2005 No.05
(0124 -0130)

アドレス 
中国北京市
百万荘大街24号
北京週報日本語部
電 話 
(8610) 68326018 
(8610) 68886238

>>争鳴

円明園は復元すべきかどうか

北京の西郊外の海淀区北部に位置する円明園は1709年から築造がはじめられ、中国の清朝の康煕・雍正・乾隆らの3代にわたって造営された壮大な皇室御苑である。総面積が350ヘクタールにものぼるこの名園には楼、台、殿、閣や珍しい草木及び築山、せせらぎ、回廊、池の中の人工の島、橋や土手など百余りの景観が点々と散在し、水面が総面積の3分の1以上を占め、人々から「万園の中の園」、「皇室御苑の手本」、「東方のベルサイユ宮殿」と称えられてきた。

園内には皇室博物館が設置されたこともある。有名なフランス人作家のビクトル・ユゴーはかつて「たとえフランスのノートルダム修道院のすべての貴重な品物を集めたとしても、この壮大で立派な東方の博物館と比肩することはできない」と語っている。シタンの調度類で飾られた殿や閣には内外の貴重な文化財が数多く陳列されており、四つの皇室蔵書楼の一つと言われた文源閣には『四庫全書』など貴重な図書文化財が収蔵されていた。

円明園は1860年10月に英仏連合軍の略奪と放火にあい、その後も八カ国連合軍や軍閥、匪賊による盗難、破壊があいついで、廃墟と化した。

数回の補修を経たこの名園はいまでは愛国主義教育の基地と指定され、清朝の統治者の腐敗と無能を物語る歴史の生き生きとした証拠となり、毎日国内外の観光客が大勢訪れている。

昨年10月に北京で開かれた円明園遺跡公園復元会議で、一部の専門家が打ち出した部分的な姿を復元するという提案は社会的に大きな関心を集めている。本誌にも読者からさまざまな意見や感想が寄せられている。なかには部分的な姿を復元すべきだという意見もあれば、焼き崩れる建築物を原寸で復元すべきだという意見もあり、以下はその一部である。

復元はすべきではない

中国社会科学院外国文学研究所の葉廷芳研究員:円明園の廃墟は西洋の列強が中華民族に残した最も痛ましい傷跡だと見ている。廃墟そのものは弱肉強食の侵略行為への無声なき告発でもあれば、愛国主義教育にとっての最も理想的な場所でもあり、世界でいかなる皇室御苑もこれにはとうてい及ばないと言われている。「犯罪の現場」を保存するようにこの廃墟を保存する必要がある。

遺跡の補修も必要だが、私は「ニセモノの骨董」を作ることや、廃墟そのものの美しさを破壊することには賛成しない。美学の角度から言えば、文化財の価値と美しさはほかでもなく歴史の本来の姿にある。「古いものをもとの姿に修復する」ことが世界で通用する文化財保護の原則であるが、中国の場合「古いものを真新しいものにする」ため、本来の価値を損なってしまうケースが多く見られる。

遺跡公園としての存在という円明園の性格は1983年と2002年に国が公表した関係法規で明らかにされているように、部分的ではなく全体として保存すべきである。いま進められている地上建築物の10%(円明園には全部で40余カ所の遺跡があるから、10%はその3、4カ所に相当する)の復元作業は文化財保護の主旨に合致しないものである。復元は割合から見れば少数ではあるが、絶対量から見れば大きいものとなる。これらの極彩色の美に輝く古代建築物の模造品が園内に散在しているようでは、人々はどうして遺跡の雰囲気を感じ取り、往時を悲しむ気持が生じるのか。

公園の機能から考えて、園内に一定の数の建築物を建設してもいい。例えば、園全体の模型あるいはミニチュア版を展示する展覧館や災禍を免れた芸術品を収集して展示する芸術陳列館のほか、事務棟と観光客の休憩場所なども含まれる。しかし、これらの建物は現代建築物の様式を採用し、古典建築の様式と違ったスタイルにすべきだと思っている。要するに「素朴」であればあるほどよい。

現在の復元計画をめぐっての論争は地上建築物に集中している。政府関係部門は10%の復元計画を一時ストップして、主な遺跡の継続的発掘、園内の民家の移転、築山と水の流れの整備及び公園機能を有した建物をつくることに力を入れるべきだと考えている。

