2005 No.03
(0110 -0116)

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>>争鳴

世界歴史・文化遺産である観光名所の入場券はいくらぐらいであるべきか

北京市発展改革委員会は昨年11月末に、世界歴史・文化遺産に指定された北京の観光名所の故宮博物院、八達嶺長城、頤和園、天壇公園、長陵、定陵など6カ所の入場券価格の調整について公聴会を行った。価格調整案によれば、長陵と定陵の値上げ幅はあまりも小さかった以外、その他の名所はいずれも大幅に値上げされ、倍となったものもある。例えば、故宮博物院の入場券はオフ・シーズンには40元から80元に、シーズンには60元から100元に値上げされることになった。

国家統計局の昨年末の統計データによると、中国の1人当たりGDPは1000ドル(8270元相当)を上回ることになった。現在、中国では内外の観光客に対し画一化した入場券価格を適用している。これまで、6カ所の観光名所の入場券は合わせて90.7ドル(750元相当)であったが、値上げすれば、ほとんど2倍の156ドル(1290元相当)となり、中国の1人当たり年収の約15%を占めることになる。

公聴会に出席した代表たちはほとんど入場券の値上げを是認したといわれているが、人民サイト、シーナ・サイトなど国内で影響力のあるサイトでの調査では、調査を受けた人の95%が値上げに賛成しなかったことが明らかされた。今や、観光名所の入場券の価格調整は論議の的となっている。

値上げの理由については、世界歴史・文化遺産の価値を具現し、保護のための資金の不足を補い、多すぎる観光客をコントロールするためであるという三つだそうである。では、世界歴史・文化遺産の入場券はいったいどれぐらいにすれば妥当なのか、観光名所の入場券が上述の3面でその役割を果たしうるかどうかは疑問である。

入場券価格の自由化を実行すべきである

米エール大学の薛涌教授 故宮と頤和園は歴史・文化財に属するものであって、公園ではないが、観光シーズンには、観光客入り込み数が1日延べ12万5000人にも達すると言われている。そうなると、名所旧跡の保護する技術がいくら先進的であっても、歴史・文化財をよく守ることは難しい。そのため、すべての名所旧跡では観光客数を制限し、入場券の価格も観光客数の増加を合わせて値上げし、観光客数が抑えられるまでそうすべきである。マーケットの法則がここで最も効果があるのである。

しかし、残念ながら、値上げを提案する人にも入場券価格の自由化を主張する勇気がないことである。これまでの中国の都市建設計画は、公衆娯楽施設と緑地の建設を長年にわたって無視し、市民はやむなく名所旧跡の空地や広場を利用して体を鍛えたり、くつろいだりしてきた。われわれが故宮や頤和園、長城などを中華文明のシンボルと見なすからには、すべての中国人にはそこに来る権利があるわけである。しかし、値上げすると、値段が高くて入れない人が増える。これはその人たちの中国の歴史と文化を知る権利を剥奪することに等しいのではないか。

日間12万5000人の故宮の観光客入り込み数を前にして、われわれは古代文明に輝をもって自任しているが、実際には13億もの人口の1人当たり文化財は非常に貧しいという事実をどうしても認めなければならない。

歴史的には、中国はほとんど中央集権の政治体制をとってきて、国としては存在していたが社会としては存在しなかった。月日の経つうちに、国民の頭には根強い歴史意識が形成された。つまり、中国の歴史や文化は集権政治の支配する資源で作られた故宮、長城などに代表されると思い込んでいることである。ところが、われわれがこうしたことを是認する必要がどこにあるか。歴史を学ぶには、どうしてもこれらの観光名所に足を運ばなければならないのか。

民主制度の勝利と大衆文化の繁栄につれて、末端下層の社会の歴史が重視されることになり、昔の普通の民家、働く場所などが歴史の遺跡として保護を受け、見学に供されるようになっている。人々が自分の文化ルーツを探がすには、行ける場所がたくさんあるのだ。

私の考えでは、故宮の入場券の価格を自由化させたほうがよい。入場券による収入が文化財保護に使い切れないなら、それで故宮奨学金を設立し、貧困地区の学生が北京大学、清華大学のような大学に入学できるようにするのである。昔、これらの地方の人々こそ皇帝に骨髄までしゃぶられるほど搾取されたがゆえに、故宮が建てられたというのに、現在、資源を還えすることはいけないのか。普通の人々は故宮に入れないなら、そこから立ち戻って自分のルーツを探すことになるのではないだろうか。

「羊城夕刊」のライター鍾趙甫さん 率直に言えば、私は値上げについての前の2つの理由には同意しかねるが、値上げそのものには賛成している。というのは、3つ目の理由は成り立つと思うからである。昨年、私は故宮を2回訪れたが、観覧客が多くて押し合いへし合いとなっていたため、観覧する興味がすっかりなくなった。

中国では、値上げに疑問をもつ人はともすれば外国のことを例にあげて反論している。例えば、外国の著名な世界文化財の入場券は格安か無料であり、しかも開放的な態度で見学にくる人々を迎えているとか、人々が博物館などを見学するのは気分をリラックスさせるためであり、教育を受けるためではないとか言っている。外国では確かにその通りであるが、こう言った人たちは中国のことを論じていることを無視し、少なくともこの問題では中国と外国を比べることは適切ではない。観光客数のみについて言えば、中国のようなわんさと押しかける観光客がいるのか、入場券を値上げしても観光客数を抑制できないと見ている人がいるのだろうか。値上げは世界文化財が商品となることを意味しない。普通の博物館なら一般に開放してもかまわないが、世界でも珍しい文化遺産と見なされている博物館は、値上げによって観光客数を抑制することは、確かに次の世代の人たちのためでもある。

