2005 No.18
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今日でも輝きを放つバンドン会議

半世紀前にインドネシア・バンドン市で行われた歴史的意義のある会議で体現されたバンドン精神は、世界にとって今日でも現実的かつ指導的意義を持っている。1955年4月18日から24日にかけて、帝国主義の植民地支配から解放された直後の発展途上諸国の政府代表はバンドンに集まり、相互尊重を中心とする国際的原則を制定するとともに、世界平和と協力の促進に関する宣言を発表した。同会議で採択されたバンドン十原則は古い国際法の法理に強いインパクトを与え、今日でも国際関係の主流となっている。

倪延碩

50年前、世界史上初めて欧米諸国が参加しない国際会議、アジア・アフリカ首脳会議(バンドン会議)がインドネシア・ジャワ島の高原都市・バンドンで開催された。中国を含む29カ国は国連憲章に合致する世界平和と協力の促進に関する宣言、バンドン十原則(平和十原則とも呼ばれる)を全会一致で採択した。このバンドン十原則と、中国とインドが提唱した平和共存五原則は、発展途上諸国間の相互協力に向けてしっかりとした基礎を打ち固め、覇権主義と単独主義に対抗する国際協力に主導的な役割を果たすとともに、非同盟運動と反植民地主義、反アパルトヘイトの流れを生むなど、新しいタイプの国際関係の基礎となった。

この50年前の歴史的会議を記念するため、非同盟諸国は4月22日と23日の両日、バンドンの地でアジア・アフリカ会議50周年記念首脳会議を開いた。国内でも様々な記念活動が催された。3月20日には中国アジア・アフリカ発展交流協会主催の「アジア・アフリカ会議50周年座談会」が北京で開かれ、出席者はバンドン会議の歴史的意義と現実的意義について突っ込んだ議論を行った。以下はその発言の一部。

発展途上国の目覚め

■中国国際問題研究所客員研究員・尹承徳氏:第三世界が台頭する幕開けとなり、世界の政治状況と国際関係の枠組みをかなりの程度改変させたバンドン会議が、画期的な意義のある国際政治の出来事として歴史に永遠に刻み込まれるのは間違いない。

バンドン会議は新たに独立した民族主義国家が提唱して主催し、参加したものであり、これは世界史上初めてのことだ。それまでの国際会議はすべて大国や強国、主に欧米列強が提唱して主催し、参加者したものであり、弱小国には地位は与えられなかった。バンドン会議の開催は、新興民族主義国家が独立国として国際政治の舞台に登場し始め、国際問題が欧米列強によって支配されていた時代が終結し、国際関係史上に新たな一章が開かれたことを象徴するものである。

バンドン会議は世界の非同盟運動の序幕ともなった。インドネシアのスカルノ大統領やインドのネール首相、エジプトのナセル大統領、ミャンマーのウ・ヌー首相、カンボジアのシアヌーク殿下ら、バンドン会議の提唱国と参加国の指導者はいずれも非同盟運動の提唱者であり、参加29カ国は後に非同盟運動の中核メンバーとなった。バンドン会議が提唱した平和十原則は平和、中立、非同盟という非同盟運動の原則の先駈けであり、非同盟運動の趣旨はバンドン精神の継続と発展である。バンドン会議の開催によって非同盟運動の組織的、思想的基礎が築かれたと言えよう。

ある意味から言えば、バンドン会議は第三世界諸国が東西両陣営から独立した政治勢力として登場する発端となり、米ソという二極化構造を打破し、世界の多極化プロセスを起動させるプレリュードでもあった。バンドン会議を踏まえて発足した非同盟運動と、非同盟諸国を主体とする第三世界諸国は冷戦時代に米ソ両超大国の世界覇権争奪とその拡張・戦争政策に反対し、世界平和を擁護する主力軍となった。

バンドン十原則は「国連憲章」と平和共存五原則を拡充し発展させたものであり、これにより新しいタイプの国際関係の法理的基礎が強化された。また国家主権の不可侵、内政不干渉、大小国家の平等、国際正義の擁護、国際紛争の平和的解決、国家間の相互尊重、互恵協力、平和共存などの原則を重点として打ち出している。国家間の関係を処理する理想的なルールであり、新しいタイプの国際関係が樹立されるための法理上と道義上の保証となり、古い国際秩序が依拠し関係を維持してきた古い国際法理とは一線を画するものであった。

バンドン会議が当時果たした模範的な役割はアジア・アフリカ・ラテンアメリカに反植民地主義闘争と民族解放運動の新たなうねりを巻き起こしたことであり、世界の植民地体系の崩壊をも加速させた。

