2005 No.13
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民情を伝える“使者”

――少数民族の全人代代表を追う

馮建華

北京で開かれた第10期全国人民代表大会第3回会議は3月14日、閉幕した。9日半におよぶ会議には全国各地から2091人が出席。各代表が提言した政策案は昨年の大会に比べ54.6%増と、641件を上回る991件に達した。代表には少数民族も選出されており、その多くは社会の基層で生活、仕事をしている人たちだ。大会が閉幕すると決まって、民族衣装を身にまとった少数民族の代表にメディアの取材が集中する。

記者は3月11日、広大な西北部の貧困地帯、青海省から出席した3人の少数民族の代表を取材した。医師と教師の2人、もう1人は多大な権限を握る政府幹部だ。質朴で率直、というのが共通する印象だった。全人代の代表、という「身分」に強く感じるのが、「大きなプレッシャー」だと言う。彼らにすれば、社会の基層の代表として、時機を逸することなく庶民の声を中央に反映させて、庶民が問題を解決するのを手助けしなければならない。でなければ、庶民の彼らに寄せる期待に背くことになる。

「度胸」のついたチベット族の医師

ニャン・マオシェン代表(チベット族)は、青海省黄南チベット族自治州人民医院産婦人科の主任医師。臨床に30年間従事してきた。大手術の多くは彼女1人しかこなせない。かなりの期間、医院を留守にしていれば、戻ると手術をする日が何日も続くことになるだろう。手術を待つ人の大多数は貧しい農牧民たちだ。医院は人材不足にある。短期大学卒は全体の僅か5%、ほとんどが高等専門学校卒。それでも地元では条件の良いほうで、一部郷・村の医師の間では、半識字率を含め非識字率は40%と非常に高い。

「全人代代表に選ばれたと知った時は、大変に大きなプレッシャーを感じました。ずっと臨床を専門にしてきて、社会事業的な仕事とは接触が少なかったからです」。ニャンさんは「代表に選ばれることができたのは、農牧民の喜びと大きな関係があります」と率直に語ってくれた。

2003年に代表に選ばれた1年目。役割の変化が余りにも大きく、「光栄でチャレンジ性のある」新たな仕事に適応するのが精一杯だった。その年に開かれた全人代会議では、1つの政策案も提言できなかった。「当時は度胸がなくて、会議ではどうしても発言できませんでした」。そう振り返るニャンさんは今も、自責の念にとらわれている。

2期目に入った。自分の仕事に真剣に責任を持って取り組んできた彼女は、社会の基層に深く入って調査研究する仕事を開始。問題を見つけようと心がけ、地元で解決できることは解決するように促し、解決できない場合には、その問題を中央に反映させてきた。「私は社会の基層に生きる人間ですし、仕事で最も多く接触するのも基層で暮らす庶民ですから当然、こうした人々に代わって物事を行うことが必要なのです」。こうした姿勢が彼女の初心だ。

2004年、多くの庶民が彼女に対し、地元でのダム建設を国に呼びかけるよう求めてきた。ダムは庶民の生活にかかわらず、経済発展にとっても非常に重要な役割を果たす。この問題を解決するため、庶民は14にわたり訴え続けてきたのだ。

彼女は調査を十分した上で、詳細な政策案をまとめて国に提出。関係機関もこの問題を重視し現在、解決に向けて検討中だ。「国が取り上げてくれた時はすごくうれしかったですね。全人代代表の価値を初めて感じました」。興奮したのか、穏やかだった語調が突然高まってきた。

この数カ月の間、ニャンさんは農牧地帯の衛生保健施設の状況に関心を持ち続けてきた。調査に当たって、見るもの聞くものが常に彼女の不安を募らせた。聴診器が1つ、血圧計が1つあるほかは何もない施設もあった。壊れた古い棚に置かれたままの薬品、埃だらけになった薬品、出て行く医師もいて、医師は以前よりずっと不足していた。医師が1人しかおらず、しかも全科を診察することのできない郷もあった。

ニャンさんは今回の会議で、辺境農牧地帯での医療施設の充実を強化すると当時に、衛生保健員養成機関を設立するほか、人員を集めるために優遇政策を実施するよう国に呼び掛けるよう提言した。

以前は度胸のなかったニャンさん。今回の会議では、以前とは違い「競うように」して提言した。「すぐにでも反映されなければ、私を信頼してくれた農牧民に大変申し訳ないと思ったからです」。彼女の変化はまだある。時事問題に関心を示さなかったのが、今は毎日のように多くの新聞や雑誌を読んでいる。話をするのは好きな方ではなかったが、人との「交流」を大切にするようになった。

今後1年間の計画について、ニャンさんは気概のない淡々とした口調で語った。「より多くの時間を割いて、社会の基層で調査研究をしていきたい」と。

「庶民の声を中央に反映させる」

拝秀花(回族)さんは、青海省西寧市回族中学の教頭。大会出席のため北京に来る前に、生徒から授業料の減免を求める手紙が送られて来た。拝さんはひどく落ち込み、心を痛めた。

「私の家は貧しく、何人もの姉と妹がみんな学校に通っているので、母はこのために髪が真っ白くなってしまいました。母は私に、家がこんなに貧しいのだから、学校には行かないで、と言います。私を支援してください、私を学校に行かせてください!」。「学校が始まる日は、私たち姉妹3人にとって一番ビクビクする日です。父と母が授業料を払えないのが心配だからなのです」

手紙を見た拝さんは、国にもう1つ提言することを決心した。農村部の貧困家庭を対象に実施している「2免除1補助」(授業料・雑費と教科書代を免除し、寄宿費を補助する)政策を、都市部の流動人口や低保護家庭にまで拡大するよう求めるというものだ。

