本的思想が含まれている。

1953年12月31日、周恩来総理はインド政府代表団と会見したさい、はじめて平和共存五原則、すなわち領土・主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存を完全な形でうち出し、インド側の賛同を受けた。1954年4月29日、中印は「中国のチベット地方とインドの通商と交通に関する協定」に調印した。この協定の序言のなかで、平和共存五原則を両国関係を導く原則としている。

1954年6月、周恩来総理はインド、ビルマ(現在のミャンマー)を訪問した。1954年6月28日に中印両国の総理が発表した共同声明と6月29日に中国・ビルマ両国の総理が発表した共同声明のなかで、平和共存五原則は両国関係を導く原則であることを確認し、かつ平和共存五原則を一般の国際関係を導く原則とすることを共同で提唱した。

1955年、インドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議で、各国の代表は平和共存五原則を踏まえて、国際関係を処理する十原則を採択し、「領土・主権の相互尊重」を「主権と領土保全の相互尊重」に改めた。

中国政府が最初に平和共存五原則を提起したのは主に中国の社会制度と異なる隣国との関係を処理するためであった。1950年代中頃、ソ連は他の社会主義諸国との関係を処理するにあたり、とくにポーランド、ハンガリー事件を処理するにあたり、重大な大国主義的態度をとった。プロレタリア国際主義の原則に背くこのような事態を前にして、中国政府は声明を発表し、社会主義諸国の相互関係はなおさら平和共存五原則を基礎として、うち立てるべきであると指摘した。その後、中国と多くの社会主義国が調印した二国間文書のなかでも、平和共存五原則を踏まえて相互友好協力関係を打ち固め、強化することを確定し、こうして平和共存五原則は同じ社会制度の国家関係を処理することにも適用する原則となった。

1972年、中米の最初の共同コミュニケに、中国側が堅持したことによって、「各国は社会制度がどうであるかを問わず、平和共存五原則に基づいて、国と国との関係を処理すべきであり、……双方は相互関係において上述の原則を実行する」と書き入れられた。

1974年、当時のケ小平副総理は、平和共存五原則は国家の政治関係を処理する準則であるだけでなく、国家の経済関係を処理する準則となるべきであり、その社会制度、イデオロギーがどのようなものであるかを問わず、あるタイプの国が順守するだけでなく、どの国も順守すべきであると創造的に提起した。

80年代末から90年代初めにかけて、東欧諸国とソ連の情勢が大きく変化し、ケ小平は次のように指摘した。

中国は各国人民の選択を尊重し、これらの国の内政に干渉しない。中国は、社会制度、イデオロギーの相違にとやかく言うべきではなく、社会主義を堅持しようがしまいが、平和共存五原則の精神でこれらの国との関係を処理し、新型の友好協力関係をうち立てるべきである。

平和共存五原則は中国が多くの国と調印した重要な二国間外交文書に書かれているだけでなく、すでに国際社会、とりわけ発展途上国から広く認められている。