第2次世界大戦終結後の1950年代になっても、数多くのアジア・アフリカ諸国が欧米の植民地主義支配に苦しんでいた。バンドン精神と平和十原則は植民地人民の闘争にとって行動綱領となるものであり、正しい方向と道を明示するとともに、新興国が新旧植民地主義に反対し、自国の民族独立と国家主権の擁護にとって思想的、法的武器となった。バンドン会議によってアジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民の反帝国主義、反植民地主義、民族独立を獲得し擁護する闘争に勝利への道が切り開かれた。

バンドン会議によってすでに独立を獲得した新興国は、反帝国主義・反植民地主義闘争の中で団結と協力を強化するとともに、独立していない植民地人民の民族解放闘争に物質的、道義的支援と支持を与えた。バンドン会議によってアジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民の反植民地主義、民族独立獲得闘争の新たな高まりが生じ、植民地と従属国が相次いで独立を獲得していった。植民地主義の台頭からバンドン会議開催までの300年近い間、政治的独立を獲得した植民地は30数カ国に過ぎないが、バンドン会議開催から1990年代までのわずか40年間では百数カ国に達し、約300年にわたった植民地主義制度と体系は徹底的に覆されることになった。

バンドン会議は植民地主義を徹底的に壊滅し、第三世界諸国を台頭させる上で不滅の歴史的貢献を果たし、世界の民族解放運動史で不朽の里程標である。

新しいタイプの国際関係の基礎

バンドン十原則が新しいタイプの国際関係の法理的基礎となったのは、古い国際法の原則と根本的な違いがあるからだ。

1950年代以前の古い国際法の法理は、植民地主義と帝国主義列強が制定し、列強間の利益と相互関係の協調を図り、列強の「秩序ある」世界の分割と「平和的」な分配を趣旨としている。一方、バンドン十原則は新たに独立した民族主義国家が制定し、新興国共通の意志と要求を具現化したものである。つまり外部の干渉と侵犯に反対する、自らの独立と主権を擁護する、大国や強国が中小国を凌駕することに反対する、自らの平等な国家尊厳と平等な権利を獲得する、強権国家の拡張と戦争政策に反対する、世界平和と安全を擁護することなどだ。バンドン十原則は、新しいタイプの国際関係の確立と国際社会全体の根本的利益を確立するためのものなのである。

古い国際法の法理も主権や平等、平和など国際法の原則を提唱してはいたが、列強はこれらの原則はいわゆる「非文明国」ではなく、「文明国」のみに適用されると定めていた。実際には、列強以外の弱小国と弱小民族は国際法の保護から排除され、ほしいままに侵略されることになった。バンドン十原則はすべての国に適用され、国際社会全体が順守しなければならない行動規範であり、すべての国とくに中小国の正当な権益を擁護する法理的保障となるものだ。

古い国際法の法理は本質的には不平等である。その規範によれば、列強と弱小国は平等でないだけでなく、列強の間においてさえも平等ではなく、序列は力の大小によって決まっていた。バンドン十原則は「すべての人種の平等を認め、すべての大小国家の平等を認める」と明記。すべての国は大小、強弱、貧富を問わず国際法においては一律平等であり、国際問題に参与する平等の権利と地位を有している、と主張している。

古い国際法の法理は、列強に対外侵略のゴーサインを出す“強盗側の論理”であった。列強が制定した国際法は、列強が植民地化するために引き起こした侵略戦争は合法的なものだと公言し、列強に国際関係における武力の行使と武力による威嚇を許可したほか、「征服と割譲」は列強が「領土を取得する合法的なやり方だ」であることを認めるなど、まことに露骨な弱肉強食という「ジャングルの掟」でもあった。バンドン十原則は侵略と拡張に反対し、すべての国家とくに中小国の独立と主権を擁護する法理的保障となるものであり、「すべての国家の主権と領土保全を尊重する」と強調し、「侵略行為または侵略的威嚇、または武力の使用によっていかなる国家の領土保全または政治的独立を侵犯してはならない」と明確に規定している。

古い国際法の法理は戦争の触媒である。列強が弱小国と弱小民族を侵略、征服する戦争にゴーサインを出したに留まらず、列強同士の争奪と殺し合いといった禍根を残した。ナポレオンによる戦争や第1次、第2次世界大戦はいずれも列強の力の均衡が失われ、古い国際法の法理が規範に合わなかったことによって引き起こされたものである。バンドン十原則によって国際社会には紛争や戦争を失くし、地域と世界の平和を擁護するための根本的な方法と法理的規範がもたらされたが、これは国際社会の広く希求するものでもあり、戦争を食い止める重要な要素ともなった。