値上げの目的が文化遺産を保護するためである以上、それを見学に来る人たちにはっきり説明すべきであり、平遥古城のように、崩壊事故が発生してから、今年4000万元を上回る入場券収入から、古城の修繕に用いるお金が1銭も出せないことを知るようなことはないはずである。値上げするなら、値上げした分をほんとうに文化財の保護に使うべきである。

世界文化財の価値は市場とは関係がない

「経済観察報」のライター如一さん 政府は納税者の税金を収めたからには、まず考えるべきことはどのようにして職責を果たすかであり、いかに負担を納税者に転嫁するかではない。たとえ経済利益を最大化する商業社会においてあっても、政府は自らの職責をあいまいにしてはならず、ましてや値上げすることですべての問題を解決しようとしてはならない。

今年に入っていらいの都市の水道料金と電気代の値上げが天然資源の不足によってやむなく行われたと言っても、観光名所の入場券の値上げには人々は異議を申し立てないわけにはいかないだろう。報道によると、観光名所の管理部門が持ち出した入場券の値上げの理由は、主に観光名所の修繕費用が莫大なもので、国の計上してくれる資金は到底まかないきれないからである。これは差し迫った問題であるかもしれない。しかし、納税者である広範な見学者には、歴史・文化財の保護は政府の責務ではないか、この負担を国民に転嫁する理由はどこにあるのか、そして、どこの誰が、またはどんなメカニズムが値上げによる収入を全部修繕に使われ、その他に流用されないことを保証できるのか、と質問する権利もあるだろう。

市場経済と計画経済の最も著しい違いの1つは、政府と市場が切り離して考えられることである。つまり、政府と市場はそれぞれの職責を果たすことだとわれわれは見ている。しかし、現実的には、一部の政府部門は特に値上げといった手段で社会生活または経済生活における難問を簡単に解決することに熱心である。例えば、この間、車両の通過料金と駐車料金の値上げによって交通の流量を減らし、北京の深刻な交通渋滞の問題を解決してはとの提案が出された。そして今また、観光名所の入場券価格の値上げによって観光客数を抑制しようと提案している。値上げすると、車両の流量と観光客数が減るかもしれないが、それと関係のある経済活動にも影響が及び、観光による収入なども減少することになろう。これはいわずもがなのことなのに、関係部門はよく考えたことがあるのか定かではない。

政府部門が経済の法則を尊重するのはよい事であるが、価格手段がどんな面に使われるのか、そしてそれが適切であるかどうかを見なければならない。現段階では、少なからぬ公衆サービス資源が政府の各部門に独占されており、問題にぶつかると価格のテコを運用して解決しようとしているが、自らがいかに改善するかを考えようとしないなら、政府の行政能力の向上はどのように具現するのか。

湖南省長沙市の莫林浩さん 観光客数が値上げによって抑制できるかどうかのカギは、値上げ幅がどれぐらいかにあると私が考えている。値上げが数倍ひいてはそれ以上にもなったら、観光客数が大幅に下がるに違いないと信じている。しかし、そういう価格は、一般の国民にとっては受け入れ難いものである。観光名所が少数の金持ちしかいれない場所となり、普通の人と無縁のものとなるからである。

価格のテコによって観光客数を抑制することは聞こえはいい。ただし、その前提は、これらの観光名所が営利的資産であることであり、管理部門は市場の状況によって入場券の価格を決定することができる。しかし、それらは著名な観光名所だけでなく、世界的文化財でもあり、管理部門にとっての金のなる木ではなく、国民全体に属するものであり、かなりの社会的公益性を担わなければならない。故宮などが管理者の私有の庭園であれば、入場券をどれほど値上げしてもわれわれには言うことはない。現実はそうではないので、市場の手段を通じて入場券の価格を調節してはならないと思う。

また、管理者はほんとうに文化財を保護しようとしているという角度から言うなら、まず観光による収入の一部を惜しむことなく放棄し、入場券の限定発売することによって観光客数を抑制すべきである。実は、国連が世界自然遺産と文化遺産を指定する真意はそれをよく守るためであり、観光施設として開発、利用するためではない。世界のその他の文化遺産の多くは日間の観光客入り込み数に限定する措置を取っているが、どうして中国の文化財管理部門だけがこの簡単で、より直接的な方法を取らずに、つねに入場券の価格だけに目をつけるのか。入場券の収入は文化財保護を行うためであるという理由は信じられるものではない。

「華夏時報」のライター徐立凡さん 六大観光名所の入場券値上げの提案が格別注目されているのは、これらの観光名所が複製不可能で、かけがえがないことにある。中国の最もすばらしい建物、最もハイレベルの美学の準則、最も古典的意義のあるトーテム文化および真実そのものの歴史的痕跡がこれらの文化遺産に集まっているからである。古代文明がわれわれからますます遠く離れていく歴史的進展の中で、これらの文化財が歴史を伝承する使命を担っているものである。

長年このかた、われわれが歴史・文化財を観光施設として開発するのか、それども歴史・文化遺産として守るのかという進むも退くもともに難しい境地に置かれている。観光による大きな利潤の誘惑を前にして、観光施設である文化財の開発が絶対的優位を占めることになった。実は、世界文化財保護機構は何回も中国に注意を促している。価値のある多くの観光名所が過度に開発されると、その魅力は大幅にダウンするからである。いままで、われわれはまだ中間の道を見出してはおらず、どのようにして適度に開発することもできれば、適切に保護することもできるようにするかはまだわかっていない。

文化財保護は、政府が担わなければならないことはあまりにも多くの教訓によって裏付けられている。

人々の議論の中にはすべての人が認めているものが一つある。それはつまり、文明の価値というものは絶対に値上げによって保護しうるものではない。