教師暦は29年、うち学級担任は21年。一般教師から全国優秀教師に選ばれ、教務主任から教員を主管する教頭まで昇進した。情熱的で有能というのが、拝さんに対する第1印象だ。

2003年1月に代表に選ばれたが、その時にまず感じたのは「非情に驚き、多少おびえ、今後、代表の権利をどう行使していったらいいのかも分からなかった」

代表になってから、教育面に関心を寄せることを決心。だが、仕事が多忙であるため、社会の基層での調査研究は週末を利用してしかできなかった。

2004年、拝さんは高海抜で酸素の希薄な東部の農牧地帯を調査。この「天に依存して生活する」貧困地区では、数村に1校の小学校しかなく、しかも各村が遠く離れているため、子供たちは乾燥食品を持って数キロ、はては数十キロもの山道を通わなければならないことを知った。それ以上に彼女を脅かせたのは、資金不足で暖房設備が購入できないため、冬になると教室が異常なまでに冷え込んだ小学校があったことだ。

その年の大会に拝さんは、牧畜地帯の貧困家庭の入学問題の解決に力を入れるよう求める提言した。思いもかけず、彼女の提案はすぐさま関係機関に回され、過去最大規模の財政資金が拠出されることになった。遅れていた地元の教育環境はこれで大幅に改善した。

「全人代の代表になって、私は、自分の人生の価値を最も具体的に示すことができるようになりました。庶民の声を中央に反映させて、一部でも彼らの問題を解決することができたからです」。話をしている間ずっと満面に笑みを浮かべ、彼女の内心の喜びがはっきりと感じられた。

総体的に言えば、代表になっても彼女個人の生活には大きな影響はない。彼女の言葉を借りれば、「生活の中心は教育を除いても、やはり教育です」。ただ、考え方や意識に多少の影響はあったようだ。「以前は関心を寄せなかった問題にも、関心を持ち始めました」という言葉に、それが表れている。「全人代の代表にとって最大の職責は、社会状況と民意を把握することです。これすれできないのであれば、全てが空しいものになってしまいます」

「庶民の増収難が最大のプレッシャー」

「県の財政は苦しく、ほとんどの事業体は国の財政で維持しています。県の長として、庶民の収入を増やせないのが最大のプレッシャーです」。青海省循化サラ族自治県の馬豊勝県長(サラ族)は、こう率直に語ってくれた。

サラ族は全国に22ある少人口の少数民族の1つ。馬さんはサラ族として全国で初めて県長になった。循化サラ族自治県の人口は12万、うちサラ族は7万8000人。農民は10万人と、全体の83%超を占める。2004年の全国の1人平均収入は2936元、青海省全体では初めて同2000万元を突破して2004元に達したが、同自治県は同1768元に過ぎない。

政府は大学生の募集について、少数民族を優遇し配慮する政策を一貫して実施している。こうした政策で1980年、17歳の馬さんは北京の中央民族大学に推薦入学し、政治経済学を専攻。本科卒業後、省政府機関で仕事をするチャンスもあったが、大学生を1人ですら育成するのが容易ではない実情を考え、故郷で仕事をする道を自ら選んだ。

国内全体がいくらかゆとりのある社会に向かいつつある中、循化サラ族自治県がまだ貧しいのは何故なのか、貧困からいかに脱け出すのか。馬豊勝県長には冷静な認識と考えがある。「地理的に辺ぴであるという客観的な要因のほかに、文化的資質が低いこととも非常に大きな関係がある」。現在、大部分の地区では9年制の義務教育がほぼ普及しているが、広大な西北部に位置する青海省では平均教育年数は6年、循化サラ族自治県は5.6年に過ぎない。

「文化的資質が低く、市場を把握する能力にも相対的に低く、経済を活性化させるのは難しい」と馬県長。

いかに貧困を脱して豊かになるか。馬県長は「農民の収入を増やすための重要な措置の1つは、農民を減らすことだ。農民を減らすためには、農民を移転させることだ。現在、全県の労働力は5万6000人、うち余剰労働力は60%を超える3万4000人に上る。こうした状況を考えて、県ではこの数年来、余剰労働者が村を出て新たな職を見つけられるよう、飲食業を主体に技能訓練を実施してきた」と説明。

「現在、サラ族は北京や上海、深センなど多くの大都市でレストランを開業している」と馬県長は顔をほころばした。北京では341軒、従事者は3800人を数える。馬県長は全人代開催中、そのうちの21軒に足を運んだ。経営上の問題はないかどうか、子供の入学問題がしっかり解決されているか、などを把握するためだ。

馬県長は「状況が把握できたので、心配は消え失せました。北京は外来者の就業に対しきちっと対処しています。同郷人はここでの生活に安心し、気持ちも落ち着いていますよ」と相好を崩した。訪れた店で働く多くの人が、北京で働くようになって収穫があったと話したという。俗な言葉で表現すれば、「金を稼げば、肝が大きくなり、考えが変わり、子供を育てられる」

循化サラ族自治県を離れ、よその地でレストランを開業するサラ族は増え続けている。「サラ」というブランドの構築を今、考えているところだと馬県長。「経営者本人にもより多くの経済的利益がもたらされるばかりか、一種のイメージ広告として、この県の知名度もずっと高まるのでは」。

中央政府はこの数年、民族地区への資金援助を増強しつつある。循化サラ族自治県では、県庁所在地と郷・鎮を結ぶ道路のアスファルト化に着手、既に50%が完成しており、残る50%は年内に完成の予定だ。

「全人代の代表として、私の主要な職責は、今というこの得がたい時機を逃すことなく、私の県が抱える問題を中央に反映させて中央政府の支持を得ることです。現在の目標は、全県民を率いて、青海省でまず先に発展することです」。馬県長は強い自身を示した。