中国外交の新たな突破

■中国アジア・アフリカ交流協会々長・銭永年:バンドン会議は新中国が初めて参加した大規模な国際会議であり、中国の国際的な影響力を拡大し、国際情勢と国際関係の積極的な発展を促す上で大きな意義があった。中国政府はこの会議を非常に重視し、周恩来総理が代表団を率いて出席することを決定。周恩来総理を団長とする中国代表団が会議で打ち出した「共通点を求め相違点を残す」との精神は、会議の成功に向け重要な貢献を果たした。

バンドン会議は困難と複雑な状況の下で開催された。参加29カ国には、社会主義国もあれば、アメリカが寄せ集めた「マニラ条約機構」や「バグダッド条約機構」の加盟国、また中立の民族主義国もあった。中国と外交関係を持ち、中国に友好的な国もあれば、中国と外交関係はなく、中国に友好的でなく、さらには中国を敵視する国もあった。こうした状況の中、周恩来総理は的確さと説得力のある重要な演説を3回行うとともに、幅広いロビー活動を行った。確かな見解と、情理にかなった切実な主張、親しみがあって友好的、また率直で誠意ある態度をもって問題を妥当に解決しようとする客観的で公正な立場は、参加国を感動させ、人心をとらえ、中国に友好的ではなかった国の代表をも心服させた。周恩来総理は会議で平和共存五原則を重ねて言明し、団結と協力、小異を残して大同につく、協議による一致という精神を提唱するとともに、反帝国主義と反植民地主義、各国の独立と主権の尊重、新興国の平等な国際的地位の擁護、地域と世界の平和の促進を主張した。これらはいずれも参加国共通の認識、会議の基調となり、会議は歴史的と言える重要な成果を上げ、バンドン精神と平和十原則誕生の基礎が築かれた。

周恩来総理の卓越した仕事ぶりにより、多くの国々が抱いていた中国に対する誤解や偏見、不信は解消され、新中国は多くの国・地域と友好関係を結び、新中国の国際地位と影響力も向上した。バンドン会議の後、中国は対外関係で新たな局面を開く。外交関係の樹立が相次ぎ、1961年までのわずか5、6年間にアジア・アフリカ地域だけでも10数カ国に達し、10年後の1971年、国連復帰を果たしたのを機に第2次国交樹立ブームが到来した。

今日の国際関係を処理する基盤

■エジプト駐在中国大使・呉思科氏:バンドン会議が打ち出した平和共存五原則は、国際社会において国家間関係を処理する上で普遍的な原則となっており、世界平和の擁護にますます大きな役割を果たしている。

発展途上諸国はバンドン精神に鼓舞され、過去50年間に様々な困難を乗り越え、共に協力し合い、民族経済の発展で誇れる成果を上げ、経済力は絶えず増強し、すでに世界経済の発展を促進する重要な力となっており、国際・地域的問題でもその重要な役割は増しつつある。

今日の国際情勢は大きく揺れている。平和な環境の下で発展を求めるのが国際社会共通の願望になっているとはいえ、平和と発展に影響を与える不確定要素も増えつつある。覇権主義と強権政治には新たな形態が見られ、民族や宗教の対立や領土紛争による地域紛争が続発し、南北の格差は一段と拡大し、テロや国際犯罪、疾病や環境汚染といったこれまでになかった不安定要素が人類の発展に様々な脅威をもたらしている。そのため、発展途上諸国は話し合いの強化や、協力の模索と開拓、南北間対話への積極的な参与、自己発展能力の増強といった方法を通じて団結をより緊密化し、誠意をもって協力を進めていく必要がある。また、発展途上国の合法的権益を共に擁護し、世界の多極化を推進するとともに、国際関係の民主化の実現に努め、南南協力に新たな活力を与え、平等互恵を踏まえて南北関係の改善を促進し、小異を残して大同につき、共に発展を求めていく必要がある。

■中国アジア・アフリカ発展交流協会会長・銭永年氏:50年前にバンドン会議に出席した新興国は、まさに小異を残して大同につく精神に基づいて幾重もの困難や妨害を克服して、予想以上の大きな成果を上げてきた。それ以降、異を残して大同につく精神は国際社会に幅広く受け入れられて世界に広まり、複雑な国際問題に対応する際の知恵と原則となった。今日でも国際社会はこの精神を発揮させ、世界の多様性を尊重し、平和的手段を通じて国際紛争を解決する必要があり、自らの価値観や発展モデルを他者に押しつけたり、さらには武力で他人を脅したりしてはならない。こうしてこそ、各国の平和共存と新しいタイプの国際秩序の共同構築に資することができる。50年来の実践が証明しているように、バンドン会議の原則は今日に至っても強い生命力を持っているのだ。新たな歴史的時期に、われわれは平和共存五原則とバンドン精神を一段と発揚させ、国際関係の民主化を推進するとともに、平和と発展のため共に努力していかなければならない。