2005 No.07
(0207 -0213)

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中国北京市
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北京週報日本語部
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今、クラシックスタイルが人気

唐元カイ

北京市北部にじき1軒のレストランがオープンする。黒瓦に白壁と、外見に格別目立ったところはない。だが扉を押して中に足を踏み入れ、隔壁を通り過ぎると、南方の古代住宅の持つその気勢の壮大さに驚かされる。

住宅は南北の奥行きが25メートル、幅13メートル、高さ8メートル。杉構造の2階建てで、面積は600平方メートル。黒く黄ばんだ直径50センチの4本の柱が中心に屹立し、天井は二重構造になっている。

この住宅は200年の歴史を持つ、遥か南方の安徽省から運ばれて来た「徽宅」。徽宅は中国では非常に有名だ。持ち主の張皓銘氏は「北京では初めての徽宅」と胸を張る。

この古い住宅が取り壊され北京近郊の倉庫に置かれる、という話を張さんが耳にしたのは、2003年10月のこと。意気揚々と物件を見に行った張さんの眼に入ったのは、地上にうず高く積まれた黒ずみ腐りかけた木材だった。その高さは50〜60メートル。「これは薪にしかできない」と張さんは思った。

骨董屋は「組み立て直せば、素晴らしいものになる」と言い張ったが、張さんは信じなかった。焦った骨董屋は文様が施された数本の支柱石を選び出し、従来あった徽宅の面積と配置どおりに組み立ててみせた。それで、支柱石の上にあっただろう楼閣の壮大さが想像できて、ようやく信用できたという。

「骨董屋が理想的に復元できなかったら、全額払い戻します、と言って契約を望んだので、購入する決心をした」と張さん。

その後、丸1年かけて復元に取りかかった。北京や香港、深セン、韓国、フランスの設計士も作業に参加。様々なプランを立て、様々な実験を繰り返した後に元の姿を復元した。「これこそ200年前の徽宅の力強さだ」と、張さんは顔をほころばす。

レストランはまだ開業していないが、将来の営業に張さんは自信満々だ。

伝統建築は宝石や玉器、古書画、骨董品と違って一定程度の実用性を備えている。こうした特性はかつて長い間、収蔵界では認識されていなかったが、現在では収蔵品の域から脱して消費化の方向に向かいつつある。

北京中心部、故宮の北側に位置する什刹海。その一角に新たに十数軒のレストランやバーが登場。外装はいずれもクラシックスタイルだ。これまでグリーンで統一されてきたコーヒーショップ「スターバック」も中国スタイルに変身。紅柱と白壁が一目を引く。

什刹海歴史文化保護区管理委員会計画科の董偉主任は「伝統的なスタイルの外観、というのが店舗に対する統一された要求です。2004年から、既存店の改修に乗り出し、新規店舗については、計画科が設計を審査し、風格が保護区全体の雰囲気に合わない場合は設計の修正を求めている」と説明。現在、この一帯には店舗が100軒あるが、60%以上が伝統的なスタイルだ。

首都師範大学中文学部の陶東風教授は「『伝統』が消費品とされた場合、それは古典主義とは本質的に区別される。こうした『伝統の復興』現象は、消費主義を背景に生まれたもので、決して単純な懐古ではない」と指摘。古典芸術博物館の馬未都館長は「大衆が本当に過去に戻ることは不可能だ。伝統的なシルクの布地を西洋式に裁断すれば、モダンなチーパオを作ることはできるが、伝統そのものを実感できるとは限らない」と話す。

さらに陶教授は「80年代にはこうした風潮はなかった。だが、そのころから中国人が一心に現代化を求めてきたからこそ、こうした現象が出現した。一部の人は既にある程度、現代化されたということだろう」と分析する。

今年25歳になるAさん。「心に蘇りつつものがあります。それは『覚醒』であって、『懐古』ではない」。結婚したばかりで、北京・回竜観地区にマンションを購入。家には中国の伝統家具が3点ある。彫刻の施されたドア、紅漆の棚、木製額縁に入った壁掛け式「梅・蘭・竹・菊」図。Aさんは「紅漆棚は一目見て気に入りました。もともと古いものを新しくしたものだったのです。ただ紅色が強烈だったので、“骨董”処理した」と笑う。

Aさんは大学卒業後、次第に伝統的な物に惹かれるようになっていった。「伝統的な物に出会うと必ず、足を止めて見たり触ったり……内装工事を始めてから、古典的な家具を買うことにしました。でも、全体の30%です」

34歳の大学助教授・Bさんの家では、この割合は50%だ。巨大な伝統画がリビングの半分を占める。奥行き1メートル、横2メートル、縦90センチ。額縁の材料は老木だ。書架の上にもこの数年間に購入した骨董品が並んでいる。Bさんも「懐古ではない」と強調。更に2人に共通するのは、伝統作品を北京東部の高碑店で購入したことだ。

1.5キロの通りが続く高碑店の「古典家具村」。古美術や古代模倣家具・什器を売る店が約200軒並んでいる。

ここで1991年、最初に店舗を構えたのがCさんだ。80年代初めに家具の修理で貯めたお金を元手に、市内と郊外の農村で骨董品を買い集め、三輪車に荷を積んで、三里屯の大使館街で屋台販売を始めた。その屋台も開けなくなり、考えた末に高碑店に店を構えることに。名刺を作って大使館に配りまわり、店の名は口コミで徐々に知られていった。

家具村には多くの店が進出したが、土地の値上がりで、展示室は構えてはいるが、工場を北京の通県や河北省などに移転する店が多い。Cさんも今では各地で骨董品を買い集めることはない。取扱店が北京周辺に増えてきたからだ。

高碑店では収蔵家の足が遠のく一方で、一般市民の数は逆に増え続けている。1986〜1992年は外国人がメインだったが、1992〜1997年には中国人が30%を占めるまでになり、その後は2004年までに70%と、中国人の来客数が急増。適度な価格、古典的な雰囲気、また実用品もあることから、購入マンションの内装用にとホワイトカラー族や、古代趣味の都会人の多くに人気が高い。個性的な店舗経営を求めるオーナーも少なくない。

だが、品数が増えてきた一方で、商品の「性格」にも変化が生じてきた。例えば、高碑店ではかつてカリン製やマホガニー製家具が主役を担っていたが、1997年からはこの種の家具の供給量が激減。2001年以降は更に減少し、現在の売れ筋は1000元(1元=約13円)前後の中級品や、200〜300元の小物類だという。ごく普通のマホガニー製品は需要量、供給料とも豊富だが、店主は嘆く。「経営上のハードルが低くなった分、過当競争が深刻となり、今の状況でお金を稼ぐのは容易ではない。暴利の時代は既に終わった」と。

「伝統」を巡る大衆消費現象は今後、社会にどのような影響をもたらすのか。学術界でも意見は様々だ。北京大学歴史文化資源研究所の郭梓林副所長は「伝統的な文化は、商業的な目的が主体になったとしても、伝承、ということを考えれば、伝統を維持する原動力となっていくだろう。政府は急いで効果を求めるようなことはせず、しかも市場ルールに基づいて事を運んでいけば、たとえ商業的価値を備えた文化であっても、文化への回帰によって人々は物質的な満足感を覚え、同時に精神的な充足を積極的に求めることにもなる」と分析する。

だが、中国民間文芸家協会々長で作家でもある馮驥才氏ら専門家は、民間の文化を保護する立場からこう強調する。「消費者を満足させるための売買は畢竟、伝統的な民間の文化を破壊することになる」