築山と水の流れの整備についても議論がある。築山と湖の再造成を主張する人もおれば、本来の道筋をはっきりさせ、元の姿を模型で再現してもよいと考える人もいる。いわゆる遺跡とは残された本来の姿である。遺跡の痕跡を残すことこそが歴史の真実を保ち、最大の保護だと言える。

四川省成都市外東十陵鎮華川工業有限公司技術研究所の楊暁川さん:復元作業は百年以内には行うべきではないと考えている。その理由として次のようなことがあげられる。

周知のように、かつて皇室御苑であった円明園は想像を絶するほどのスケールのものであり、現存の資料だけで往時の円明園を完全に復元することは難しい。復元作業には数百億元、ひいては千億元にのぼる資金が必要になるかもしれない。大金を費やして円明園を復元するより、むしろ都市部の電力不足を緩和する発電所をつくったほうがよい。復元後の円明園を観光地として一般公開するでは巨額の投入資金は回収できないだろう。しかも園内の三つの湖の水源の清潔を保つことも問題がある。逆に、復元しなければ八カ国連合軍が当時中国で犯した罪をはっきりと見て取ることができる。歴史の経験が立証しているように、復元すれば、かつての歴史は時間の経過とともに人々に忘れられてしまうことになる。円明園の復元は往時の中国の強さを示すこともできなければ、今の中国の財力を誇示することもできないものであるから、実効性は皆無である。ここでいまひとつ強調したいのは、民間に円明園の復元に投資しようとする人がいたとしても、政府は制限策を打ち出すべきである。われわれは歴史の遺跡を保護しなければならない。

往時の姿は人々を覚醒させる

国家文物局古代建築専門家チームリーダー、中国文物学会会長の羅哲文氏:今日の円明園はすっかり廃墟となっている。地上建物は西洋楼跡を除けばほぼ皆無と言ってよい。ごくわずかな景観や建築物を選んで復元させるのは、本来の姿とのコントラストを更に鮮明なものにし、これは人々にこんな素晴らしい造園芸術が侵略者によって無残にも破壊されたことを認識させるためでもある。

中国人民大学清朝史研究所教授の王道成氏:私は1970年代から円明園問題の研究を始めた。また、調査や研究を重ねたうえで丹念に設計や工事を行い、西洋楼跡を大切に保存すると同時に中国式庭園のいくつかの特色のある景観を重点的に復元するという提案を行った。園内総面積の98%も占める中国式庭園の補修を提案するのは、私が「恥辱の地」を残すことは恥辱を記憶に残すことであるとは考えていないからだ。われわれはこうした事実を受け止めるべきだ。つまり、われわれが目にしている円明園と、1860年当時に焼き払われた円明園とはずいぶん違っていることである。資料によると、英仏連合軍に焼かれたあとの円明園には主要な景観が16カ所も残っていた。また、清の頃にはまだ適切に保存されていたが、その後の二つの歴史的時期に破壊にあった。一つは、民国の時代である。当時は国内では災害や戦乱が絶えず、円明園は廃園となり、園内に保存されていた文物や遺跡もすべて奪い尽くされた。いま一つは「文革」の時期である。当時、円明園の管理の仕事は一時期混乱に陥り、一回で城壁が800メートルも取り壊され、樹木が1000本も伐採され、石材がトラック数十台分も運び出されたという記録もある。

私は円明園を復元することによってその本来の象徴的な意義が薄れることはないと思う。円明園の保護、保存と活用は「遺跡公園」のコンセプトからではなく、実際の状況に応じて行うべきだ。アメリカのホワイトハウスもイギリス人によって焼き払われたことがあるが、アメリカの民衆は侵略者を追い払ったあとすぐそれを建て直した。面積が8ヘクタールにのぼる西洋楼跡を保存することを私が主張しているのは、まさに子々孫々に国が立ち遅れると侵略を招くという教訓を認識させるためである。今現在の古風な建物の建築技術や造園技術、加えて円明園歴史文献の整理や歴史資料と文化財の所有などの現状を見れば、国内には円明園を復元する能力が備わっていることがわかる。